第11話:全能感と現実
知らない杖だ。
確かに小屋に遺された研究には杖の構造と構築についてのものもあった、だが杖そのものがあるとは思わなかった。
研究からして、以前はスヴァルト地方の杖職人が使っていたのだろうと考えていた。
だがその考えは違うと、ヴェイルは杖を手にした今この瞬間に理解した。
これは全部ヴェイルのために存在していたのだ。
この他の杖と全く違う質の長剣型も
街の外れにあったこの小屋も
名も知らぬ誰かの研究も
全部が全部、この瞬間のためにあったのだ。
湿った風が黒い癖毛を揺らす、夜中のような静寂が世界を包み込む。
ああ、今なら…
「なんでもできそうだ」
全能感というべきだろうか、運命の杖を手にしたヴェイルには自信が満ち溢れていた。
きっと今なら目の前の怪物でさえも打ち破れる、そんな気がした。
「ぐるるるるる……!!」
レスウルフの中心に映る人物が変わる、壊れない人形だったティアナから乱入した不確定要素のヴェイルへと。
低くしたその姿勢には明らかに畏怖の念が込められていた。
鋭く、鈍く光る長剣にではない、自信に満ち溢れたヴェイルに対してでもない。
底も得体も知れない化け物と相対する時のようなヴェイルから立ち上る禍々しい雰囲気にだ。
もちろんそれはヴェイルも感じ取っていた。
杖を手にした瞬間から自身に満ち溢れる謎の感覚、ヴェイルはそれを聖力だと解釈した。
ようやく感じられた力の奔流が、今にも暴れたいと叫んでいた。
きっと今なら……
切っ先をレスウルフに向けたヴェイルは頭の中で術式を描いた。
自由に、まるで幼子がクレヨンで描いた落書きのように、それでいて洗練された数式のように。
「なっ………これって……ニヴルヘイム様の…!」
巨大な幾何学模様、それもどうやったら描けるのかティアナにすら分からないほど複雑なものが幾重にも重なる。
思い描いたのはフェルミアが彼と別れる直前に創り上げた聖術だった。
白い術式の中心に生まれたそれは形が定まらず中の見えない白球だ。
「うそ…本当に……」
フェルミア・N・ニヴルヘイムは天才だ、そして彼女の生み出した聖術は難解で理解が困難、運用にまで至った人数は本当に少ない。
その聖術の神髄の一端を、先ほどまで聖術の扱えなかった少年が発動させようとしていた。
「……霧聖術……!」
「ぐるっ…!?」
レスウルフは動けなかった、彼がその聖術を発動させようとした瞬間に本能で悟ってしまったのだ。
今から、俺はこいつに殺される。
今までティアナとヴェイルが味わっていた恐怖を今度はレスウルフ自身が感じていた。
白球がうめき声をあげながら動き始める。
ああ、やっとフェルミィと創った聖術を扱えるんだ
笑みを浮かべ人生初の聖術を放とうとした
その時だった
びりっと、彼の握る杖に黒い稲妻が走った。
それは、聖術の色をしていなかった。
ぱりん
そして、術式が割れて消失、聖術は不発に終わった。
「え?」
思わず目を見開いて、口が半開きになってしまう。
「うそでしょ!?」
自信に満ち溢れていたヴェイルの顔は一瞬で腑抜けたものへと変わってしまった。
術式は完璧に構築されていた、それに流す聖力の量だって過不足なかった。
失敗する要素などなかったはずだ。
あっけにとられたのはヴェイルだけではない、横で見ていたティアナも似た表情を浮かべていた。
だが、危険な相手に生まれた隙を見逃してくれるほど、野生の化け物は甘くなかった。
「ぐるぅあぁっ!!!」
大地が揺れた。
レスウルフが動き出した。
今しかない、こいつを殺すタイミングは今しかない、そう直感が告げたのだ。
低い姿勢から始まった加速はすぐに最高速へ、鋭い爪が気付けばヴェイルの目の前に。
「ぐっ!?」
咄嗟にノッテ・ブレッダで受ける。
ガキン!!
剣と爪が衝突する重い音がする。
強度ならば間違いなく杖が有利、衝突した爪を砕くことすら簡単だろう。
だが、使い手があまりにも未熟だった。
「うわっ!?」
拮抗は一瞬のみ、力任せに振るわれた腕にヴェイルは吹き飛ばされてしまう。
戦闘経験が浅く身体強化術も使えないヴェイルには目の前のレスウルフは荷が重すぎた。
ゴロゴロと身体が草原を転がる。
レスウルフはその隙を見逃さない、すぐさま追撃に移る。
「ぐっ…これは……きつい…!」
再び爪と剣がぶつかり合うも結果が変わることはない。
倒れたヴェイルに上から覆い被さり、もう一度爪を振るおうとする。
ガキン!!
すんでのところでなんとか剣をぶつける。
今度は背中には地面、身体が飛ばされることもない。
だが飛ばされないだけであり、拮抗できるなんて夢のまた夢だ。
ギリギリと全力で押しているからか剣を持つ腕が震える。
対してレスウルフはどんどん体重をかけそのままヴェイルを掻き切るつもりでいた。
「ぐるる……!!」
「ぐうぅ……!」
押された剣の刃がヴェイルの肩に食い込もうとした。
「セン・ウィンド!!」
離れたところから声がした。
声と共に打ち出された風の刃はレスウルフへと向かう。
しかし狙われている化け物は意に介さない、受けたところで痛くもないことを知っているからだ。
そんなものよりこいつを潰すのが先だ、そう考えた。
だが、狭められたその思考が命取りになった。
ザシュッ!!
薄い風の刃は気にも留めなかった相手を切り裂いた。
ティアナが狙ったのは聖術を弾く硬い体毛で覆われた体ではない、ヴェイルしか映ってない黄色の瞳だ。
「きゃうん!?」
突然の激痛に半分になった視界、レスウルフはヴェイルどころではなくなってしまった。
上から飛び退き、ヴェイルはようやく立ち上がることができた。
「あら、お姉さんのことをも見てくれないと寂しいわ」
聖術を打ち出した杖で割れた鍔の帽子をくいっと持ち上げる。
肩で息をしながらも不敵に笑うティアナは頼もしかった。
「ありがとうございます!!」
「止まった的になら当てるのは簡単よ」
離れたレスウルフの片目からはぼたぼたと血が絶え間なく垂れている、あまりの苦痛にこれまでにないほど顔を歪ませている。
「ぼうや、さっきの術は何があったの?」
先ほどヴェイルが発動させようとしていた聖術は、術師であるティアナの目から見ても完璧に発動していた。
もしあれが発動していたのならば、この危機を脱する最大の切り札となっていたのだろう。
「わかりません」
「じゃあ…」
別の突破口を再び探さなければならない。
「でも、ティアナさんの術をもう一回見て確信しました」
しかしヴェイルは見つけた。
彼が術式を破綻させ発動できなくしてしまった原因を、レスウルフの猛攻を凌ぎながらも冷静に考察して探り当てたのだ。
「変な性質なんですよ、僕の聖力、既存の術式を破綻させてしまうぐらいに」
ヴェイルから立ち上る気味の悪い雰囲気は彼の聖力で、それこそが術式破綻の原因なのだ。
「そんなっ!?」
ティアナは言葉を失った。
なぜならば術式を破壊してしまうほど異常な聖力など聞いたこともないからだ。
それが意味することはヴェイルは引き続き聖術を扱えないということに他ならない。
ああ、ようやく杖を手にしたというのに世界はここまで彼を見放すか。
ティアナはまた現実の残酷さを恨んだ。
だが、ヴェイルにとってこの程度は絶望にすらならなかった。
「ティアナさん、もう一度だけ踏ん張ってもらえませんか」
次の手をすでに考えていた。
何をすればいいのか、何をすればこの局面を打開できるのか、その答えはすでに出ていた。
「いいけど、どうするのかしら?」
きっと彼ならば何かを成し遂げてくれる、そんな確信の元、再び激痛を受け命を預ける覚悟を決めた。
「そんなの簡単ですよ」
彼女の熱の籠った瞳に対して、ヴェイルは自信の籠った返答をした。
「作るんですよ、僕に合う術式を」
ノッテ・ブレッダが赤黒いオーラを纏い、レスウルフの唸り声が空気を震わせた。
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