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第5話:初めての温もりと、やさしい回復食


悪党たちを一掃し、静寂を取り戻した公爵邸。

私はひどく怯えて震え続けているノア様を、ふわりとした最高級の毛布で包み込み、屋敷で一番日当たりが良く、暖炉の火が赤々と燃える暖かい客間へと移動した。


「まずは医師を。治癒師も呼んでください。傷の記録も取ります。後で正式な証拠になりますから」


前世の保育士としての経験が、私に冷静な手順を取らせていた。

虐待を受けた子供には、まず安全確保。

次に身体状態の確認。

そして、無理のない範囲で清潔と栄養を取り戻すこと。


駆けつけた医師と治癒師は、ノア様の痩せ細った体と青痣を見て、言葉を失っていた。

しかし私が睨みを利かせると、すぐに丁寧な診察と最低限の治癒を始めてくれた。


「急に大量の食事を与えるのは危険です。胃腸が弱っています」

「分かっています。まずは少量の回復食を、時間を置いて何度かに分けます」


私が即答すると、医師は驚いたように目を見開いた。

伊達に前世で、アレルギー対応や離乳食、体調不良時の食事を学んできたわけではない。


診察が終わると、次は入浴だ。


「さあ、冷え切ったお体を綺麗にしましょうね。怖かったら、足だけでも大丈夫ですよ」


隣接する浴室には、大理石の立派なバスタブがある。

私は前世の記憶と共に覚醒した最低限の生活魔法を使って、たっぷりの綺麗なお湯を沸かし、医師にも確認してもらいながら温度を調整した。


この世界の貴族令嬢は、日常生活に必要な火や水の魔法を幼い頃に習う。

リリアーナも例外ではなかったらしい。

前世の世界にはなかった便利機能に、私は心の中で小さく感動していた。


「お湯に入りますよ。熱くないですか?」


私が優しく問いかけると、ノア様はビクッと小さな肩を揺らし、叩かれるのを待つようにギュッと目をつむった。


私は決して無理強いせず、足先からゆっくりとお湯に浸からせた。


「……あ、あったかい……」


ノア様の小さな唇から、吐息のような舌足らずな言葉が漏れた。

冷え切って蒼白だった頬が、湯気の温かさでほんのり桜色に染まっていく。


(あああああ! 天使! お湯に浸かる神聖な大天使がここにいるわ!!)


荒ぶる母性を深呼吸で押さえ込みながら、私は柔らかい天然海綿に、刺激の少ない石鹸の泡をたっぷり立てた。


「痛くないように、優しく洗いますからね。お目々に泡が入らないように、ぎゅっとしていてくださいね」


ゴシゴシ擦るような乱暴な真似は絶対にしない。

絹ごし豆腐を扱うより慎重に、泡の力だけで撫でるように汚れを落としていく。


その小さな体には、痛々しい青痣や擦り傷がいくつもあった。

見るたびに、さっき拘束させたメイド長たちを物理的に粉砕しなかったことを激しく後悔したが、今は目の前の天使のケアが最優先だ。


温かいお湯。

カモミールの香り。

優しい手のひらの感触。


それに安心したのか、ノア様の強張っていた表情が、少しずつ、本当に少しずつ緩んでいった。


お風呂上がり。

ふかふかの特大バスタオルでノア様を包み、銀色の髪を乾かした後は、食事の時間だ。


私は厨房から新鮮な食材を集め、客間の小さな暖炉で特製の回復食を作った。


コトコト、コトコト。


お鍋から、ふんわり甘く優しい匂いが立ち上る。

前世の知識をフル稼働させた、特製ミルクパン粥スープだ。


細かくすりつぶしたカボチャとニンジン。

柔らかく煮込んだ白いパン。

消化に良く栄養価の高いヤギのミルク。


ただし、最初は小さな木椀に半分だけ。

いきなり大量に食べさせるのは厳禁だ。


「ふー、ふー……。はい、あーん、して?」


スプーンでほんの少しだけ掬い、息を吹きかけて適温まで冷ます。


ノア様は、ベッドの上にちょこんと座ったまま、スプーンと私の顔を交互に見た。

毒でも入っているのではないか。

食べようとした瞬間に取り上げられるのではないか。

そんな警戒心が、青い瞳の奥に見える。


「大丈夫ですよ。ゆっくりでいいです。食べたくなかったら、無理に食べなくても大丈夫」


私が急かさずに微笑むと、ノア様はおずおずと口を開き、小鳥がついばむように一口だけ飲み込んだ。


その瞬間。


「……っ!」


ノア様の青い瞳が、パチクリと大きく見開かれた。


ミルクの優しい甘さ。

野菜の旨味。

冷え切った体の奥からじんわり広がる温かさ。


それは彼がこの三年間、ほとんど味わったことのない幸福だったのだろう。


「おい、ちい……?」


「ええ、美味しいでしょう? でも、今日は少しずつですよ。お腹がびっくりしないように、ゆっくり食べましょうね」


「おいちい……これ、あったかくて、すっごくおいちいでしゅ……!」


ノア様の顔に、パッと満開の花が咲いたような光が宿った。


(うっ……! 尊い……っ! 私の作った回復食で、推しの目に光が……っ!)


心の中で特大のガッツポーズを決めながら、私は少しずつ、時間をかけてスープを口に運んだ。

木椀半分を食べ終えたところで、医師の指示通りいったん終了。

物足りなさそうな顔をするノア様には、「また少ししたら食べましょうね」と約束する。


「ごちそうさまでした。お腹、苦しくないですか?」


口元を柔らかい布で拭いてあげてから、私が空いた椀を片付けようと立ち上がった、その時だった。


――きゅっ。


「……え?」


私のドレスの裾が引かれた。

振り返ると、ベッドの上に座っていたノア様が、震える小さな手で私の服の裾をぎゅっと握りしめていた。


「……いかないで」


上目遣いで、すがるように私を見つめる青い瞳。

その舌足らずで、甘えるような切実な声。


(――ッッ!! クリティカルヒットォォォォォ!!)


私の心臓は、この破壊力により完全に射抜かれた。

こんなにも愛おしい手を振り払って片付けを優先するなんて、宇宙がひっくり返ってもできるわけがない。


「……ええ。どこにも行きませんよ。ずっと、ノア様のそばにいますからね」


私は片付けを潔く諦め、再びベッドの傍らに座り直した。

眠りにつこうとする小さな背中を、優しく、優しくトントンと叩き始める。


ノア様は、私の裾を握ったまま、安心したように目を閉じた。


この小さな手を、もう二度と恐怖で震えさせない。

私は静かに、そう誓った。


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