第37話:甘い夜。新たなる家族の予感
「……ノアも可愛いが、そろそろノアに、弟か妹をプレゼントしたいと思うのだが」
満天の星空が広がるバルコニー。
夜風の冷たさなど一切感じさせないほど、アレクシスの低く熱を帯びた囁きは、私の耳元から全身へと甘い痺れを行き渡らせた。
「お、弟か妹、ですか……っ」
「ああ。ノアがずっと欲しがっていたからね。それに……私自身が、君と私の愛の結晶を、この腕に抱いてみたいと切望している」
アレクシスは私の腰を抱き寄せていた腕にさらに力を込め、私の首筋に深く、独占欲に満ちたキスを落とした。
その言葉の意味するところを理解して、私の顔は一瞬にして火が出るほど赤く染まってしまう。
「さあ、私たちの寝室へ行こう。……今夜は朝まで、君を誰にも、絶対に渡さない」
アレクシスは私を横抱きに抱え上げると、バルコニーから豪奢な廊下へと足を踏み入れた。
だが、主寝室へ向かうその途中。私はふと、隣の部屋の扉の隙間から漏れる微かな魔力灯の光に気がついた。
「旦那様、お待ちください。……少しだけ、ノア様の様子を見ていってもよろしいですか?」
私が控えめにねだると、アレクシスは「君は本当に、いつでも母親だな」と苦笑しつつも、優しい手つきで私を下ろしてくれた。
そっとノア様の部屋の扉を開ける。
そこには、私が手作りしたウサギのぬいぐるみを抱きしめ、ふかふかのベッドの中でスースーと『安心しきった無防備な寝顔』を見せるノア様の姿があった。
かつては夜泣きを繰り返し、何かに怯えるように丸まっていた彼が、今ではこんなにも平和で満ち足りた寝息を立てている。
それだけで、私の胸は温かい涙で溢れそうになる。
「ノア様……おやすみなさい。いい夢を」
私がベッドに近づき、はみ出していた毛布をそっと肩まで掛け直そうとした、その時だった。
「んぅ……おかあさま……」
寝返りを打ったノア様が、その『小さな手』を無意識に伸ばし、私のネグリジェの『服の裾をぎゅっと力強く握り』しめたのだ。
そして、むにゃむにゃと口を動かしながら、とろけるように甘い『舌足らずな言葉』を紡いだ。
「あかちゃん……ぼくが、よしよしして、あげるの……えへへ……」
「……っ!」
なんという殺傷能力。なんというあざとい可愛さ。
夢の中でまで、まだ見ぬ弟や妹を可愛がろうとしているノア様の尊すぎる姿に、私の限界突破した母性愛は大爆発を起こし、その場で崩れ落ちそうになった。
「ほら、ノアもこうして楽しみにしている。……私たちも、親として彼の期待に応えなければならないな」
背後からアレクシスの大きな手が伸びてきて、ノア様が握っていた私の裾をそっと優しく解いた。
そして、私を再び抱き上げると、今度こそ二人きりの主寝室へと歩みを進めた。
重厚な扉が静かに閉まり、カチャリ、と鍵が掛けられる。
部屋の中央に鎮座する、天蓋付きの広大なベッド。
アレクシスは私をその最高級のシルクのシーツの上にそっと下ろすと、自らもベッドに上がり、私の上に覆い被さるようにして手をついた。
「……リリアーナ」
月明かりに照らされた彼の顔を見て、私は思わず息を呑んだ。
そこにあるのは、王宮で誰もが恐れる「氷の公爵」の面影など微塵もない。
ただ一人の女性への重すぎる愛と執着に完全に溶かされ、熱に浮かされ、だらしなく崩れた……ひどく色気のある大人の男の顔だった。
「旦那様……」
「アレクシス、だ。……二人きりの時は、名前で呼んでほしいといつも言っているだろう?」
彼が私の髪を優しくすくい上げ、その銀糸のような髪の束に唇を寄せる。
ぞくり、と背筋に甘い電流が走った。
「ア、アレクシス、様……」
「ああ、いい声だ。君のその声で名前を呼ばれるだけで、私はどうにかなってしまいそうになる」
アレクシスは私の額に、瞼に、鼻先に、まるで壊れ物を扱うような息が詰まるほどの過保護な手つきで、何度も何度もキスを落としていく。
そして最後に、私の唇を、甘く、深く、情熱的に塞いだ。
「んっ……ぁ……」
絡み合う舌先と、熱い吐息。
彼から注がれる愛情は、時に重すぎて溺れてしまいそうになるけれど、今の私にとってはそれが何よりも心地よい。
彼がいなければ、私はきっと呼吸さえうまくできない。
「リリアーナ……愛している。私の魂も、命も、この世界のすべては君のものだ。君がいない世界など、私は一秒たりとも生きていけない」
唇を離したアレクシスが、切実な瞳で私を見つめて囁く。
その狂おしいほどの執着の言葉に、私は両腕を彼の逞しい首に回し、自ら彼を引き寄せた。
「私も……私も愛しています、アレクシス様。あなたの重い愛も、その全部を……私が受け止めますわ」
私のその言葉が引き金となった。
アレクシスの瞳に、これまで抑え込んでいた理性のタガが外れるような、凶暴なまでの愛欲の炎が灯る。
「……後悔しても、もう遅いぞ。朝まで、君を泣かせてしまうかもしれないからな」
その言葉と共に、アレクシスの大きな手が私のネグリジェの紐に掛けられ、夜の静寂の中に衣擦れの甘い音が響いた。
重なり合う肌と肌。
触れるたびに熱が帯び、互いの鼓動が一つに溶け合っていく。
かつて「君を愛することはない」と言い放った冷酷な夫は、今や私という存在なしでは生きられないほどの激しい情熱で、私のすべてを甘く、激しく、そしてどこまでも過保護に愛し尽くしていく。
愛おしくて、切なくて、頭の先まで蕩けてしまいそうな、極上の夜。
私たちは互いの体温と深い愛情を確かめ合うように、何度も何度も重なり合い、新たなる命の予感を抱きながら、果てのない甘美な時間へと落ちていった。
世界で一番幸せな悪役継母と、氷を溶かされた過保護な公爵。
彼らの紡ぐ愛の物語は、こうして一つの完全な結実を迎えたのだった。
――それから、数年の月日が流れた。




