第34話:父と息子の陣取り合戦
公爵邸での魔法お披露目パーティーが大成功に終わり、ノア様の「天才魔導師」としての名声は、瞬く間に王国中に轟き渡った。
かつて彼を「前妻の呪われた子」などと蔑んでいた愚かな貴族たちは、今や公爵邸にすり寄るためのご機嫌伺いの手紙を山のように送りつけてきている。
もちろん、アレクシスはそれらの手紙を冷酷な笑みを浮かべながら暖炉の火にくべ、「我が家族に近づく羽虫は全て氷漬けにする」と息巻いていた。
相変わらず、狂犬レベルの過保護っぷりである。
さて、そんな外野の騒ぎなどどこ吹く風。
私たちの完全な安全地帯である公爵邸のサロンには、今日も朝からとびきり甘くて平和な時間が流れていた。
「さあ、お茶の準備ができましたよ。今日は特別に、私が考案したレシピで焼いた、蜂蜜と林檎のパウンドケーキですわ」
私が、湯気を立てる紅茶と、ふんわり甘い匂いの焼き立てケーキをテーブルに並べると、奥の扉からトテトテと可愛らしい足音が聞こえてきた。
「あーっ! おかあさま、あまいいいにおいがするー!」
銀色の髪を揺らし、青い瞳をキラキラ輝かせたノア様が、サロンに駆け込んでくる。
お披露目パーティーでは堂々と威厳に満ちた魔法を披露していたというのに、私の前では、やっぱりただの純粋で可愛い三歳の男の子だ。
「ええ、ノア様の大好きなケーキですよ。たくさん食べてくださいね」
「わぁい! ぼく、おかあさまのおとなり、すわる!」
ノア様はとびきりの笑顔を咲かせると、私が座ろうとしていたソファの隣へまっしぐらに向かってきた。
そして、その小さな手で私のドレスの裾をぎゅっと握りしめ、よじ登るようにして私のすぐ隣にぴたりとくっついて座る。
「えへへ……おかあさま、いいにおい。ケーキとおんなじ、あまいにおいがするの……」
とろけるように甘い舌足らずな言葉。
ああ、もう。なんでこんなに可愛いのかしら。
私の限界突破した母性愛のメーターは、朝から軽々と天井を突き破っている。
しかし、私がノア様を愛でようと両腕を広げた、まさにその時だった。
「……待て、ノア。そこは私の場所だ」
背後から、ひどく低い、しかしどこか大人気ない響きを帯びた声が降ってきた。
振り向くと、休日の部屋着姿にもかかわらず隠しきれない王者のオーラと、強烈な嫉妬の炎を燃やしたアレクシスが立っていた。
「おとうさま?」
「リリアーナの右隣は、夫である私の特等席だ。さあ、ノアは向かいの席に座りなさい」
アレクシスは当然のような顔で、ノア様を向かいのソファへ移動させようと手を伸ばした。
しかし、ノア様も負けてはいない。
私の服の裾を握る手にさらに力を込め、私の背中に隠れるようにしてアレクシスをキッと睨み返した。
「やだ! ぼく、おかあさまのおとなりがいい! ずっとおとなりでおかし、たべるんだもん!」
「いけないな、ノア。もう立派な魔導師としてお披露目も済ませたというのに、いつまでも母親に甘えていてはダメだ。自立心を養うためにも、一人で向かいに座りなさい」
「おとうさまだって、いつもおかあさまに『リリアーナ、君がいないと生きていけない』って、すりすりしてあまえてるじゃないか!」
「なっ……! そ、それはっ……!」
三歳児の思わぬカウンターパンチを食らい、アレクシスの端正な顔がカッと朱に染まる。
氷の公爵ともあろうお方が、たった三歳の息子を相手に本気の口喧嘩をしているのだ。
(ふふっ、二人とも本当に大人気ないんだから……でも、尊い!)
かつて「君を愛することはない」と冷酷宣言を突きつけた男が、今や私の隣の席を巡って息子と本気の陣取り合戦を繰り広げている。
原作ゲームでは、愛情に飢え、冷え切った関係の果てに悲劇的な結末を迎えるはずだった父と息子が、今はこんなにも温かく、愛に満ちた喧嘩をしている。
それがたまらなく嬉しくて、私は思わずくすくすと笑った。
「二人とも、争わないでくださいな。ソファは広いですから、私の左隣にも座れますよ?」
私が提案すると、アレクシスとノア様は顔を見合わせ、まるで雷に打たれたような顔をした後――。
「「私が、ぼくが、右隣だ!!」」
またしても同じ右隣の席を巡って争い始めてしまった。
最終的に、右隣にノア様、左隣にアレクシスという形でお茶会が始まった。
「リリアーナ、ほら。美味しいところだ。あーん、して」
「おかあさま、こっちも! ぼくのいちご、あげる!」
右から可愛い声で苺を差し出され、左から熱を帯びた瞳でケーキを差し出される。
心ゆくまで溺愛されるこの状況は、まさに世界一幸せな悪役継母の特権だ。
「ふふふっ、ありがとうございます。二人とも、私には勿体ないくらい優しくて、かっこいいですわ」
私がそう言って二人の頭を交互に撫でてあげると、父と息子は揃って照れたように顔を逸らした。
その仕草までそっくりで、本当に愛おしい家族だと思う。
賑やかなお茶会が終わり、お腹いっぱいになったノア様は、遊び疲れて完全に夢の中へ旅立っていた。
私の膝枕の上で、気持ちよさそうにスースーと安心しきった寝顔を見せている。
向かいのソファで公務の書類を読んでいたアレクシスが、ふと顔を上げた。
「……ノアは、本当に君に懐いているな。昔の心を閉ざしていた姿が嘘のようだ」
「ええ。ノア様は、本当に素直で良い子ですわ。旦那様が、私とノア様をこうして安全な城で守ってくださっているおかげです」
「当然だ。君たちを守るためなら、私はどんなことでもする」
アレクシスは立ち上がると、私の隣にそっと腰を下ろし、私の肩を抱き寄せた。
「ところで、リリアーナ」
「はい、旦那様?」
「来週は……君の二十一歳の誕生日だな」
「あ……」
そう言われて、私はすっかり忘れていた自分の誕生日を思い出した。
ノア様を守ることに必死で、自分のことなど後回しになっていたのだ。
「もちろん、盛大に祝うつもりだ。君の望むものは、空の星以外なら全て用意する」
「だ、旦那様、そんな大げさな……私は、こうして家族三人で笑っていられれば、それだけで十分――」
「ダメだ」
アレクシスは私の言葉を甘く遮り、私の唇に軽くキスを落とした。
「私からの、君への愛の証明だ。……ノアにも負けない、最高のプレゼントを用意してある。楽しみにしていてくれ」
その意味深で熱い視線に、私の心臓がドキンと跳ねた。
この重すぎる溺愛夫と、あざと可愛い天才義息子の間で、私の誕生日は一体どんな一日になってしまうのだろうか――。




