表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
32/40

第32話:常軌を逸した過保護の始まり

王宮でのあの断罪劇から、数日が過ぎた。

第一王子派閥は解体され、私の実家であるフェルゼン伯爵家も爵位剥奪の上で強制労働。

私たち家族を脅かす影は、この国のどこにも存在しない。

公爵邸は今、文字通り世界で最も平和で、甘やかな空気が流れる「完全な安全地帯」となっていた。


しかし、平和が訪れたのと引き換えに、我が家の家主であるアレクシスの様子が、いよいよ本格的におかしくなっていた。


「……旦那様。あのご相談があるのですが」

「動かないでくれ、リリアーナ。そのまま、じっとしていてほしい」


朝の陽だまりが差し込むサロン。私がソファから立ち上がろうとした瞬間、アレクシスの低く甘い声に制止された。

彼は手に持っていた公務の書類を迷いなくテーブルに放り出し、流れるような動作で私の隣へ移動すると、当然のように私を横抱き——いわゆるお姫様抱っこで抱え上げたのだ。


「だ、旦那様!? またですか!? 私はただ、あちらの窓を開けようとしただけで……!」

「窓まで歩けば、床の冷えが君の体温を奪うかもしれない。それに、もし躓いてその白い肌に掠り傷でもついたら、私は正気でいられる自信がないんだ」


アレクシスは真剣そのものの表情で、私の腰を支える腕に力を込めた。

かつて「氷の公爵」と恐れられた宰相の瞳は、今や私への重すぎる執着と過保護な熱に浮かされている。

ちなみに、今は初夏だ。床には毛足の長い最高級の絨毯が敷き詰められており、冷え込む要素など微塵もない。


「旦那様、さすがにこれは過保護が過ぎますわ。私、自分の足で歩けますもの」

「ダメだ。君は我が家の至宝であり、私の魂そのものだ。指先一つ、不自由な思いはさせたくない」


結局、私は窓際まで「運搬」され、そこでようやく地面に下ろされた。

アレクシスは満足げに私の額にキスを落とすと、今度は私の喉元をじっと見つめ始めた。


「リリアーナ、今、少し咳をしたか?」

「え? いえ、今のは喉が少しムズムズしただけで……」

「ダメだ。すぐに国中の名医を呼び集めよう。王宮の最高級の薬草もすべて取り寄せさせる。今日はもう、一歩もベッドから出ずに休むんだ。私もすべての公務をキャンセルして、一日中君のそばで看病しよう」

「旦那様、落ち着いてください! 本当になんでもありませんから!!」


咳一つで国家レベルの騒動を起こそうとする夫を必死になだめる。

これが、ここ数日の私たちの日常だった。

アレクシスは、私が少し動くだけで「危ない」と抱き上げ、少し顔色が悪いと言えば「至急医師を!」と叫び、庭を歩こうとすれば「石に躓くといけない」とおんぶを申し出る。

もはや「狂犬」を通り越して、重度の心配性が限界突破した「溺愛モンスター」と化していた。


「……おかあさま、おとうさま、なにしてるの?」


ふいに、サロンの入り口から天使のような声が響いた。

見れば、お昼寝から起きたばかりのノア様が、眠たそうに目をこすりながら立っていた。


「ノア様! おはようございます。今、お父様とちょっとした『運動』をしていたところですよ」

「むにゃ……そうなんだぁ。おとうさま、おかあさまを、ぎゅーってしてるの?」


ノア様はトテトテと歩み寄ると、私のドレスの『服の裾をぎゅっと力強く握り』しめた。

その『小さな手』の感触に、私の母性愛は一気に沸点を超える。


「ああ、ノア様! なんて可愛らしいお姿なの……! さあ、お母様のところへいらっしゃい!」

「うんっ! おかあさま、だーいしゅき!」


ノア様が私の胸に飛び込もうとした瞬間。

どこからともなく伸びてきたアレクシスの長い腕が、空中でノア様をひょいと捕獲した。


「……ノア。今のリリアーナは非常にデリケートな状態だ。あまり勢いよくぶつかってはいけない。私が君を抱いて、ゆっくりとリリアーナの隣へ運ぼう」

「えぇー! ぼく、じぶんで、いけるもん!」


『舌足らずな言葉』で抗議する息子に対し、アレクシスは慈愛に満ちた、しかし一切の妥協を許さない顔で頷く。

結局、ノア様もアレクシスの腕の中で運ばれ、私の隣にそっと慎重に配置された。


「……おとうさま、やりすぎだよぉ」

「いや、これが家族を守るための正しい危機管理だ」


アレクシスは、私とノア様を両腕でまとめて包み込むように抱き寄せた。

その瞳は、もはや私たち以外の一切を視界に入れていない。

私たちが呼吸をしているだけで感動し、私たちが笑うだけで世界を祝福しそうなほどの、圧倒的な溺愛の奔流。


(旦那様……。確かに愛されているのは嬉しいですけれど、このままでは私、足が退化して歩けなくなってしまいますわ……)


内心で現代知識全開のツッコミを入れつつも、アレクシスの腕の温もりと、隣で甘えるノア様の柔らかさに、私はどうしても顔が綻んでしまう。

かつて自分を惨殺するはずだった「未来の魔王」は、今では私がいなければ眠ることもできない甘えん坊の三歳児。

そして、冷酷無比だったはずの「氷の公爵」は、私のために国を投げ出す覚悟さえある溺愛夫。


この屋敷という名の安全地帯で、私たちは、世界で一番甘くて重たい、幸せな時間を紡いでいた。


その夜。

たっぷりと栄養のある夕食(アレクシスにスプーンで食べさせられそうになったが、全力で阻止した)を終え、ノア様の寝かしつけの時間になった。


「おかあさま……あしたも、いっしょに、あそぼうね……」


ノア様は私の指を『小さな手』で握り、安らかな寝息を立て始めた。

私が作ったおもちゃに囲まれて、何にも怯えることなく見せる『安心しきった無防備な寝顔』。

その頬にそっとおやすみのキスを落とすと、背後からアレクシスが音もなく忍び寄り、私の腰をそっと抱き寄せた。


「ノアが寝たな。……ようやく、私の時間だ」


アレクシスの声が、低く熱を帯びる。

ノア様を寝かせた後の「看病」という名目の溺愛タイムが始まろうとしていた。


「旦那様、もう元気ですから、看病は必要ありませんわ」

「いいや。君が今、瞬きを一回多くした。これは疲労のサインだ。今すぐ私が抱いて自室まで運び、朝までじっくりと愛を注いで癒してあげなければならない」


「……はあ。もう、好きになさってくださいませ」


私は諦めて、アレクシスの首に腕を回した。

こうなると、何を言っても無駄なことはここ数日で学んでいたからだ。


幸せすぎて、少しだけため息が出る。

でも、そんな贅沢な悩みすらも、今の私にとっては愛おしいギフトだった。


――しかし。

そんな甘い日常の最中、公爵邸のポストに一通の豪奢な封筒が届けられた。

それは、成長したノア様の魔法の才能と、公爵家の安泰を国内外に知らしめるための、「ノアのお披露目パーティー」に関する企画書。


家族三人の本当の幸せを、世界に見せつける時が近づいていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ