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第3話:対面。震える小さな天使

氷の公爵様――アレクシスとの最悪な初対面(というより一方的な冷酷宣言)を華麗にスルーした私は、足早に邸宅の奥へと向かっていた。


(ああ、どうしよう! どんなお顔でご挨拶しようかな!)


胸の鼓動が、早鐘のように鳴り響いている。

純白のウェディングドレスの裾が擦れる音すらもどかしい。

私の頭の中は、これから出会う愛しの推し――義息子であるノア様(三歳)のことで完全に占められていた。


前世の保育士としての経験が、私の背中を力強く押している。

初めて会う子供には、とにかく安心感を与えることが最優先だ。

しゃがんで目線を合わせ、とびきり優しくて明るい、満面の笑顔で話しかけよう。

「今日からあなたのお母様になる、リリアーナですよ」と。


想像するだけで、緩みきった頬が戻らない。

しかし、案内するメイドの足取りが屋敷の奥へ奥へと進むにつれ、私の浮かれた気分は徐々に冷や水を浴びせられたように冷えていった。


(……おかしいわね。ここは公爵邸のはずなのに)


絢爛豪華だった本館の装飾はいつの間にか姿を消し、廊下は薄暗く、床の絨毯すら敷かれていない。

窓からは隙間風が吹き込み、まるで地下の牢獄へ向かっているかのような陰鬱な空気が漂っていた。

そしてメイドは、屋敷の最も日当たりの悪い、奥まった部屋の前で立ち止まった。


「こちらが、ノア坊ちゃまのお部屋でございます」


メイドの声には、隠しきれない侮蔑の色が混じっていた。

公爵家の嫡男に対する態度とは到底思えない。


「……下がってちょうだい」


私はメイドを冷たく一瞥し、自らの手でその古びた木製の扉を開けた。

ギィ、と耳障りな音を立てて扉が開く。


その瞬間、私の鼻腔を突いたのは、埃とカビ、そしてひんやりとした冷気だった。


「……嘘、でしょ」


声が震えた。

部屋の中は薄暗く、外は暖かな季節だというのに、暖炉に火の気はなく、底冷えするほど冷え切っていた。

家具といえば、古びた小さなベッドと粗末な机が一つあるだけ。

公爵家の、しかもたった一人の後継者が住む部屋とは、到底思えない劣悪極まりない環境だった。


そして、部屋の一番暗い隅っこ。

そこに、小さな、本当に小さな塊がうずくまっていた。


「……ノア、様?」


私がそっと呼びかけると、ビクッとその小さな肩が跳ねた。

ゆっくりと顔を上げたその子は、間違いなく私の愛してやまない「推し」だった。


月に透かしたような、美しい銀色のサラサラとした髪。

氷のように透き通った、吸い込まれるような青い瞳。

しかし、その姿はあまりにも痛ましかった。


彼は信じられないほど痩せこけており、服はひどく汚れ、サイズも合っていない薄っぺらなシャツを一枚着せられているだけだった。

暖炉のない極寒の部屋の中で、ガタガタと小刻みに震えている。


「ひっ……!」


私が一歩近づくと、彼は小さな悲鳴を上げて壁にすがりつくように後ずさった。

膝を抱え込んでいるその『小さな手』は、枯れ枝のように細く、痛々しいほどの青痣がいくつも刻み込まれていた。

本来なら、マシュマロのようにふっくらと柔らかく、温かいはずの三歳児の小さな手が、命の危機に怯え、必死に自分自身を抱きしめているのだ。


「ごめんなたい、ごめんなたい……っ! もう、おねしょうしまてん……だから、ぶたないでぇ……っ」


恐怖に見開かれた青い瞳からポロポロと大粒の涙をこぼし、震える唇から『舌足らずな言葉』が紡がれる。

どうして、三歳の無垢な子供が、こんなふうに必死に謝り続けなければならないのか。


使用人たちだ。

彼らはノア様を「前妻の呪われた子」としてネグレクトし、あろうことか暴力などの虐待すら加えていたのだ。

原作ゲームの知識が、最悪の形で目の前の現実と結びついた瞬間だった。


この子が、将来『魔王』になる?

世界を滅ぼす化け物として覚醒する?

……当たり前だ。冗談じゃない。

こんな残酷な環境に閉じ込められ、誰からも愛されず、暴力と暴言に晒され続ければ、誰だって心を壊してしまう。


「……ノア様」


私は純白のウェディングドレスが汚れることなど一切構わず、冷たく汚れた石の床に膝をついた。

ゆっくりと、彼を脅かさないように両手を広げる。


ノア様はヒッと息を呑み、「叩かれる」とばかりにギュッと目を強く瞑った。


胸が、張り裂けそうだった。

こんなに小さな子が、大人からの暴力に怯えきっている。

前世の保育士としての誇りと、ノア様への狂おしいほどの限界突破した母性が、私の心臓の奥底で赤々と、そして激しく燃え上がった。


絶対に、私が守る。

この冷え切った小さな体を私の体温で温め、美味しくて栄養満点のご飯をお腹いっぱい食べさせてあげる。

そしていつか必ず、私の腕の中で、三歳児らしい『安心しきった無防備な寝顔』を絶対に取り戻してみせる。

それこそが、新しい母親となった私の、命を懸けた使命だ。


私は彼に無理に触れるのをぐっと堪え、できる限り優しく、陽だまりのように温かい声をかけた。


「大丈夫ですよ。ノア様は、とってもいい子です。……私は、絶対にあなたをいじめたりしません」


私の言葉に、ノア様は恐る恐る目を開け、信じられないものを見るような目で私を見つめ返した。

その瞳の奥にある深い傷を癒やすには、途方もない時間と愛情が必要だろう。

けれど、構わない。私の人生は、すべてこの子のためにあるのだから。


それと同時に。

私の心の中では、この悲惨な惨状を作り出した者たちへの、絶対零度の怒りがどす黒く渦巻いていた。


可愛い推しを、私の大切な天使を傷つけた罪。

決して、生半可な罰で終わらせるつもりはない。


私はノア様に微笑みかけたまま静かに立ち上がると、ドレスの汚れを払い、扉の外に控えていたメイドに向かって振り返った。

その顔には、先程までの優しい母親の面影は一切ない。


「……今すぐ、メイド長をここに呼びなさい」


地を這うような、氷のように冷徹な声。

愛する我が子を害する悪者は、一人残らず物理的かつ権力的に粉砕する。

公爵夫人としての、徹底的なお掃除ざまぁの時間だ。

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