第23話:火傷覚悟の抱擁。死亡フラグ粉砕
ビューゥゥゥッ!!
部屋の中だというのに、まるで暴風雨の只中にいるようだった。
ノア様の小さな体から噴き出すドス黒い『魔力の奔流』は、周囲の空気を歪め、部屋中のあらゆるものを破壊し尽くしていく。
「リリアーナ! 戻れ! その魔力に直接触れれば、君の体がもたない!」
背後からアレクシスが悲痛な叫び声を上げる。
実際、宙を舞う家具の破片が私の純白のドレスを切り裂き、白い肌に赤いかすり傷を作っていた。
痛い。怖い。
一歩進むごとに、魔力の圧力は強くなり、まるで目に見えない炎に炙られているかのような熱さと激痛が全身を襲う。
(ああ、そうか。これが原作ゲームで世界を滅ぼした『魔王の力』……)
脳裏に、原作のバッドエンドの光景がフラッシュバックする。
魔王として覚醒し、冷酷な瞳で継母を惨殺する成長したノアの姿。
確定された死亡フラグ。回避不能の運命。
だが。
「……ふざけないで」
私は、血の滲む腕でバシッと自分の頬を叩き、気合を入れた。
「こないでぇぇっ! ぼく、ばけものになっちゃう……っ! おかあさまが、しんじゃうよぉっ!」
目の前で、三歳の幼い子供が、自分自身の力に怯え、大好きな人を傷つけてしまうかもしれない恐怖に泣き叫んでいるのだ。
ここで引き返して「あぁ怖かった」で済むなら、保育士なんて、母親なんて、とっくに辞めている。
死亡フラグ? 運命?
そんなちっぽけな設定で、私の限界突破した母性が止められるとでも思っているの!?
「私は、ノア様の宇宙一の『お母様』よッ!!」
私は歯を食いしばり、最後の力を振り絞って魔力の暴風の壁を突き破った。
バチバチッ!!
「あぐっ……!」
魔力の最深部に触れた瞬間、焼け焦げるような激痛が私の両腕を走った。
肌が焼け、容赦なく体力が奪われていく。
それでも、私の腕は迷うことなく、ベッドの上でうずくまる小さな体を、力いっぱい、ぎゅぅぅっ!と強く抱きしめた。
「ノア様!!」
「っ!? おか、あさま……!? だめっ、はなして! ぼく、こわいっ!」
ノア様がパニックを起こし、私を突き放そうともがく。
しかし、私は絶対にその手を離さなかった。痛くて熱いけれど、そんなものよりも、この小さな体が震えていることの方が、何万倍も辛かったから。
「いいえ、離しません! どんなノア様でも、私は絶対に手放したりしない!」
「でも……ぼく、みんなをこわしちゃう……っ! ぼくは、ばけものでしゅ……っ!」
泣きじゃくるノア様の耳元で、私はハッキリと、心の底からの真実を告げた。
「ノア様は化け物なんかじゃない。……私の、世界で一番大切な宝物よ」
「……え」
「こんな力で、私の愛が揺らぐとでも思いましたか? 大丈夫。私が全部、受け止めてあげますから。もう、一人で怖がらなくていいのですよ」
私が自分の命も顧みず、ただひたすらに無償の愛を注ぎ込みながら、彼に覆い被さるようにして抱きしめ続ける。
その瞬間だった。
ノア様の体から噴き出していたドス黒い瘴気のような魔力が、ピタリ、と動きを止めた。
そして、私の体温と愛情に呼応するように、黒い魔力は純白の温かい光へと浄化され、スゥッとノア様の体の中へと収まっていったのだ。
パァァァ……。
部屋の中に、魔法の光の残滓がキラキラと雪のように舞い散る。
あれほど吹き荒れていた暴風は完全に消え去り、そこには嘘のような静寂が訪れていた。
「……お、かあさま?」
腕の中で、ノア様が恐る恐る顔を上げた。
自分が誰も傷つけていないこと、そして私が今も変わらず、彼を抱きしめ続けていることを確認し、その氷のような青い瞳から大粒の涙がポロポロと溢れ出す。
「う、わぁぁぁぁんっ……! おかあさまぁっ! ごめんなたい、ごめんなたいっ!」
ノア様は私の胸に顔を埋め、わんわんと子供らしく声を上げて泣き出した。
その『小さな手』が、ボロボロになった私のドレスの『服の裾を力強く握り』しめ、絶対に離れないとばかりにしがみついてくる。
「もう……っ、おかあさまが、いなくなっちゃうかと……っ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、一生懸命に紡がれる『舌足らずな言葉』。
私の頬にも、堪えきれない安堵の涙が伝い落ちた。
「よしよし。もう大丈夫ですよ、ノア様。お母様はここにいます」
火傷を負った腕の痛みなど完全に忘れ、私は愛しい息子を全力で愛でるように、その背中をトントンと優しく叩き続けた。
(やった……っ! 勝ったわ! 原作の死亡フラグを、完全に物理でねじ伏せてやったわ!!)
心の中で、オタクとしての歓喜の雄叫びを上げていると。
「……リリアーナ!」
背後から、アレクシスが弾かれたように駆け寄ってきた。
彼はベッドに崩れ落ちるようにして膝をつくと、私とノア様ごと、その大きな腕でまとめて強く抱きしめた。
「だ、旦那様……?」
「無茶をするなと……あれほど、言っただろう……っ!」
耳元で響くアレクシスの声は、ひどく震えていた。
私を抱きしめる腕の力は、骨が軋むほど強いのに、どこか縋るように切実だった。
「君の腕……こんなに火傷を負って……。すまない、私がもっと早く魔力を抑え込めていれば……っ!」
天下の氷の公爵様が、完全に余裕を失い、後悔に顔を歪めている。
「君を愛することはない」と言っていた彼が、今は家族を失う恐怖に震え、必死に私たちを繋ぎ止めようとしているのだ。
「いいえ、旦那様。ノア様が無事だったのですから、これくらい名誉の負傷ですわ」
私が微笑んで見せると、アレクシスは痛ましそうに顔を伏せ、私の火傷を負った腕に、自らの魔力で治癒魔法をかけ始めた。
ひんやりとした光が傷を包み込み、痛みが嘘のように引いていく。
その様子を、私の腕の中で泣き止んだノア様が、じっと見つめていた。
そして、赤く腫らした目をこすりながら、決意に満ちた表情で口を開いた。
「……ぼくね、こわかったの。このおちからが、ばんばんってなって、みんながいなくなっちゃうのが」
ノア様は、アレクシスと私を交互に見上げ、その『小さな手』でギュッと拳を握った。
「でも、おかあさまが、ぎゅってしてくれたから。おとうさまが、おかあさまをなおしてくれたから……ぼく、もう、こわくない」
三歳の子供とは思えないほど、しっかりとした、力強い声だった。
「ぼく、このおちから……おかあさまと、おとうさまをまもるために、つかう! ぜったいに、もうだれもきずつけないよ!」
涙の跡が残る顔で、それでも真っ直ぐに前を向いて宣言するノア様。
それは、彼が「世界を滅ぼす魔王」ではなく、「家族を守る天才魔導師」として、完全に新しい運命のレールを歩み始めた瞬間だった。
「ええ、ノア様ならきっとできますよ。……私たちは、世界で一番強い家族ですからね」
私がノア様の額にキスを落とし、アレクシスが私たちの肩をさらに強く抱き寄せる。
どんな困難も、この三人なら絶対に乗り越えられる。
そう確信できるほど、温かくて完璧な絆が、そこにはあった。
しかし。
ノア様の中に眠る『強大すぎる魔力』が覚醒したという事実は、決して隠し通せるものではなかった。
王国の勢力図を塗り替えかねないその圧倒的な力は、公爵家を疎ましく思う王宮のハイエナたちの耳にも、確実に届こうとしていたのだった。




