第20話:中ざまぁ。氷の怒気と完全粉砕
パァァァンッ!!!!!
私が渾身の力を込めて振り抜いた右手が、実父の頬を強烈に打ち据え、彼を部屋の隅まで吹っ飛ばした、まさにその瞬間。
バンッ!!!
応接室の重厚な扉が、蹴り破られんばかりの凄まじい勢いで開け放たれた。
「……私の最愛の妻と息子に、その汚い口で何をほざいた」
部屋の入り口に立っていたのは、王宮から急遽駆けつけたのだろう、漆黒の軍服の上に銀色の軽鎧を纏ったアレクシスだった。
その背後には、抜刀態勢で控える公爵家の精鋭騎士団がズラリと並んでいる。
アレクシスから放たれる怒気は、私が先ほど見せたそれとは比較にならないほど、冷たく、重く、そして絶望的なほどに巨大だった。
部屋中の空気が一瞬で凍りつき、呼吸することすら困難に感じられる。
「だ、旦那様……!」
「……っ、こ、公爵閣下! お待ちくだされ! この出来損ないの娘が、突然父親である私に暴力を……っ!」
床に這いつくばり、腫れ上がった頬を押さえながら実父が見苦しい言い訳を叫ぶ。
しかしアレクシスは、実父を一瞥することすらしなかった。
彼は真っ直ぐに私の元へと歩み寄ると、私の背中に隠れて、ギュッと私の『服の裾を力強く握り』しめて震えているノア様の前に、静かに膝をついた。
「ノア。怖い思いをさせてすまなかった。……もう、大丈夫だ」
アレクシスがその大きな手で、ノア様の『小さな手』を優しく包み込む。
その顔は、彼方まで続く氷原のように冷酷な宰相のものではなく、ただ純粋に息子を案じる、不器用で温かい父親のものだった。
「おとう、さま……っ」
ノア様が『舌足らずな言葉』で涙ぐみながらアレクシスを見上げると、アレクシスはノア様をそっと抱き上げ、私に向かって静かに頷いた。
その瞳には、「あとは私に任せろ」という絶対的な信頼と、私の怒りに対する深い共感が宿っていた。
アレクシスは、腕の中にノア様を抱いたまま、ゆっくりと実父と義姉の方へ振り返った。
その瞬間、彼の顔は再び、感情を一切持たない「氷の公爵」へと戻っていた。
「……貴様ら。私の妻と息子を『出来損ない』『汚いガキ』と呼んだな。その罪がどれほど重いものか、理解しているのか?」
「ひっ……!」
義姉のイライザが、アレクシスの絶対零度の視線に射抜かれ、悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
「あ、誤解です閣下! これは親族間の些細な口論で――」
「黙れ」
アレクシスが短く言い放つと、実父は喉を締め上げられたように声を失った。
アレクシスは、懐から数枚の分厚い書類の束を取り出し、実父の顔面に冷酷に投げつけた。
バサバサと床に散らばった書類を見て、実父の顔面から一気に血の気が引いていく。
「それは、貴様が過去数年にわたり、領地の税収を本来の経営や領民のためではなく、私的な博打や愛人への貢ぎ物として横領していた決定的な証拠だ。さらに、領民から不当な重税を搾り取り、その挙げ句に借金のカタとして娘を我が家へ売り渡した記録もある」
「な、なぜそれを……っ!」
「私を誰だと思っている? 国の宰相だぞ。貴様らのような羽虫の裏帳簿など、調べるまでもない。……これでもう、言い逃れはできないな」
アレクシスは、絶望に顔を歪める実父と義姉を、虫ケラを見るような目で見下ろした。
私は、昨夜のノア様の『安心しきった無防備な寝顔』を思い出しながら、この瞬間を心からスカッとした気分で見つめていた。
「騎士団。この横領犯と、公爵夫人および公爵家次期当主への不敬罪を犯した罪人どもを、地下牢へ連行しろ。……二度と、太陽の光を拝めると思うな」
「はっ!!」
「い、いやぁぁぁっ! 私は関係ないわ! お父様が勝手にやったことよぉっ!」
「お、お許しを! リリアーナ! お前からも閣下に何か言ってくれぇっ!」
騎士たちに両腕を拘束され、無様に泣き叫びながら引きずられていく実家の人々。
私は彼らに向けて、最後にとびきり冷たくて、美しい微笑みを送ってあげた。
「ごきげんよう、お父様、お義姉様。地下牢での素晴らしい生活を、心よりお祈り申し上げますわ」
バタンッ! と扉が閉まり、やかましい絶叫が遠ざかっていく。
これで、私の過去の呪縛であり、中ざまぁの対象であった実家の完全粉砕は終了した。
静寂が戻った応接室で、私はふぅっと息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いた。
「……リリアーナ」
背後から、低くて優しい声が聞こえた。
振り返ると、ノア様を抱いたアレクシスが、信じられないほど甘く、熱を帯びた視線で私を見つめていた。
「君のその右手。赤く腫れているじゃないか。……あんなゴミを殴るのに、君の綺麗な手を痛める必要はなかったのに」
そう言うと、アレクシスは空いた片手で私の右手をそっと取り、赤くなった手のひらに、労るように優しく口づけを落とした。
その手首を、ノア様も真似をするように小さな両手で包み込んでくれる。
「だ、旦那様……っ、でも、あの男はノア様のことを――」
「分かっている。君が、私たちのために怒ってくれたことは。……ありがとう」
アレクシスは、連行された実家を一瞥もせず、ただひたすらに私とノア様だけを見つめていた。
そして、私を片腕で優しく、しかし絶対に逃がさない強さで抱き寄せた。
実家からの呪縛は消え去り、私たちを縛るものはもう何もない。
氷の公爵の重すぎる愛情が、いよいよ完全に解き放たれようとしていた。




