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第19話:強引な乗り込みと、越えた一線



重厚な応接室の扉を開けると、そこには最高級の革張りソファにふんぞり返る二人の見慣れた人物がいた。


「遅いぞ、リリアーナ! 父親をいつまで待たせる気だ!」

「まったく、少しばかり良い身分になったからって、いい気になって。相変わらずどんくさいわね」


私の顔を見るなり、下品な怒声と嘲笑を浴びせてきたのは、フェルゼン伯爵である実父と、異母姉のイライザだった。

没落寸前で借金まみれのくせに、身につけている装飾品だけは無駄に派手でギラギラしている。


「……ようこそおいでくださいました、フェルゼン伯爵。ご用件は手紙の件ですね?」


あえて「お父様」とは呼ばず、私は氷のような声で応じる。

実父は不快そうに鼻を鳴らした。


「そうだ。さっさと金貨十万枚を用意しろ。お前をこの公爵家に売ってやった恩を、今こそ返す時だ」


「売ってやった、ですか。ご自身で人身売買を認めるとは、ずいぶん正直ですこと」


「生意気を言うな! もし渋るなら、お前が我が家でどれだけ惨めな出来損ないだったか、あることないこと社交界に言いふらしてやる!」


得意げに脅迫してくる実父と、下品に笑う義姉。

前世の記憶を取り戻す前の私なら、この言葉に震え上がっていたかもしれない。


でも、今の私には、そよ風以下の脅威でしかなかった。


「お生憎様ですが、公爵家の金庫は私の個人的な理由で開けられるものではありません。どうぞ、ご勝手にお触れ回りくださいませ」


「き、貴様っ……! 父親に向かってなんという口の利き方だ!」


実父が顔を真っ赤にして立ち上がり、手を振り上げた。

その瞬間、応接室の外で待機していた騎士たちの気配が鋭くなる。


私は一歩も動かなかった。

この部屋には記録魔道具もある。

彼が手を出せば、その時点で完全にこちらの勝ちだ。


しかし、その直後だった。


廊下の向こうから、小さな足音が聞こえた。


「……おかあさま?」


「っ、ノア様!?」


振り向くと、応接室の扉の隙間から、青ざめたノア様が顔を覗かせていた。

背後には慌てた侍女と護衛騎士がいる。


「申し訳ございません、奥様! ノア様が、奥様が叩かれるかもしれないと聞いて、どうしてもと……!」


護衛が必死に頭を下げる。

どうやら、実父の怒鳴り声と椅子を蹴る音が廊下まで響き、ノア様のトラウマを刺激してしまったらしい。

あの子は、自分が怖いのに、私を守ろうとして来てしまったのだ。


「ノア様、大丈夫ですよ。お母様は平気です」


私がすぐに膝をついて手を広げると、ノア様は小さな体を震わせながら私の背中に隠れた。

その小さな手が、私のドレスの裾をぎゅっと力強く握りしめる。


「おかあさま……こわい……」


震える舌足らずな言葉に、私の胸が締め付けられる。


「大丈夫ですよ。ただの汚いネズミが迷い込んだだけですからね」


私がノア様の背中を撫でて安心させようとした、その時だった。


「……はっ! なーんだ、何かと思えば、それが噂の前妻のガキね!」


イライザが、心底見下したような声で笑った。


「誰にも望まれなかった子でしょ? 呪われた血を引く気味の悪いガキだって、社交界でも有名な笑い者じゃないの!」

「ふん。こんな汚いガキの世話を押し付けられているとはな。さすがは出来損ないの娘にお似合いの惨めな役回りだ」


実父と義姉の、あまりにも残酷な一言。


「…………」


その瞬間。

私の頭の中で、カチリ、と。

絶対に超えてはならない一線を、彼らが踏み越えた音がした。


私を罵倒するのは勝手だ。

痛くも痒くもない。


だが、私の愛する天使を、私の命より大切な息子を、「汚いガキ」だと?


「……ノア様。少しだけ、目を瞑って、耳を塞いでいてくださいね」


私はノア様の頭を優しく撫でた。

護衛騎士に目配せし、ノア様の背後を守らせる。


ノア様が小さな手で耳を塞いだのを確認してから、私はゆっくりと立ち上がった。


今まで浮かべていた冷ややかな微笑みすら消え失せ、私の顔から一切の感情が無に帰していた。


「な、なんだその目は! 父親に向かって――」


「黙れ、ゴミ屑」


地獄の底から響くような私の声に、実父がビクッと肩を震わせた。


私は一切の躊躇いなく、実父の真正面に歩み寄った。

そして、前世の激務で鍛え上げた足腰のバネを使い、全身の体重を乗せて、大きく右腕を振りかぶった。


「私の、世界で一番愛する息子を……二度と、その汚い口で呼ぶなッ!!」


パァァァンッ!!!!!


応接室に、鼓膜が破れるかと思うほどの強烈で乾いた破裂音が響き渡った。


私の会心の一撃を頬に受けた実父は、白目を剥いて床を転がり、壁に激突した。


「お、お父様ぁっ!?」


悲鳴を上げる義姉。

私がその義姉へ冷酷な視線を向け、次の一撃を放とうとした、まさにその時。


バンッ!!!


応接室の重厚な扉が、蹴り破られんばかりの凄まじい勢いで開け放たれたのだった。


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