第18話:実家からの脅迫状
ペーパーナイフで封を切り、中に折り畳まれていた粗悪な羊皮紙の便箋を取り出す。
そこには、見覚えのある――そして、思い出すだけでヘドが出るほど嫌悪感を催す、神経質な筆跡が並んでいた。
『親愛なる娘、リリアーナへ。
公爵家での生活には慣れただろうか。お前のような出来損ないでも、あの若き宰相殿の夜伽の相手くらいにはなっていると信じている。
さて、本題だ。我がフェルゼン伯爵家の領地経営が、少々思わしくない。ついては、公爵家の金庫から至急、金貨十万枚を融通するように。
もしもこのささやかな頼みを断るようなことがあれば……お前が過去、我が家でどれほど素行が悪く、性悪な娘であったかを、社交界のありとあらゆる噂話の種としてばら撒かせてもらう。
公爵夫人としての地位を守りたければ、賢明な判断を期待する。
フェルゼン伯爵より』
「…………はっ」
私は最後まで読み終えると、短く鼻で笑った。
そのまま手紙を丸め、指先で弄ぶ。
「金貨十万枚ですって? 随分とまあ、大きく出たものね。没落寸前の貧乏貴族の分際で」
私が前世の記憶を取り戻す前、この実家の人間たちは私を家畜のように扱っていた。
新しいドレス一つ与えず、少しでも反抗すれば「誰のおかげで飯が食えていると思っている」と怒鳴り、最後には借金のカタとして公爵家へ売り飛ばした。
過去の素行を暴露する?
笑わせないでほしい。
今の私にとって、社交界の噂など、ノア様の小さな笑顔一つに比べれば塵芥以下だ。
『おかあさま!』
今朝の、ノア様の天使のような笑顔。
私の服の裾を小さな手でぎゅっと握りしめてくれた、あの愛おしい温もり。
『ずっとくっついてるの!』と舌足らずな言葉で甘えてくれた声。
あの幸せな日常を守るためなら、実家の一つや二つ、消し飛ばしたって全く構わない。
「奥様……? その、お便りの内容は……」
心配そうに顔を覗き込んでくる執事のセバスチャンに向かって、私は極上の、そして絶対零度の冷ややかな微笑みを浮かべた。
「ただのゴミですわ。セバスチャン、暖炉の火が少し弱くなってきたようですね。薪の代わりに、これをくべておいてくださる?」
私が丸めた脅迫状を差し出すと、セバスチャンはすべてを察したように深く一礼した。
「承知いたしました、奥様。すぐに燃やしてしまいましょう」
パチパチと音を立てて燃える暖炉の火の中に、実家からの手紙が放り込まれる。
赤い炎が紙を飲み込み、あっという間に黒い灰へと変えていく。
「……奥様。フェルゼン伯爵が直接乗り込んでくる可能性がございます」
「ええ。あの強欲な父のことですもの。無視されたと知れば、必ず怒鳴り込んでくるわ」
私は冷静に頷いた。
「念のため、応接室には記録用の魔道具を設置しておいて。騎士も廊下に待機。万一あちらが手を出した瞬間、すぐ拘束できるように」
「承知いたしました」
「それと、ノア様には絶対に近づけないで。あの子は二階の遊戯室で、新しい絵本を読んで待っていてもらいます。護衛騎士二名と、信頼できる侍女をつけて。誰が何と言おうと、実家の人間の目に触れさせてはなりません」
「かしこまりました」
ノア様の心は、少しずつ回復している途中だ。
そんな大切な時期に、あんな汚物のような人間たちを見せるなど、絶対にあり得ない。
私は新しいおもちゃのデザイン画に視線を戻した。
けれど、心の奥では、すでに冷たい戦闘準備が整っていた。
そして三日後。
平和で甘い私たちの日常を切り裂くように、公爵邸の表門がやかましく叩きつけられた。
「おい! 開けろ! 娘に会いに来た父親を門前払いするとは、どういう了見だ!!」
「ちょっと、ドレスが汚れるじゃないの! さっさと中に入れなさいよ!」
執務室から廊下に出た私の耳に、品性の欠片もない下品な男女の怒鳴り声が届いた。
「……奥様。フェルゼン伯爵と、ご令嬢のイライザ様が、強引に門を突破しようとしております」
「通しなさい。ただし応接室までです。家族棟へは一歩たりとも入れないで」
私は鏡で自分の冷酷な表情を一度だけ確認した。
「ノア様は?」
「二階の遊戯室に。護衛と侍女がついております」
「よろしい」
ついに、しびれを切らした実家の連中が、公爵邸に直接乗り込んできたのだ。
私は純白のドレスの裾を静かに捌き、彼らが待つ応接室へと歩みを進めた。
愛する家族の平和を脅かす害虫を、徹底的に駆除するために。




