第17話:無自覚なヤキモチ。父と息子の戦い
重い熱から解放された翌朝。
私は、アレクシスのふかふかのベッドの中で、スッキリとした頭で目を覚ました。
「ん……」
視線を下に向けると、私の胸元にすっぽりと収まり、コアラのようにしがみついているノア様がいた。
その『安心しきった無防備な寝顔』は天使そのもので、規則正しい寝息を立てるたびに、サラサラの銀髪がくすぐったく私の顎を撫でる。
(はぁぁ……朝起きて一番に推しの寝顔を拝めるなんて、ここは天国かしら。私の過労ダウンも、ある意味で最高のイベントを発生させてくれたわね)
私が幸せを噛み締めながら、ノア様の背中を優しくトントンと叩いていると、ノア様がパチリと氷のように透き通った青い瞳を開けた。
「おかあさま……?」
「おはようございます、ノア様。昨夜はよく眠れましたか?」
私が微笑みかけると、ノア様はパッと顔を輝かせた。
そして、その『小さな手』で私の寝巻きの『服の裾をぎゅっと力強く握り』しめ、嬉しそうに身を乗り出してきたのだ。
「おかあさま! おねつ、もう、ない!? いたくない!?」
「ええ、もうすっかり良くなりましたよ。ノア様がずっとそばにいてくれたおかげですね。ありがとうございます」
私がノア様のおでこに軽くキスを落とすと、ノア様は「えへへ」と照れくさそうに笑い、さらにべったりと私に抱きついてきた。
「おかあさま、だーいしゅき! ずっと、ずっとくっついてるの!」
『舌足らずな言葉』で放たれた、破壊力抜群の愛の告白。
私の心臓は一瞬で撃ち抜かれ、限界突破した母性が大暴走を起こして歓喜の雄叫びを上げている。
(あああっ! 尊い! 尊すぎる! 三歳児のストレートな愛情表現、最高!! 私も大好きよ、私の可愛い天使!!)
私がノア様を力いっぱい抱きしめ返し、朝から甘々度百二十パーセントのスキンシップを堪能していた、その時だった。
「…………コホン」
部屋の隅、窓際のソファの方から、ひどく不機嫌そうな、わざとらしい咳払いが聞こえた。
「え?」
顔を上げると、そこには腕を組み、脚を組んで座るアレクシスの姿があった。
彼は三日三晩の徹夜看病を終えたはずなのに、いつの間にか完璧な身なりに整え直しており、その超絶美形な顔で、じっと私たち――正確には、私にべったりとくっついているノア様を、氷点下の「真顔」で睨みつけていたのだ。
「だ、旦那様? いつからそこに……」
「君たちが、朝からずいぶんと楽しそうに愛を囁き合っている時からだ」
(うわっ、めちゃくちゃ拗ねてる……!?)
「氷の公爵」の異名を持つ冷酷宰相の顔はそこにはない。
あるのは、妻の愛情を独占する三歳の息子に対し、本気で大人気なくヤキモチを焼いている、不器用な一人の男の姿だった。
アレクシスはゆっくりと立ち上がり、ベッドの脇までやってくると、私を見下ろして低く甘い声で言った。
「……リリアーナ。ノアへの感謝は分かったが、私も夫として、三日三晩不眠不休で君の看病をした。その……私にも、看病の礼をしてほしいのだが」
彼が言いづらそうに視線を逸らしながら、無言の「構ってアピール」をしてくる。
耳の先がほんのりと赤くなっているのが、彼の不器用なデレを隠しきれていなくて、なんだかとても愛おしく感じてしまった。
「ふふっ。旦那様にも、本当にご心配をおかけしました。何でもおっしゃってください。私にできることなら――」
私が微笑んで応えようとした瞬間。
「だめっ!!」
私の腕の中にいたノア様が、バッと両手を広げてアレクシスの前に立ち塞がった。
「おかあさまは、ぼくの! おとうさま、あっちいって!」
「……ノア。私は夫として、正当な権利を主張しているだけだ。妻の隣は私の特等席だぞ」
「やだ! ぼくが、ずっとくっついてるの! おとうさまには、かしてあげない!」
プクッと頬を膨らませて威嚇する三歳児と、本気で眉間に皺を寄せて言い返す二十五歳の宰相閣下。
(……えええ? まさか、この銀髪で青い瞳の超絶美形な親子の間で、私が奪い合われている!?)
乙女ゲームのヒロインでも味わえないような、最高に贅沢で、そして最高にほっこりする「父と息子の陣取り合戦」。
アレクシスはため息をつくと、ノア様の脇に手を入れてひょいっと持ち上げ、自分の膝の上に強制的に座らせた。
「わっ! おとうさま、おろしてぇ!」
「暴れるな。……リリアーナ、ほら」
アレクシスはノア様を抱えながら、空いた手で私の頬をそっと撫で、そのまま自分の顔を近づけてこようとする。
その青い瞳には、息が詰まるほど重くて熱い、私への執着が渦巻いていた。
「だ、旦那様……ノア様が見て……っ」
「いい。私から目を逸らすな」
唇が触れ合う寸前まで近づき、私の心臓が爆発しそうになった、まさにその時。
コンコン。
部屋の扉が、控えめに、しかし少しだけ切羽詰まったような音でノックされた。
「……ッ」
アレクシスが舌打ちをし、ノア様がホッとしたように私の腕の中に逃げ込んでくる。
私は真っ赤になった顔を両手で仰ぎながら、何とか声を出した。
「は、はい! なんでしょうか!」
「奥様、旦那様、朝から申し訳ございません。執事のセバスチャンです」
扉の向こうから聞こえてきたのは、普段は冷静沈着な老執事の、少しだけ困惑したような声だった。
「どうした、セバスチャン。何かあったのか?」
アレクシスが不機嫌そうに問いかけると、執事は重々しい口調で答えた。
「はい。実は……奥様のご実家である、フェルゼン伯爵家より、一通の書状が届きまして。至急、奥様に目を通せとのことなのですが……」
その言葉を聞いた瞬間。
部屋の中に充満していた甘くて温かい空気が、一瞬にして凍りついた。
(……実家から?)
私がベッドから降りて扉を開けると、セバスチャンが銀の盆に乗せて差し出したのは、ひどく薄汚れた、趣味の悪い赤い蝋印で封をされた不気味な封筒だった。
没落寸前の、悪徳で知られる私の生家。
前世の記憶を取り戻す前の私が、散々虐げられ、そして「金づる」として公爵家に売り飛ばされた元凶。
私は、アレクシスの心配そうな視線を背中に感じながら、その薄汚れた封筒を冷ややかな手つきで手に取った。
さっきまでの限界突破した激甘な母親の顔は、もう綺麗に消え去っている。
代わりに私の顔に浮かんでいたのは、愛する家族の平和な日常を脅かそうとする害悪への、絶対零度の冷徹な微笑みだった。




