第16話:目覚めと、重い告白の片鱗
「……ん……」
心地よいカモミールの香りと、柔らかく差し込む朝陽の光。
私は、重かった瞼をゆっくりと開けた。
視界に飛び込んできたのは、やはりアレクシスの豪奢な天蓋付きベッドの天井だった。
(あれ……? 私、どうして……)
熱でぼんやりとする頭を動かそうとした、その時。
「リリアーナ……!」
すぐ横から、ひどく掠れた、切実な声が響いた。
顔を向けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「だ、旦那、様……?」
あの「氷の公爵」として恐れられているアレクシスが、ベッドの脇に座り込み、私の右手を自分の両手で痛いほど強く握りしめていたのだ。
彼の銀色の髪は乱れ、端正な顔には深い隈が刻まれている。
身につけているのは、私が倒れた時と同じ服。
つまり彼は、この三日間。
王宮の仕事も、自分の睡眠も全て放り出して、一睡もせずに私の看病を続けていたのだ。
「……よかった。熱も、完全に下がっているようだな」
アレクシスは、深く、深く安堵の息を吐き出すと、そのまま私の右手を自分の額に押し当てた。
その手は、まだ微かに震えている。
「旦那様、お仕事は……」
「仕事など、どうでもいい。君が死ぬかもしれないという時に、国政など構っていられるか」
かつての超ワーカホリックな彼からは絶対に考えられない言葉に、私は目を見張った。
「ノア様は……」
「ノアなら、昨夜までずっと君のそばを離れようとしなくてな。泣き疲れて、今は隣の部屋でメイドに見てもらいながら眠っている。……あの子も、君を失うことを何よりも恐れていた」
そう言って、アレクシスは私の手を自分の頬へと滑らせた。
彼の熱い体温が、私の手のひらに直接伝わってくる。
「……リリアーナ」
アレクシスの氷のような青い瞳が、今まで見たこともないほど熱く、深く、そしてどうしようもなく重い執着の色を帯びて私を射抜いた。
「君が倒れて、息をしていないのを見た時……私は、自分の半身がもぎ取られたかのような恐怖を覚えた。君がこの屋敷に来てから、まだわずかな時間しか経っていないというのに」
彼の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
「……もう、君のいない世界など、考えられない。私には、君が必要だ」
――チュッ。
落とされたのは、額や頬への軽い挨拶ではない。
私の手の甲への、熱く、深く、まるで私の存在そのものを縛り付けるかのような、重い口づけだった。
「ひゃっ……!」
手から伝わる信じられないほどの熱量に、私は顔を真っ赤にして固まってしまった。
(な、ななな、何これ!? 「ただの飾りだ」って言ってた冷酷公爵様の、限界突破した激重デレ期が突然始まっちゃったんですけど!?)
「旦那様、あの、私はただの風邪で……その、そんなに大袈裟に……」
「大袈裟ではない。私は本気だ、リリアーナ」
彼がさらに顔を近づけ、今度は私の唇にその薄い唇を落とそうとした――その瞬間だった。
「おかあさまぁぁぁぁっ!!」
バンッ! と勢いよく扉が開き、銀色の小さな弾丸がベッドへと飛び込んできた。
「ノ、ノア様!」
ノア様はアレクシスを押しのけるようにしてベッドによじ登ると、私の胸に顔を埋め、ボロボロと大粒の涙をこぼしながら私の『服の裾を力強く握り』しめた。
「おかあさま、おめめあいた! よかった、よかったぁ……っ!」
「ノア様……! ごめんなさい、もう大丈夫ですよ。お母様は、どこにも行きませんからね」
私がノア様の小さな背中を抱きしめて撫でてあげると、ノア様は『舌足らずな言葉』で「おかあさま、おかあさま……」と何度も私の名前を呼び続けた。
その『小さな手』が私の首元にしがみつき、絶対に離さないとばかりにべったりとくっついている。
「……っ」
その微笑ましい親子の感動の再会を。
ベッドの脇に弾き出されたアレクシスが、信じられないほど不機嫌そうな、氷点下の「真顔」で見下ろしていた。
(……あれ? 旦那様、なんでそんなに不機嫌なの……?)
私が不思議に思っていると、アレクシスは低い声でボソリと呟いた。
「……ノア。君はさっきまで寝ていたはずだろう。少しは空気を読んだらどうだ」
「やだ! ぼく、ずっとおかあさまとくっついてるの!」
ノア様は私にべったりと抱きついたまま、アレクシスに向かって「べーっ」と舌を出した。
「……」
アレクシスのこめかみに、青筋がピキッと浮かんだのが見えた。
過労で倒れた妻の看病を終え、いよいよ甘い雰囲気になろうとした矢先に、最愛の息子に妻を奪われた氷の公爵。
彼の中で、明らかに理不尽で大人気ない「嫉妬」の炎が燃え上がろうとしていた。




