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第14話:夜のティータイム。無償の愛の理由

「……夜分にすまない。少し、君と二人きりで話がしたくてな」


扉の前に立っていたのは、夜着の上に紺色のシルクのガウンを羽織ったアレクシスだった。

昼間のピクニックでの強烈な抱擁の記憶が蘇り、私はドクリと心臓を高鳴らせながら、彼を部屋の中の小さなテーブルへと案内した。


「どうぞ、お掛けください。ちょうど、温かいカモミールティーを淹れようと思っていたところです」


「ああ、ありがとう」


向かい合って座ると、部屋の中には夜の静寂と、カモミールティーの甘く落ち着く香りだけが漂った。


昼間の一件の余韻が残っているのか、アレクシスは少しだけ居心地が悪そうに、カップの縁を指でなぞっている。

その氷のような青い瞳が、迷うように私を見つめた。


「……今日のことだが」


彼が静かに口を開く。


「君がノアを庇って馬車の前に飛び出した時、私の心臓は止まるかと思った。……どうして、あそこまでできる? 自分の命を危険に晒してまで」


彼の問いかけには、純粋な疑問と、そして深い戸惑いが混じっていた。

彼からすれば、没落寸前の実家から押し付けられた「愛のない政略結婚の妻」が、血の繋がらない義理の息子に命を懸ける理由が理解できないのだろう。


私は紅茶のカップを両手で包み込みながら、ふふっと小さく笑った。


「旦那様。ノア様が毎日、私に見せてくれるあの『小さな手』の温もりをご存知ですか? 私の服の裾をぎゅっと握って、離さないでいてくれる、あの小さな力強さを」


アレクシスは、黙って私の言葉に耳を傾けている。


「『おかあさま』って一生懸命に呼んでくれる『舌足らずな言葉』も、夜に私の腕の中でだけ見せてくれる『安心しきった無防備な寝顔』も……。あの子が私に向けてくれるすべてのものが、私にとっては世界中のどんな宝石よりも価値があるんです」


私はカップから視線を上げ、アレクシスを真っ直ぐに見つめ返した。


「それに、旦那様。……愛するのに、理由はいりますか?」


「……っ」


アレクシスは息を呑んだ。


「ただ、愛おしいから守りたい。それだけです。ノア様が私のことをお母様と呼んでくれる限り、私は命に代えてもあの子を守り抜きます。……もちろん、今日のように旦那様が助けてくださるなら、それに越したことはありませんけれど」


私が少しだけおどけて言うと、アレクシスはしばらく呆然と私を見つめた後、ゆっくりと、本当にゆっくりと、その端正な顔を両手で覆った。


「……君は、本当に……」


指の隙間から漏れた声は、ひどく震えていた。

氷のように冷酷で、他人を信じず、女性を憎んですらいた彼の心が、私の言葉によって激しく揺さぶられ、根底から覆されているのがわかった。


「……君はなぜ、こんな私達に、それほどの無償の愛をくれるんだ」


「ですから、理由なんてありませんよ。……強いて言うなら、私がそうしたいからです」


前世で狂うほど愛した推しだから、とは口が裂けても言えないけれど。

でも、今の私の愛情は、決して「ゲームのキャラクターだから」という理由だけではない。

目の前にいる、温かくて、傷ついて、それでも懸命に生きようとしている彼らを、一人の人間として、家族として愛しているのだ。


「……降参だ」


アレクシスが顔を覆っていた手を下ろす。

その顔には、彼が今まで誰にも見せたことのないような、甘くて、少しだけ情けなくて、そして熱を帯びた微笑みが浮かんでいた。


「私の完敗だ、リリアーナ。君という光には、もう、抗えそうにない」


それは、氷の公爵が完全に「陥落」した瞬間だった。

彼が私に向ける瞳には、もう過去のトラウマも、女性への不信感も、政略結婚という冷たい壁も存在しない。

ただ一人の男性として、私という存在を深く、重く求めようとする熱が宿っていた。


(ひゃあああっ! だ、旦那様のデレの破壊力が凄まじすぎる!!)


顔から火が出そうになり、私は慌てて紅茶を飲んで誤魔化した。

その夜、私たちは初めて、夫婦として、家族としての穏やかな時間を分かち合った。

アレクシスが語る王宮での些細な出来事や、私が語るノア様の可愛すぎるエピソード。

夜が更けるまで、私たちの部屋からは静かな笑い声が絶えなかった。


――しかし。


限界突破した母性で全てを乗り切ってきたつもりだったが、前世は普通の保育士であり、今世は深窓の令嬢であった私の体は、悲鳴を上げていたらしい。


劣悪な環境からの改革、連日の寝不足、そして昼間の馬車からのダイブ。


翌朝。

私はベッドから起き上がろうとして、信じられないほどのめまいに襲われ、そのまま冷たい床に倒れ込んでしまったのだった。

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