第12話:初めてのお出かけ(ピクニック)
雲一つない、見事なまでに澄み切った青空。
爽やかな風が吹き抜ける王都郊外の広大な自然公園に、私たち家族三人はやってきていた。
「わぁぁ……っ! おかあさま、おはな、いっぱい!」
目立つ公爵家の紋章が入った馬車ではなく、簡素な貸し馬車を使った完全なお忍びの外出。
ノア様は、私が夜なべして仕立てた動きやすい子供服に身を包み、広々とした芝生を見て目をキラキラと輝かせていた。
今まで冷たくて暗い屋敷の奥に閉じ込められていた彼にとって、これだけ広い外の世界を見るのは初めてのことなのだ。
「ええ、とっても綺麗ですね。でも、走って転ばないように気をつけてくださいね」
私が微笑みかけると、ノア様はとてとてと私の元へ駆け寄り、私のスカートの『服の裾を握り』しめて、嬉しそうに見上げてきた。
「はーい!」
(ああっ、尊い……っ! 外の太陽の光を浴びる天使の姿、名画オーラが凄すぎて直視できない! 今すぐ専属の宮廷画家にこの光景を描かせてルーヴルに飾りたい!!)
私が心の中で荒ぶる母性を必死に深呼吸で押さえ込んでいると、隣を歩いていたアレクシスが、芝生の上に大きな防水布の敷物を広げてくれた。
今日の彼は、王宮での威圧的な黒い軍服やフォーマルな装いではなく、上質な生地ながらも少しラフな、襟元の開いた白いシャツ姿だ。
前髪も風に少し乱れており、「氷の公爵」というよりは、休日の爽やかで超絶美形なパパ、という雰囲気を醸し出している。
すれ違う一般の女性たちが、彼を見るなり顔を真っ赤にして何度も振り返っていた。
「さあ、リリアーナ、ノア。座るといい。……荷物は私が開けよう」
「ありがとうございます、旦那様」
アレクシスは、私が朝早くから気合を入れて作った大きなバスケットを開けた。
「おお……これは、凄いな」
アレクシスが思わず感嘆の声を漏らす。
バスケットの中には、前世の保育士スキルを全解放して作った『特製・行楽お弁当』がぎっしりと詰まっていた。
彩り豊かな温野菜、一口サイズに丸めた食べやすいサンドイッチ、そして子供が絶対に喜ぶ、タコさんウインナーならぬ『タコさん型に飾り切りした特製ソーセージ』である。
「わぁぁ……っ! これ、おさかなしゃん!?」
ノア様は目を丸くして、その『小さな手』でタコさんソーセージの刺さったフォークを両手でしっかりと握りしめた。
そして、小さな口を大きく開けて、パクリとかじりつく。
「……おいちい!! おかあさま、これ、すっごくおいちいでしゅ!」
興奮気味に放たれた『舌足らずな言葉』に、私の涙腺は一瞬で崩壊しそうになった。
「ああああっ、よかったです! お母様、昨日から仕込んでおいた甲斐がありました……っ! サンドイッチもどうぞ、ノア様!」
「うんっ! もぐもぐ……おいちい!」
ニコニコと満面の笑みでお弁当を頬張るノア様。
その幸せそうな姿を見ているだけで、私のお腹はいっぱいになってしまう。この平和な光景こそが、私の人生のすべてだ。
もしこの幸せを壊そうとする馬鹿な輩がいたら、実家だろうが王家だろうが、容赦無くすり潰して地獄の底へ叩き落としてやるわ。
私が一人で物騒な決意(愛)を固めていると、ふと、隣から熱を帯びた強い視線を感じた。
「……旦那様?」
振り返ると、サンドイッチを片手に持ったアレクシスが、瞬きもせずに私の横顔をじっと見つめていた。
その氷のような青い瞳は、いつもの冷徹さとは無縁の、まるで甘い蜂蜜のようにトロトロに溶けきった熱を宿している。
「あ、あの……お顔に、何かついていますか?」
私が戸惑って頬に手を当てると、アレクシスはふっと、本当に優しくて、だらしなく崩れたような甘い微笑みを浮かべた。
「いや……。君が、太陽のように綺麗に笑うから。……つい、目を奪われてしまっただけだ」
「……っえ」
低くてハスキーな声で、ド直球すぎる甘い台詞を落とされる。
私の顔は一瞬で沸騰したように真っ赤になった。
(な、ななな、何言ってるのこの人!? 「君を愛することはない」とか言ってた氷の公爵様はどこに行っちゃったの!? デレるのが早すぎるし、重い!!)
完全に油断していたところを狙い撃ちされ、私が目を白黒させていると、アレクシスはクスッと笑い、そっと手を伸ばして私の口元についたパン屑を、その長い指で優しく拭い取ってくれた。
「君の手作りは、本当に何でも美味いな。……こんな穏やかな休日を過ごせる日が来るなんて、思ってもみなかった」
アレクシスはそう言って、私とノア様を、まるで世界で一番の宝物を眺めるような、愛おしげな視線で見つめた。
冷酷な宰相の心の氷は、もう完全に溶け落ちている。
ここにあるのは、間違いなく「世界一幸せな家族」の情景だった。
お弁当を食べ終わり、ノア様が「お花を摘んでくる!」と少し離れた花壇の方へ走っていく。
「転ばないようにね、ノア様!」
私は立ち上がり、ノア様の方へと微笑みながら手を振った。
ぽかぽかとした太陽。心地よい風。愛する家族。
この完璧な時間が、ずっと永遠に続けばいいのに。
――そう、心から願った、次の瞬間だった。
『キャアアアアアッッ!!』
突然、公園の入り口の方から、耳を劈くような人々の悲鳴が上がった。
「なんだ!?」
アレクシスが鋭い声で立ち上がる。
私が悲鳴の上がった方へ視線を向けると、信じられない光景が目に飛び込んできた。
御者を振り落とし、完全にパニックに陥って暴走した巨大な二頭立ての馬車が、砂煙を上げて公園の広場へと猛スピードで突っ込んできたのだ。
「逃げろ! 馬車が暴走しているぞ!!」
パニックになって逃げ惑う人々。
そして、その暴走馬車の進行方向の真正面。
花壇の前に立ち尽くし、恐怖で動けなくなっている小さな影があった。
「……ノア、様っ!?」
銀色の髪の小さな天使に、巨大な黒い馬の蹄が、今まさに容赦なく振り下ろされようとしていた。




