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第10話:家族の朝。溶け出す氷

小鳥のさえずりと共に、東の窓から柔らかい朝陽が差し込んでくる。

私はふかふかのベッドの中で、ゆっくりと意識を覚醒させた。


「んぅ……」


私の腕の中では、ノア様が丸くなってスースーと規則正しい寝息を立てている。

昨夜のパニックが嘘のように、その寝顔は穏やかで、ほんのりと桜色に染まった頬がたまらなく愛おしい。

私は、その『安心しきった無防備な寝顔』をしばらく堪能してから、そっと起き上がろうとした。


――しかし。


「……ん?」


体が、動かない。

ノア様が私のドレスの『服の裾を握り』しめているから、という理由だけではなかった。


なんと、私の背中から腰にかけて、太くて逞しい大人の腕が、しっかりと、まるで逃がさないとでも言うように巻き付いていたのだ。


「えっ……!?」


恐る恐る背後を振り返る。

そこには、乱れた銀色の髪をクッションに沈め、私の首筋に顔を埋めるようにして眠っている「氷の公爵」アレクシスの姿があった。


(ちょ、ちょっと待って!? なんで旦那様が私をホールドしてるの!?)


昨夜、ノア様の手を握ったまま動けなくなり、そのまま三人でベッドに横になったところまでは覚えている。

だが、いつの間にかアレクシスが私を背後から抱きしめる形になり、私は彼とノア様にサンドイッチされた状態で朝を迎えてしまったらしい。


(どうしよう……! 腕をどかそうとしたら起きちゃうよね……?)


私が一人でパニックになっていると、背後から低くて甘い、寝起きのハスキーな声が降ってきた。


「……おはよう、リリアーナ」


「ひゃっ! あ、おはようございます、旦那様……っ。あの、腕が……」


私が恐縮しながら指摘すると、アレクシスはパチリと氷のような青い瞳を開けた。

そして、自分の腕が私をきつく抱きしめている状況を理解した瞬間、バッと弾かれたように身を起こした。


「す、すまない! 無意識だったとはいえ、不快な思いを……」


顔を真っ赤にして謝罪するアレクシス。

「君を愛することはない」と冷徹に言い放った初夜の彼からは、想像もつかないほど人間らしい、焦った表情だった。


「い、いえ、大丈夫です。ノア様が安心できたのなら、それで……」


私が慌てて取り繕っていると、私たちの話し声で目を覚ましたノア様が、むにゃむにゃと口を動かしながら身を起こした。


「おかあさま……おとうさま……?」


寝ぼけ眼をこすりながら、ノア様が私たち二人を交互に見つめる。

そして、昨夜と同じように、アレクシスと私に向かって、両手をいっぱいに広げてみせたのだ。


「……おはようごじゃいましゅ……!」


天使が微笑んだ。

その『舌足らずな言葉』と、寝癖でふわふわに跳ねた銀髪、そして純真無垢な笑顔。


(――ッッッ!! 朝から致死量の可愛さ!! 尊すぎて視力が上がる!!)


私が心の中で悶絶していると、隣でアレクシスが息を呑む気配がした。


「……あ、ああ。おはよう、ノア」


アレクシスは、恐る恐る、本当に慎重な手つきで、ノア様の『小さな手』を取り、そっと握り返した。

その顔には、今まで公の場で見せてきた完璧な「氷の公爵」の仮面は微塵もない。

ただ、目の前の小さな命の温もりに触れ、激しく心を揺さぶられている、不器用な一人の父親の顔だった。


アレクシスは、自分の腕の中にいる妻と息子の温もりを、まるで失われた宝物を確かめるように、じっと見つめていた。


(……温かい)


彼の中で、長年凍りついていた孤独な心が、完全に溶け出し、崩れ去っていく。

政略結婚の飾りでしかなかったはずの妻。

愛し方が分からず、遠ざけてきたはずの息子。


しかし今、彼の腕の中には、世界中のどんな権力よりも、どんな財宝よりも確かな「温もり」があった。

そして、恐ろしいほどの強烈な独占欲と、「この温もりを、もう二度と手放したくない」という重い感情の萌芽が、彼の胸の奥底で芽生え始めていたのだ。


* * *


朝食後。

いつものように、王宮へ出仕するための黒い外套を羽織ったアレクシスを、私とノア様は玄関ホールで見送っていた。


「いってらっしゃいませ、旦那様」

「いってらったい……!」


私がカーテシーをし、ノア様が一生懸命に小さな手を振る。

アレクシスは無言でこくりと頷き、馬車へと向かって歩き出した。


超ワーカホリックな彼にとって、王宮での執務は人生の全てであり、家を出る時に振り返ることなど、これまで一度たりともなかった。


だが。


馬車に乗り込む直前。

アレクシスは不意に立ち止まり、まるで磁石に引き寄せられるように、ゆっくりと後ろを振り返ったのだ。


その氷のような青い瞳は、玄関に立つ私とノア様の姿を、名残惜しそうに、そして何かに飢えているかのように、じっと熱を帯びた視線で見つめていた。


(……えっ? 今、旦那様……振り返った?)


私が驚いて見つめ返すと、彼はハッとして誤魔化すように外套の襟を立て、逃げるように馬車へと乗り込んでいった。


氷の公爵の中で、明らかに何かが狂い始めている。

平和な家族の朝は、重すぎる溺愛の嵐の、ほんの序章に過ぎなかったのだ。

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