第3話 勘違い
「はぁあ」
「千早さんどうしました? なんか最近ため息多いっすよ」
週末を翌日に控えた金曜日。会社のデスクで大きなため息を吐いていると後輩から声をかけられた。
「ああちょっとね……」
「悩み事があるなら私に気軽に言ってくださいっす!」
そう胸を張ったのは今年で新卒2年目の後輩、水野である。私と同じく化粧っ気が薄い彼女は大学時代は部活に明け暮れていたらしく、いわゆる体育会系の女である。
まさか義妹にキスされて困惑してます、なんて言えるわけもない。というか竹鶴京華が義妹であるとバレた時点でとてつもない騒ぎになることは間違いなく、私の人生どうなるか分かったものではない。京華ちゃんとした再開のが月曜日。それ以来、キスの意味について疑問に思うものの、本人に問いただすわけもいかず、こうして悶々とした気持ちで過ごしているのである。
あれは夢だったのではないかと考えるがその都度、タバコの臭いが脳をよぎる。うっ、嫌な記憶が……。
「最近の若い子って気軽にキスとかするもんかねえ」
自分一人で考えて思考の迷路に迷い込んでいても仕方がない。私は一年若い後輩に尋ねることにした。
「まさか、あの千早さんが恋愛っすか! 浮ついた話も聞かないし、そういうの興味ないと思っていたっすよ」」
後輩はがぜん興味が湧いたらしく、持っていた資料をデスクに置き、身を乗り出す。社内の温度が2度くらい上がった気がした。
それと周囲からの視線が増えたような……。横を向けば、動機の男性社員と目が合う。彼は慌てた様子で顔を背けると、手元の資料に視線を落とした。
「いやいや、恋愛とかではなくて……そう! 挨拶とかで気軽にキスとかしちゃうのかな~みたいな。最近小説でもキスシーンとか気軽に出しすぎだなって。二話目でキスする作品とかあってビックリしちゃう」
「あ~、なるほど。するかもしれないし、しないかもしれないっす。人によるんじゃないっすか? それより午後の会議の資料どうします?」
「つめたっ! もうちょっと真面目に考えてよ」
恋バナでないと分かった途端露骨に態度変えるのはよくないとお姉さんは思うんだ。
およそ先輩に向けるとは思えない「まったく興味ないですわー」という気怠い顔で水野はコーヒーをすすった。
「まあ外国人だったら普通にキスするかもしれないっすねー」
あれ、まてよ。後輩が心底興味なさそうに放った一言。
しかし、全身の毛が総毛立つ。洋画や海外ドラマなどでよく見る激しいスキンシップ。親子どうしのキスや「愛してるよ」という言葉の気軽さ。
導き出される結論はただ一つ!
「それだっ!」
突然立ち上がった私にフロアの視線が集中する。そうだ、そうじゃないか。
竹鶴京華はオーストリア人の血を引くクオーターである。きっと京華ちゃんからすればキスするくらい日常茶飯事。たいした問題ではないに違いない。というか、それ以外の理由なんて全く思いつかないし。
「ありがとう。これで全ての悩みが解決したわ!」
困惑する水野は状況を飲み込めないらしく目を白黒させた後「えーと、よかったっすね?」とつぶやいた。
仕事をこなし、駅を出て家に向かう途中、コンビニの一部に視線が吸い寄せられた。
パステルリボンとのコラボ商品が発売するらしく、店先に京華ちゃんのポスターが飾ってある。
(エプロン姿の京華ちゃん、かわいいなあ~。写真でも撮っとこ)
我ながらシスコンすぎて危ない気がするが、気にしたら負けだ。なにに負けているかは分からないが、気にしたら負けなのだ。
私は健全な推し活をしているにすぎない。足を止めスマホを出した時、背中に重たい衝撃がはしる。
「……あっ、す、すいません」
「……………………っ」
やっちゃったー。道端で急に足止めるとか迷惑以外の何物でもない。急いで振り向き謝ったものの、相手は気分を害したのか何も言わずに立ち去った。
とほほ、申し訳ない。しかし、今の人どこかで会ったような……?
マスクと帽子を深くかぶっていて自信はないけれど、そんな気がする。
……世界には同じ顔の人が三人程いるらしいし、勘違いだろうか。
安アパートの階段を上りながら頭をひねる。スチール階段特有の甲高く響く足音が至高の邪魔をする。
「ただいま~。この匂いはカレーかな?」
「こらっ、スーツを脱ぎ散らかさないで。ったくスーツに皺があるなんて社会人失格でしょうに……」
部屋に入れば作りかけのカレーが鍋でグツグツと煮られていた。
やったね、私カレー大好き。それにしても、京華ちゃんが作る料理って私が好きな料理ばかりなんだよね。苦手な料理が出てきたことが一度もない。
舌の好みが似ているのだろうか。
ちなみに、部屋の床は数日であっという間に綺麗になった。京華ちゃんに尻を叩かれながら頑張ったのだ。
なんて自信の頑張りに酔いしれている間に、京華ちゃんは私がポイ捨てしたスーツをいそいそとハンガーにかけた。
ツンツンした言葉と何気ない振る舞いに見え隠れする優しさが絶妙で、テレビでも素のキャラを出せばいいのにと思う。
それにしても、どうも片付けは苦手で人任せにしてしまうんだよねえ。
いつも通り速攻でシャワーを浴び、リビングに舞い戻れば京華ちゃんがカレーとにらめっこしていた。仕事も私なんかの何倍も忙しいだろうし、料理なんてしなくてもいい、そう言っても京華ちゃんは「家賃替わりだから」と言い張って料理し続けてくれる。
(無理させてないかな。私も料理しようかしら)
タバコを加えたまま、背後から京華ちゃんの手元を覗き込む。
「ちょ、ちょっと見ないでよ!」
「え~なんでよ。ふんふん、ジャガイモとナス、鶏肉かあ。そういえば実家のカレーもこんな感じだったね」
「あっ……」
遠い過去となった、実家で出されたカレーと同じ具材だ。色も一緒だし同じメーカーのルーを使っているのかもしれない。
香辛料の刺激的な香りが鼻孔をくすぐる。
何気なく実家の話をしただけで他意はない。しかし、京華ちゃんは動揺したように、肩を大きく揺らして不安そうな目で振り向いた。
「実家」の話題は私たち姉妹の間で自然と避けられていたものである。
きっと京華ちゃんは思い込んでいる。私とあの人たちとの不仲の原因が自分にある、と。
「恨んでいるよね……?」
「一ミリも恨んでないよ」
「けど……私のせいでお姉ちゃんとお母さんは……」
実家を出ていく経緯を思い出す。私と母の関係は再婚後に一層悪くなった。確かに不仲に拍車をかけたのは京華ちゃんだったのかもしれない。突如として優秀すぎる子ができて、出来損ないの姉が邪魔になった母親。
それに私の顔は父親の面影が色濃く表れているらしく、あの人はそこも嫌悪していた。
勉強にスポーツ、あらゆる習い事をさせてもらった妹と比べ私に対しては「庭で遊んでろ」と言った態度である。思い返せば中々の格差があったものだ。
しかし、私は思うのだ。あの程度で壊れる関係であったならいずれ壊れていたのであろうと。
京華ちゃんは納得していないのか、「嘘だ」と低い声で否定する。
しょうがないなあ、とっておきの秘蔵コレクションを見せてあげようじゃないか。きっとこれで私の愛が伝わるはずだ。
そして貴女のことを恨んでないよ、と。
部屋の隅の押し入れを開き、一つのファイルを取り出す。そして中身を抜いた。
「じゃじゃーん!」
「それは……パステルリボンの会員証?」
私が取り出したのはファンクラブ会員証。世界的人気を誇るパステルリボンの会員証は累計でも一千万を優に超える。
怪訝な顔の義妹に私はプラスチック製のカードを突き出す。そして番号を指さす。
徐々に京華ちゃんの顔に驚きの色が広がっていく。
「ファンクラブナンバー……一番!」
「えっへん、どうよ。パステルリボンがデビューしたその日に徹夜でゲットしちゃった」
「確か先着順ですごい数申し込みあったような……」
そうそう。あの日はサイトを開くだけでもラグが酷くて大変だった。最新PCが置いてあるネカフェに籠もり、争奪戦を制したときの達成感は半端じゃなかった。
「京華ちゃんは私にとって唯一の可愛い妹だよ。今も昔もずーっと応援してるんだから。だから、困ったことがあったらなんでも聞いて、悩んでいることがあるならいつでも頼って」
そう、貴女がこうして私の家に来たのも何か理由があることなのだろう。それが仕事の悩みなのか、それとも単純に住む場所が欲しかったのか。それは分からない。いつか話してくれるのかもしれないし、一生秘密なのかもしれない。
しかし、お姉ちゃんはいつでも可愛い妹のためならいつでも力を貸そう。
「ありがとう千早ちゃん……また今度力を借りるかも」
静かに、震える声で呟いた義妹の目はわずかに潤んでいるような気がした。義妹にも人に言えない悩みがあるのだろう。
その夜、私は懐かしい味に少しだけ実家のことを思い出した。




