第17話 新しい季節
「今日はいつもより一段と寒いですねえ」
「そうですね」
中身のない、味気ない会話が白い吐息となって空中に舞う。冬本番とばかりに17時にも関わらず周囲は真っ暗だ。
夕方の繁華街は寒さにも負けず、自分たちの出番に向けて張り切っている。私は今、道端の鳩のようなマヌケな顔をしているに違いない。
「竹鶴さんの最寄りは◯◯駅でしたよね。暗くなるし、送っていきますよ」
「そんな、大丈夫ですよ。方向も微妙に違うし、申し訳ないですから。それに斉藤さんはバスで帰った方が早いでしょう」
「女性を一人暗い夜道に帰すなんて、そんなのできませんよ」
「はは、心配していただきありがとうございます。私は本当に大丈夫ですから」
渋る斉藤さんを説得すること数分、私はようやく一人で帰宅することに。
ふー、やれやれ。良い人なのは間違いないんだけれど、お節介すぎるが玉に瑕だ。私は悠々と一人で駅の改札をくぐり、電車に乗り込む。
『パステルリボン、パリ公演大成功のうちに終幕!』
車内にあるモニターから今日のニュースが流れる。私はそっと目を背け、吊り革を握りしめる。京華と私の関係が終わった日——あれから既に季節は一周した。冬を迎えて、サンタクロースに子供達が胸躍らせる今の時期、独り身は肩身が狭い。
それにしても、随分時が経ったように感じるのはなぜだろう。
「まもなく〜〜駅。お出口は右側です。足元にお気をつけて——」
あの日京華が家を出て行って以来、私たちは一度も会っていない。家を調べてみても貴重品等は一切消えていたので、どこか別の住居を見つけたのだろう。加えてパステルリボンのワールドツアーが始まり京華が日本を離れてしまった。会いたいと願っても会える状況ではないのだ。
「すみません、降りまーす」
人混みをくぐり、駅のホームへ。私は相変わらず、あのボロアパートに住んでいる。一方、京華たちパステルリボンはワールドツアー中に発表した新アルバムが爆発的な人気を獲得し、正真正銘世界的アーティストの仲間入りをした。彼女たちの主戦場は今や、オリコンではなくビルボードだ。そして今年はグラミー賞にすら手が届きそうなのだから、飛躍の一年といえる。
「……ただいま」
帰りの挨拶をする必要なんてないのに、1年前の癖が抜けない。あれ以来、時々訪れる胸の痛みを抑えてタバコに火をつける。今や私は1日1箱では済まなくなってしまった。
カバンを適当にソファに放り投げたら、ころりと何かが転がった。はて、なんか入れてたっけ?
腰を曲げて床から拾い、顔を近づける。甘い砂糖の匂いを撒き散らしたソレは渦巻き状でおどろおどろしい色をしていた。
「なんだ。以前斉藤さんから海外土産としてもらった飴じゃない。イギリス……じゃなくてアメリカ、だったような。あれ、ベルギーだっけ?」
長い間放っておいたせいか、包装に貼り付いて離れそうにない。高級品にも安物にも見える、判断に困る飴だ。
「にしても、なんか食欲がそそられない見た目してるのよねえ」
斉藤さん——半年ほど前に仕事の取引先で知り合った男性。仕事だけの付き合い……というわけでもなく、私は彼から熱心にアプローチされている。自意識過剰、お前の勘違いだ、というわけでもなく何度かデートに誘われた過去がある。
当時は恋愛をする気がなかったため、断り続けていたのだが、今日再び仕事の関係で偶然出会ってしまった。
「いつまでも過去ばかり振り返っていても仕方ないし……はあぁ。それにしてもデートかぁ」
タバコの吸い殻を灰皿に押し付け、思案する。真面目に働いていて、常識ある男性。身長も高く、顔も意外と悪くない。きっと彼と付き合ったら、誰からも文句は言われないだろう……京華との関係とは違って。
実は京華は記事について釈明することはなかった。ノーコメントを貫く姿勢に批判の声はあったものの、別に犯罪をしているわけでもないため表立ってバッシングされることもなく(当然ネット上では酷いコメントは沢山あったが)自然と鎮火していった。
加えて報じた週刊誌が一つだけで、他の媒体からは一切情報が出なかったのも大きかった。読者からすれば、信憑性に疑問符がついたからである。
今でも考える。あの時私が選んだ道は正解だったのだろうか。
「正解……だったよね。だって、世間はみんな間違ってるって言ってたし」
当時の掲示板では「パステルリボンの大事な時期に無責任」「相手の女が誑かしたに違いない」などのコメントで溢れかえっていた。
何度振り返っても、私の行いは世間的には最善の策で正解だったという結論に達する。けれど、あれが正解だったのなら、なぜこんなに胸が苦しいんだろう。どうして、京華のことを考えるだけで自己嫌悪で憂鬱な気分に苛まれるのか。
正解と不正解、正義と悪だったとしたら、正解で正義だったはずなのに……。
ピコンッ。スマホが音を立てる。一通のメールが届いた。差出人は「斉藤正」と書かれている。
内容は今度の休日デートしませんか、というものだった。そろそろ次のステップに踏み出す時なのかもしれない。
忘れたくない、けど忘れなければならない思い出。どうしても忘れられないなら塗り替えるのも一つの手だ。迷いながらも私はスマホに指を滑らせる。今度は正解に辿り着けることを信じて。




