第13話 逃げ出した先に
「ここは……?」
建物に入ってすぐに違和感に気がついた。人がいない。普通は店員さんとか警備員さんがすぐに駆けつけてくれるはずなのに。焦る心を落ち着けて、周囲を観察する。ここは——「ホテル?」
そう、私が飛び込んだのは歓楽街の一角を占めるホテルである。それも、どうやらいやらしい意味を持つ方の。
こうしている間にもストーカーはすぐそこに迫っているに違いない。
とりあえず、適当に部屋を選んで階段を登る。エレベーターを待つ時間も惜しかった。
4階の一角、重厚な部屋にカードキーをかざして入室する。
扉を閉めた途端、疲れがドっと押し寄せてきて、その場に座り込む。
「にしてもストーカーから逃げてホテルに来るって……馬鹿、馬鹿! これじゃあ自分から罠に飛び込んでるようなものじゃない。もし捕まったら……」
ぶるりと体が震えた。嫌だ、絶対に嫌だ。
だれか、誰か助けてほしい。けど、京華ちゃんにはあんな風にキツく当たってしまって私が頼れる人間なんてもういない。
自然と顔が下がる。扉の外に耳を澄ませていると、スマホがポケットからこぼれ落ちた。
マナーモードゆえのバイブレーションが床に響く。厚手のジーンズに阻まれて、気がつかなかったようだ。
画面を見ると——竹鶴京華の文字が。
もう迷うことはなかった。
「助けて!」
「どうしたの? 何回かけても繋がらないし、今どこで何してるの⁉」
「ストーカーに追われて逃げてて……◯◯ホテルの××号室に隠れてる」
早口でアメニティに書かれていたホテル名と、部屋番号を告げる。呂律が回っておらず、何回か同じことを繰り返した。
「今行くからそこで待ってて!」
強い口調で電話が切られる。一瞬押し寄せな僅かな安心感は再び闇に消え、孤独と恐怖から震えが止まらない。
改めて廊下の音に耳をすませば「チーン」とエレベーターが到着した音が聞こえた。フード男が来たのだろうか?
扉のそばでうずくまりながら祈る。神様、どうか助けてください。私の部屋の前で足音が止まる。自分の部屋を確認しているのか、それとも私の居場所を探しているのか。心臓が激しく脈打つ。行け、行ってくれ!
数秒の静寂の後、隣の部屋の扉が開かれた。全身が弛緩して、肺の空気が自然と漏れでる。どれだけ息を潜めていただろうか。あれから幾度もエレベーターが停まる音を聞き、心臓が止まりかけた。時計の針がゆったりと音を鳴らす中、再びエレベーターの到着音がした。だがしかし、今度は慌ただしい足音を伴って。
まっすぐ私の部屋の前にくると、「お姉ちゃん、開けて! 私だよ、京華よ!」と扉が叩かれる。
来てくれたんだ。心の底に広がった安心感に私はようやく一息ついて扉を開けた。
「観念なさい、この変態野郎……ってお姉ちゃん⁉」
頬に走る衝撃。遅れてやってきた痛みとともに、私は床にひっくり返った。
「痛ぁーい!」
綺麗なフォロースルーから、全力のビンタをお見舞いされたのだと認識するのに数秒要した。
「ご、ごめんなさい。私てっきりお姉ちゃんがホテルに連れこまれて、アレやコレやされていると思ってつい……」
あれこれってナニよ。どうやら私のあやふやな説明は深刻な勘違いを引き起こしていたらしい。京華ちゃんは頰を抑える私を心配そうな顔で見つめ、そして頭を下げた。
「ごめんなさい」
「謝らないで。テンパってちゃんと説明できなかった私が悪いの」
「ううん、そうじゃなくて……やっぱり現場は空気が独特だし、合わない空間に無理矢理連れ出して、ごめんなさい」
京華ちゃんは腰を折り頭を下げた。違う、そうじゃないんだよ。
本当の事を伝えるべきだろうか。けれど、そうなったら私の妹に向ける許されない想いを明かさなければならない。
でも——それでも伝えなければならない。それは私に心を許してくれている義妹に対しての最低限の礼儀に思えた。
恥ずかしさで顔が熱くなるのを堪えて話を切り出す。
「顔を上げて。実は、私こそ謝らないといけないことがあるの。私が帰った理由は劣等感なの」
「劣等感?」
「京華ちゃんが芸能界っていう輝かしい舞台で活躍してるのを見て下町のボロアパートで暮らしてる自分が惨めになって……苦しくなって……だから、謝るのは私の方。ごめんなさい」
「お姉ちゃんがそんな風に思う必要ないわよ!」
「ありがとう。あともう一つ言わないといけないことがあるの」
深く息を吸う。首を傾げた京華ちゃんに私たちの関係を破滅させる言葉を告げる。
「もう京華ちゃんと一緒には住めない。妹として接することができないの。一人の女性として見てしまった」
「それって、私に妹以上の感情があるってこと……?」
肯定の意を込めて頷く。もう京華ちゃんを直視できない。
「同性だし、姉妹だし、色々変に思うかもしれないけど……本当にごめんなさ——」
「今日はタバコ吸った?」
「え?」という言葉が口から溢れ出る。そんな私に向かって若干頬を赤くした京華ちゃんは同じ言葉を繰り返した。
タバコは……吸ってないか。ドラマの見学から家出、ストーカーに忙殺されて吸う暇がなかった。図らずとも1日禁煙したという事実に気がついた途端、急激に口元がさびしくなる。
「吸ってないけど」
「そう、なら今回は大丈夫ね」
今回? 前回がいつか、なにが前回なのか、今回ってどういうことだろうか、全く見当がつかない。答えを探していると両肩に京華ちゃんの手がかかった。
ちょっ、ちょっと近い。いや、嫌なわけじゃなくて、当然嬉しいけれど。
低い位置からジッと見上げる瞳に自分の姿が映るほど、私たちの顔が近付く。
そして、唇に湿った感触が走る。ちょっと柔らかくて、どこか硬さもあり、前回の記憶が鮮明に蘇った。
「……私も好きよ」
雲の上を歩いているようなフワフワした気持ち。冬眠中かと思うほど活性度の低い脳みそをなんとか動かして言葉を見つけようと頑張る。
けど、春には程遠いらしく、適当な言葉はいくら探しても出てこない。仕方なく私は思いついたまま疑問を口にする。
「いつから?」
「子供の頃からずっとよ。そ・も・そ・も、好きな人以外とキスなんてしないわよ! 鈍感な誰かさんはスキンシップの一環だと思ってたみたいだけれど」
「だ、だって私なんかを京華ちゃんが好きになる理由なんてないし……」
「大好きよ。こんなにカッコよくて、可愛くて、優しい義姉ちゃんを好きにならない理由なんてないわ。私なら千早ちゃんの好きな所百は余裕、千超えて一万くらい言えるわよ!」
「さすがそれは盛りすぎじゃないかな……」
そもそも日本語に一万も褒め言葉があるのだろうか、辞書を引っ張ってきても無理だと思う。
「そ、そんなこと……あったりなかったり」と京華ちゃんも思うところはあったのか、しどろもどろに。言い出しっぺながら、もう少し頑張ってほしいと思うのは我儘だろうか。
「私の財力、ツテを総動員して出身大学を調べ、職場および居住地を割り出す。そして家に転がり込んだ後もお姉ちゃんを餌付け……ごほん、落とすためにたゆまぬ努力を続けた甲斐があったわ!」
いま餌付けって言わなかった?
連日にわたり大好物が食卓に並ぶのは偶然ではなかったようだ。というより、ここまでくれば京華ちゃんが転がり込んできた理由も明白なわけで……。
「とにかく、不純な気持ちがあるから同じ家には住めない? はっ、なに言ってんのよ! 私には最初から不純な気持ちしかないわ!」
どうやら妹はおそらく初恋?相手であろう私を追って実家を飛び出して家に上がり込んできたようだ。私と同じく実家が嫌になって、色々ストレスを抱え込んでなど、私が想像していた様々な理由は間違いだったらしい。
衝撃的な告白を終えた後、京華ちゃんは政治家の演説よりも堂々と胸を張った。 それは流石に……ストーカーよりタチが悪いのではないだろうか?
絶句する私に向かって京華ちゃんは質問を投げかける。
「お姉ちゃんは私のどんなところが好きなの?」
「え〜と、色々かな」
とある2文字が脳内に浮かび上がったが、口にするのはあまりに恥ずかしく、また人間としての尊厳を大いに失いかねないため言葉を濁す。
「1個だけいうとしたらなによ? 私なら千早ちゃんの好きなところ千は言えるけど、まさか一個も言えないというの?」
「やっぱり一万は無理だったんだ……」
「っ、そんなことはどうでもいいの。一個よ。たったの一個なんだから恥ずかしがらずに言ってよ」
「言ってもひかない?」
「もちろん!」
「ほんとの本当に? ドン引きして、やっぱり絶交なんて言わない?」
「当たり前よ! 恋人同士の愛の語らいで絶交するなんてありえないわ!」
信じるからね、その言葉。私はおそらく京華ちゃんに惹かれるようになった最初の原因を告げる。
「母性、かな」
「……………………」
絶句した。ロボットよりも硬く、京華ちゃんはその場を動かなかった。室内の換気扇の音がやけにうるさい。
「小さい頃から家でも甘やかされることなかったし……学校でも背が高いとそういうキャラにはなりづらくて……」
だから私は飢えていたんだと思う。誰かから甘やかされる環境に、と付け加える。
互いの告白は互いをドン引きさせるという誰も幸せにならない結果をもたらした。ま、まあ、ちょっと怪しい所があるという共通点が私たちの相性の良さかもしれない。うん、そうに違いない。
「私たち似たもの同士なのかも」
「そりゃあ姉妹ですから」
義理の姉妹で恋人で、国民的アイドルとOL。複雑で奇妙、噛み合わないようでどこか噛み合う。
そんな私たちの関係はこれからどうなるのだろうか。願うことならずっとこの関係が続けばいい。そう願えてならない。
「ふふふ」
「あはは……あっ!」
「どうしたの?」
「私財布持ってきてないから出られない……お金貸してくれない?」
「…………」
私の一言がきっかけでとりあえずロマンチックな空間は終わりを告げるのであった。




