第10話 自覚
気持ちを自覚した途端、目元が熱くなった。
痛くて、苦しくてどうにかなりそう。虚しさが体を突き抜ける。
だって本来私と京華ちゃんは横に立って歩ける関係じゃない。私たちの関係は姉妹という糸で繋がれているだけ。
けど、私が抱える想いを伝えたら糸は途切れてしまうだろう。そして糸が切れれば京華ちゃんは凧のように空へ飛んでいってしまうんだ。私の手の届かない、ずっと遠くへ。
だって竹鶴京華は国民的アイドル。比べて私は東京のボロアパートで暮らす普通のOLだ。誰かに応援されるわけでも、期待されているわけでもない。日々会社の歯車として代替可能な部品として動くだけ。
スポットライトの当たらない暗闇で生きる人間だ。
まさしくスポットライトに照らされた舞台で生きる京華ちゃんとは月とスッポン。私には高嶺の花だ。
「さっきからずっと私の顔見てるけど、なんか付いてる?」
まばたき一つすら惜しい。この距離でいられる特権を存分に享受する。
「なんでもない。夕飯何作ってくれるのか考えてただけだから」
愛想笑いは上手くできているだろうか。私はどんな顔で、立場で喋りかけていいか分からない。美しい夕焼け空に1匹のカラスが飛んでいる。
「お姉ちゃんが私の顔見てご飯の頭になるの複雑な気分だわ……まるでご飯をねだるペットみたいじゃん」
本気で困ってるようでもあり、冗談でもあるような口調で京華ちゃんは笑った。
会話が続くだけで心拍数は勢いを増す。家までの距離およそ500メートル。
普段と比べて時間は永遠のようでもあり、一瞬でもあった。
ペンキの剥がれたアパートの外壁。ステンレス階段のよく響く足音。どれもが古びていて、顔を覆いたくなった。
理由は明白だ。竹鶴京華を妹ではなく大人気アイドルで好きな人という目線に転換してしまったから。
オートロックでない古びた鍵を刺し、ドアノブを回せば扉が悲しげな音を立てて開いた。
いつもは脱ぎ散らかす服を丁寧に脱衣所まで運ぶ。
「お姉ちゃんが服を床に置かないなんて……明日は雨かしら。と、まあ冗談は置いといてお腹減ってるからとっとと夕飯作っちゃうから一緒に食べよ」
好きな人の前で小学生みたいなみっともない真似するわけないじゃない……してました。
過去の私は常に恥を曝け出して暮らしていたような気がする。勘違いであって欲しいが心当たりはある。めっちゃある。
うぅぅ……やり直したい。例えこの命を捨ててでも。セーブアンドロードを繰り返して未来を変えられる系ラノベの主人公になりたい。
いや、やっぱり死ぬのは怖いし引き出しの中から飛び出してくる猫型ロボットが欲しいな。
「突然うめき声をあげながらお姉ちゃんが壊れちゃった……あなたは救急車を。そちらの方はAEDを持ってきて」
「病気じゃないから! ただ過去の失敗が突然頭の中に湧いてきて悶絶してただけだから」
「フラッシュバックするほどトラウマな経験というわけか。深刻な問題だわね。この新薬を試してみたらいかが」
「こわっ。てか、その薬ただの酔い止めだから!」
「ふふふ、冗談よ。実は今医療ドラマの撮影してるの。役が凄腕の女医さんだからつい力入っちゃった」
お茶目にウインクして、京華ちゃんは台所に入った。
はぁ、なんかどっと疲れたよ。にしても……女医さんか。私も京華ちゃんみたいな女医さんに診察してもらいたい——ってどんな妄想してるんだ。
京華ちゃんに甘えたいという欲が脳内を支配している。仕方ないのでニコチンを吸い込んで欲を上書きする。
いつもと同じ環境で取り止めのない日常。しかし、好きな人と同じ空間にいるだけで、簡単に非日常に変わってしまう。
テレビをつけて灰皿に灰を落とす。時計の針の音に耳を澄ませ、料理ができるのを待つ。
およそ10分後、エプロン姿の天使がお盆とともにやってきた。
「生姜焼きだ! やったー、私大好物なんだよね。前から思ってたんだけれども、京華ちゃんって私の好み把握してる? 好きなものばっかり出てくるんだけど」
「うっ、たまたまよ! 決してお姉ちゃんの好物を調べたこともないから! 単純に私とお姉ちゃんの好みが似ているだけだから。姉妹だもん」
うーん、遺伝的つながりはないんだけど。まあ生育環境が同じだと食の好みは似るものなのかもしれない。生姜焼きを箸で突っつくと甘辛いタレが肉汁と共に溢れた。
「あっ、今映った俳優さんと一緒にドラマ撮ってるのよ」
思考を遮るように京華ちゃんがテレビ画面を指差す。画面に映る男性は貴族のような艶やかな金髪を頭の後ろで縛り、爽やかな笑顔を振りまいていた。見つめるだけで女性を虜にしそうな瞳。シャープな顔つき。まさにザ・イケメン俳優。私の住んでいる世界には決していない華やかさを身につけている。
京華ちゃんはこんな人と普段仕事しているのか……。
はは、なんだろ。私なんかがアイドルに想いを寄せているなんて身の程知らずなのかも。
隣の彼女は上品な箸使い。きっと両親にきつく躾けられたのだろう。私と育った場所は同じでも与えられた環境はまるで違う。
ちゃんと現実を見つめれば食事を摂るだけで身分の違いが出てしまう。沈む私の内心など気がつくはずもなく京華ちゃんはとある話を切り出した。
「実は明日、ドラマの撮影あるんだけど見にこれないかな。さっき言ってた女医役のドラマなんだけど、現場がこの近くなのよ。滅多にない機会だからどうかなって」
カレンダーを見る。明日は赤字で書かれた日曜日。ドラマの撮影——一般人にはあまりに縁遠い場所である。
華やかな現場に私が行けば豪邸に現れるドブネズミくらい場違いなんだろうな。
シャンデリアに照らされた空間を見上げたら下水道の暮らしが惨めになるだけだ。
行くべきじゃない、お前なんて不釣り合いだ、そんな頭の声と葛藤しながら「考えておくね」と硬い口を動かす。
散々迷った挙句迎えた日曜日。私が早起きして現場に向かったのは文字通り「怖いもの見たさ」というやつだった。
「本番いきまーす」
普段の生活では見ることのない美男美女たちが一斉に動き出す。よく通る張りのある声で役者さんたちが生き生きと役に命を与える。眩しいほどの輝きを放って。
私やっぱり場違いだ……。




