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111.盤上の駒は踊らない②仮初の城(ワンダー侯爵視点)

 短いノックの後、扉が開いた。

 待ち人であった元帥の登場に、部屋の空気は再びピンと張り詰める。


 元帥の入室の歩みに合わせて硬質に床を叩く杖の音が一度、二度と響く。

 扉が閉まってすぐ、元帥は扉前から動くことなく静かに声を発した。


「安心し給え。娘は無事だ」


 娘について言及されたことで緊張が走りゲイリーが身を浮かしかけるが、元帥の眼差し一つが彼をソファへと押しとどめた。

 もはやステラの無事な姿を見るまでは落ち着けない様子のゲイリーをその視線で一瞥した元帥は、席につくこともせずに結論だけを促す。


 それはまさしく彼にとって当然の問答だった。

 軍に(くみ)するしかないだろうと、答えの決まっている問いの答えを聞くのに彼はこれ以上の時間を割くつもりがない。


 侯爵家にとっては軍事閥との関りは損ばかりではなく、元帥自らが勧誘しているのだからなおのこと。

 商会にとってもそれは当然。


 今後の戦への協力は本来であればこのような策など労せずとも利害は一致しており、ステラを引き離したのはその交渉にかける労力を少し削ったにすぎない。

 元帥にとってその返事は規定路線でしかなかった。

 だから促す。


「もちろん返事は是だな?」


 元帥は手元の杖を一度軽く床へと打つ。

 

 彼の思惑は間違いではない。

 しかし、彼は勘違いをしていた。


 彼がただ交渉を円滑にするためだけに安易に用いた存在の重要性ことを。

 侯爵と商会長に頷かせる決め手に利用した幼い娘の存在感を、彼は測り違えていた。


 彼に誤算があったのだとすれば、その一点に尽きる。

 娘の無事を確認するのが先だと強固に主張する商会長へ、元帥は分かっているとばかりに今自身が入ってきたばかりの扉を背に示した。


「娘の無事は部下から報告が上がっている。今その部下に連れてこさせる。その後は調印を」

「彼女の無事が確認できればね」


 いけしゃあしゃあと言う元帥に対し、侯爵はせめてもの抵抗として気丈に返した。

 今は元帥の言に乗ってやることしかできないが、侯爵としても家族の恩人である少女へのこの仕打ちは腹に据えかねている。

 

 後日か、軍事行動が始まったころか、何らかの形でこの軍のトップに何らかの形で見返してやろうと煮立つ内心を平静な顔で隠していた。

 元帥が杖の先で扉を一度叩くと、使用人のそれよりも重厚なノックが一度、二度と返ってきた。


 扉が開き先に入室してきたのは、侯爵と商会長をこの部屋まで案内した元帥の部下の軍人であり、彼らとステラとを引き離した張本人である軍服の男だった。

 ゲイリーが明らかに厳しい目を男へと向けフットマンの青年が殺気すら飛ばす中で、軍人はそれをさも知らない顔をして入室の礼を元帥へと取っている。


 それから、その軍人が背後へと振り返り、そしてその動きを止めた。

 元帥に言われてステラを連れてきたはずの彼は、一度下へと向けた視線を不可解そうに上へと持ち上げると、何やら狼狽え始める。


 一体何が、と侯爵が考えている間にも、元帥が早くしろと軍人を急かした。

 何か軍人が言いかけたところで、扉を支えていた軍人の手を押しやるようにして強引に扉が大きく開かれる。



「あ、パパ! ここにいたんだねえ!」



 開いた扉から顔を覗かせたのは愛らしい少女ステラだった。

 部屋の中に父を見つけた彼女はパッと花開くように明るい笑顔になった。


「ステラ!」


 ゲイリーの安堵の声が上がる。

 すぐに腰を上げ今にも愛娘ステラの元へと向かおうとするゲイリーを冷静に手で制したのは侯爵だった。


 ステラの片手、扉の向こうに未だ伸ばされたその手と手を繋ぐ誰かがステラに続けて入室してくる。

 不審な第三者の登場に警戒こそすれ、侯爵は現れたその者を恐ろしいとは思わなかった。


 侯爵がその男を知らなかったとしても、ステラが男へと振り返ってにこにこと嬉しそうに笑っているのを見れば彼の入室が不穏を呼ぶとは思えない。

 周囲の様子を確認すれば、男に見覚えがあるらしいゲイリーは困惑の表情を見せており、背後のチャーリーはといえばどういうわけか何かを察したらしく表情を綻ばせていた。


 元帥の視線がステラと手を繋ぎ入室してきた男へと向く。


「……貴殿は」


 目を細めるその仕草から、彼が元帥の意図しない来客であるのは明らかだった。

 部下の軍人は叱責を待つかのように身を縮み上がらせ顎を上げた姿勢で直立している。


 そんな元帥からの視線を意にも介さず、その男は笑みさえ浮かべて飄々とした雰囲気を纏って立っていた。

 男は部屋の中を見回すと、初対面である侯爵に目を止めて短い礼を示してから元帥へと向き直った。


「第二王子の教育係を任じられております、アヤドです。大切な会談の場にお邪魔します」

「用件を聞こう」

第二王子(デイヴィス)様より、ご挨拶をと仰せつかり馳せ参じました」

「……」


 侯爵はこのやり取りに困惑するばかりだ。

 教育係の男の言葉の意図が拾えずに惑うゲイリーの困惑とは違い、やり取りからその『意味』を汲み取れたからこその困惑だった。


『第二王子がこの会合に関心を寄せている』


 その事実が、理由が、侯爵には分からない。

 王子と元帥との間に何があったのかを侯爵は知らない。

 王子がステラに関心を持っていることを知らない。

 それゆえに、なぜ元帥が侯爵たちを引き抜くのに第二王子が牽制を寄越したのかが分からなかった。


 しかし、侯爵はここに一筋の光明を見る。

 第二王子の介入により、圧倒的に元帥優位だった均衡が傾いたのを肌で感じていた。

 だからこそここは“(ケン)”に回る。

 元帥と王子の真意を測り、正しく選び取らねばならなかった。


 だからこそ、緊張状態のこの場に似つかわしくない声に咄嗟には反応ができない



「『じゅうだい』な『しょうこ』をお見せしましょうねぇ」



 静寂をストンと裂いて響いた明るい声の主は、ご機嫌で。

 王子の教育係と繋いでいた手をうんしょとほどくと、肩紐で下げていたポシェットの口を大きく開いて勢いよく両手を突っ込んだ。


「えっとね」

 

 腹の前でごそごそとポシェットの中をあらためるその動きはいっそコミカルだ。

 手の隙間からポロポロとどんぐりが零れ落ち、元帥の客間にどんぐりが落ちるのを見た部下の軍人が慌ててどんぐりを拾い始めている。


 ポロ、ポロ、ポロリン、ポロポロ。

 一体何十個拾ってあったのか、どんぐりはポシェットの中からどんどんと床に落ちては短い毛足のカーペットに跳ね、あちこち、あらぬ方向へと跳んでいく。


 そのうちの一つがコロコロと足元まで転がってきたのを見て、侯爵は全身に張っていた力が抜けてしまった。

 隣と後方では、先ほどまで殺気立っていた商会二人もすっかり浄化されて微笑んでいる。


 やがて探し物を見つけたらしいステラが、ポシェットの口の大きさギリギリの手帳をよいしょと引っ張り出した。

 片手でそれを高く掲げて言う。


「ジャレット印の、多機能(システム)手帳~!」


 抑揚を付けて言った彼女は、満足したらしくほくほく顔だ。

 部屋の中の一人ずつ(部下の軍人を除く)にシステム手帳というらしいそれの表紙が見えるようにいちいちかざして見せてやっている。


 最後に至近距離でアヤドにも「七つ道具なの」と言って見せてやってから、掲げていた手を下ろした。

 ここまであまり感情らしい感情を見せてこなかった元帥も、さすがに幼子によるこの展開は想定の外だったらしくわずかに片眉を歪めて見える。


「ステラ様、重大な証拠ですか?」


 アヤドがステラにあっけらかんと問うた。

 その声音はやや他国の訛りが見えて、気安い様子だ。


「うん! あのね、探偵さんの調査によって、悪は挫かれるのよ!」

「ほお、どれどれ」


 この場がどういった場なのか忘れたように、王子の教育係は子どものごっこ遊びに付き合ってやるつもりのようだ。

 ステラが開く手帳の中身を一緒に見て、ステラが書き込んでいたらしいメモのあちこちを音読し始める。


「あのね、待っててねって言われてね、待っているお時間に書いたのよぅ」

「ふむふむ、『パパをつれてった』、『むりやり』、『いたいことされてないかな』、『まっちょまん』、『しんぱい』……なるほど、なるほど」


 身を屈めてステラと手帳を見始めてしまった王子の教育係に、しばらくじっとそれを待っていた元帥もさすがに痺れを切らした様子で低い声で促しの言葉を吐いた。


「御用が済まれたなら退室を。王子の元まで護衛が必要なら部下を付けましょう」

「それには及びませんよ」


 元帥の言葉をまたもやあっさりと受け流す王子の教育係は、ステラに一言かけて手帳を預かるとよっこいしょと声を上げながら屈めていた身を起こした。

 それから、メモ帳の一つのページを開いて顔の前に掲げ、うんうんと熱心に読み込む振りをしている。


「一体何を────」

「この一節」


 言いかけた元帥の言葉を、教育係の男は自身の言葉で抑える。

 そして、先ほどのステラの発言をまるでなぞらえるように「『重大な証拠』ですねえ」と揶揄して言った。


「ここ。この一節に、『こわかった』と書かれとります。これはいけませんねえ。こんな小さくて可愛らしいお嬢さんを怖がらせるなんて、これはよくないなあ」

「貴殿は一体何が言いたい」

「気を付けて、と、言うとります」


 スッと、笑みはそのままに教育係の男の目が薄く開かれ元帥を真っ直ぐに見た。

 冷えた視線は、『釘は刺した』と、間違いなくそう言っている。


「……」

「今後は“子どもを怖がらせるような真似”はしはりませんように」


 では、と、軽い態度で室内の全員へ再び礼をとった彼は最後にステラに向けて手を振ってから部屋を後にして行った。

 嵐のようだったと、侯爵は思う。


 正直、今のやり取りが第二王子からの牽制であったと、それ程度のことしか分からない。

 それにしても、元帥の巡らした取り込み工作を“子どもを怖がらせる”なんて矮小な行いとして言い切るなんてと、第二王子が見せた余裕にも畏怖の念を抱いた。


 去っていった教育係の男へとバイバイと手を振っていたステラが、言ってやったぞとばかりに満足した様子で父の商会長の元へと駆けてくる。

 嬉しそうに両腕を広げたゲイリーがそれをしっかりと受け止めた。


 城は魔境だ。

 しかし、自身の側に心強い味方がいるらしいと分かった侯爵は幾分か気が楽になった。


 盤面はまだ動く。





どんぐりは子ども部屋でお庭へ出たときに拾った。大漁。

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(パパまっちょまんにむりやりつれてかれていたいことされてないかなしんぱい…)
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