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きみおもふ  作者: 豆蔵。
12/13

ご、露草-3


 露草はもつれる足でその間に割り込むと、土蜘蛛に抱きつくようにして庇った。背中の身を引き裂かれる痛みが走る。

 「あああああああああああ!」

 あれだけ出なかった声が、喉を突き破るようにして響き渡った。

 「露草殿、土蜘蛛!」

 『ぎゃう』

 側女の悲鳴が聞こえたが、露草には振り返る気力がなかった。しがみついていた手が力をなくして、落ちるようにしゃがみこむ。

 背中が痛い。

 意識が朦朧とする。

 それでも、あふれ出す涙は痛みのせいじゃない事に、露草は一人笑った。

 「良かった。良かった」

 「露草殿」

 薬師丸の声に、ゆっくりと時間をかけて顔を上げると、露草を覗き込む薬師丸の姿と、呆然と立ち尽くしている土蜘蛛の姿が彼の瞳に映った。

 「やくし、まる殿…。土蜘蛛様は、無事、ですか?」

 目が霞んでよく見えないが、薬師丸は頷いたようであった。追って、声が聞こえる。どうやら露草の目がよく見えていない事に気づいたらしい。

 「ええ。ええ。あの女はもう息絶えております」

 「そう…ですか」

 ふらりと、露草の身体が傾いた。

 その身体を薬師丸が支えて、彼は苛立たしげに、ちくしょう、と呟いた。彼の口からそんな下劣な言葉が出るとは思わなかった露草は、小さく笑う。

 「だめですよ、薬師丸殿…。茶々がまた、マネをする…じゃ、ないですか」

 「喋らないで下さい。窮鼠の毒だ――血が止まらない」

 「狛どのも、噛まれて…」

 「あの馬鹿犬は大丈夫ですよ。ああ見えて、元は神に仕える身です。ちょっとやそっとの穢れは平気なのです」

 「そう…良かった」

 「何故」

 突然聞こえた土蜘蛛の声に、露草はぴくりと身体を浮かした。

 「何故――俺などを庇った」

 目が、もう見えない。

 その分耳が良くなったように思えて、露草は声の聞こえる方に手を伸ばした。土の上を辿った指先が、草履に触れる。

 「あなたに、生きて、欲しかった」

 「俺は人殺しだ。この手で、幾人を斬った」

 「………知ってます」

 「その人が、何故俺を庇う」

 露草は、笑う。

「何故、なぜ、と……意味など必要ありますか? 僕があなたを護りたかった…それだけだ」

 違う。そうじゃない。

云えない自分が、土蜘蛛には恨めしい。

 露草を護りたかったのは土蜘蛛だ。身を投げ打ってでも護る覚悟もあった。

 だのに、何故お前が俺を庇う。




 ――人を動かすのは理屈じゃない。だのに、理屈じゃない事に、人は平気で命を賭けるのです。


 


 俺などのために、命を落とす。 

 「露草殿、喋ると傷が…」

 「いいの、です。どの道僕は、そう長くは…もたない」

  露草は、痺れる唇を動かす。

  その前に、伝えなくちゃならない言葉がある。

 「土蜘蛛様、あり、がとう。……あなたのおかげで僕は、毎日が、楽しくて…。屋敷、から、道を見下ろす時間が……好きで…。今は…幸せだ…」

 指先の感覚も、もうない。

 「見ず知らない京の人間の生き死になんて、僕には…どうでもいい事です。 ――僕が幸せを願っているのは、僕の手で護れる、ほんの……小さな人数で…あなたは、その中の一番だった。……僕の命より、大切だった。…それだけだ」

 嗚呼。

 土蜘蛛は、何かを堪えるように手のひらで目元を覆った。

 この子も同じ決意を抱いていたと云うのか。

 奇しくも土蜘蛛を護る為に。

 露草は、自らが涙を流している事にも気づかなかった。

 それを知らせてくれたのは、誰かの指が、彼の目元を滑ったからだ。

 「………馬鹿な、人間だな…」

 その指先が土蜘蛛のものだというのは、耳元で聞こえた声が、あまりにも近かったから。

 想像もしなかった彼の優しい声音に、露草は下唇を噛んだ。

 「僕は、女になりとうございました」

 云うつもりもなかった言葉が、口を吐いて出る。

 自分の奥底に閉じ込めて、蓋をしていた想いが次々と溢れ出した。

 「身体だけでもいい、あなたに、あなたに…愛されとうございました。でも、僕には、それが…か、叶わないから……せめて、せめて、あなたが幸せなら、僕も幸せだと思えた」

 伝わって欲しい。上手く言葉に出来ないこの想い。

 出来るだけ露草の感じるものに近い想いが、届くように。

 「逢えて良かった。僕が男で良かった。この恋で良かった。 ………あなたに抱かれる事は出来なくても、愛される事が出来なくても。 ――どうか、この想いが、あなたを、護りますよう、に」

 「露草」

 「……露草」

 不思議だ。

 茶々の声が聞こえた気がした。

 土蜘蛛の次に、愛しい少女の声。

 「嗚呼…茶々の声も聞こえる気がする…。土蜘蛛様と、茶々の声に見取られるなんて…やっぱり僕は、幸せ者だなあ…」

 茶々、と呼ぶ声が掠れる。

 意識が遠のく。

 それでも、最後の一言まで告げたい。この世界に刻まれた想いが、露草が死んでも残るように。形作るように。

 「土蜘蛛様を、想う気持ちを教えてくれて、ありがとう…。…………茶々…、…どうか、どうか…」



 ――露草。誰かを想うって、こんなに幸せな事なのね。



 脳裏に、幼い二人の記憶が過ぎる。

 ふっくらとした頬を朱に染めて、指先を絡めて、愛しそうに想いを語る茶々の姿。




 ――どうして、嫌いになれないのっ!




 愛し方こそ変わっても、今も昔も、彼女は一途に人を想える強さを持った子だから。

 どうか。

「君の恋が、実り、ます…ように…」

 露草の意識は、そこで途切れた。

 茶々は手を伸ばしたまま、縫い付けられたようにその場で固まっていた。

 露草の瞳が、眠るように閉じられる。その仕草をただ呆然と見ているしかなかった。

 「つゆ、くさ…」

 狛に連れられて来た時、彼はもうすでに虫の息で、土蜘蛛の腕の中にいた。

あの土蜘蛛が、人のような情を見せている。

 駆け寄って彼を突き飛ばし、露草の手を握る事だって出来たのに、目の前にある光景がそうする事を躊躇わせた。

 見ている事しか出来ない。

 露草を救う手立てがない事は、頭の中が冷静に判断している。神威の時のように、上手くは行かない。

あの時は薬師丸がたまたま、自分の傷のために煎じた薬を持っていた。だが、露草は違う。一から薬を作っていくのに、彼の体は持たない。

 それでも、助ける事が出来たなら。

 双方の想いが、茶々の身体を強張らせる。

 そうしている間に、露草は事切れた。土蜘蛛の胸に抱かれて、幸せそうに目を閉じて行く。

茶々の時が、ようやく動き出した。

 「露草」

 ふらふらと前へ歩き出した茶々の身体を、何かが支えた。首を巡らせると、そっと神威が寄り添っている。突き飛ばす気は起きなかった。

 二人して露草の側へ寄ると、彼の顔がよく見えるようにしゃがみこむ。

 そっと伸ばした指先で、茶々は彼の前髪をかきあげた。指先に触れる彼の身体は、まだほんのりと温かい。それが最後の灯火のように思えて、茶々は、両手で露草の頬を包み込んだ。

 「露草ってば、馬鹿ねぇ」

 ぽつりと、呟く。

 「人の幸せを願って死ぬなんて、……あまりに、自分勝手だわ」

 茶々と露草は、似たような世界に居た。同じものを見、同じものに触れて来た。家族から離れた。時折会って笑っては、似たような境遇を持つ自分達の匂いに救われてきた。

 だのに、こんなにも他人の愛し方は違ってしまった。

 「それで、あたしに愛する気持ちを教えて貰った、なんて云ったら……あたしが露草を殺したみたいじゃない」

 「――茶々様」

 「でも、露草は幸せなんだね。 ……こんな綺麗な顔で…」

 瞼にそっと口付けを落とした茶々は、笑顔のまま動かない彼の顔を、一つ一つ、辿るようになぞって行く。

 ふと、笑顔を浮かべて、

 「なら、あたしも幸せだわ。そしてこれからも、あなたに負けないくらい幸せでいる」

 茶々の瞳から零れた涙が、露草の目尻に落ちた。つう、と流れる。まるで、露草が茶々に応えているようだった。

 露草に聞こえているだろうか。

 きっと、聞こえているはず。

 「いつかまた、河の向こうで会いましょう。河辺に腰掛けて、一生分の思い出を二人で語るのよ。 ――その時まであたしは、あなたが全身を賭けて教えてくれた事を忘れずに、全力で生きるわ。大好きよ、露草」

 自分の小指と、露草の小指を絡ませて、茶々は彼の頬に口付けた。

 そうして目の前に座る土蜘蛛に、顔を上げて訊ねる。

 「あなたはこれからどうするの?」

 「これでもう、人斬り土蜘蛛は現われない。俺の用事は済んだ。当初の約束は違えてしまったが、俺はまた、京を出よう」

 土蜘蛛は、しばし黙った。

 腕の中で眠る露草をそっと抱く。

 そして、

 「頼みがある。露草の遺体を、俺に埋葬させて欲しい」

 頭を下げた。

 「無粋な頼みだと云うのは重々承知だ。それでも、俺が棲む近くに、彼の遺体を置く事を許して貰えまいか。 ――頼む、茶々」

 茶々は、土蜘蛛を見つめた。

 露草が混沌と呼んだ、土蜘蛛の両肩に乗っていた人の恨み辛み。それが無くなっている。きっと、露草が共に連れて行ったに違いない。

 土蜘蛛の顔も随分と気色がいい。

 そこまで見届けるようにして、茶々はしっかりと頷いた。

 言葉なくとも、共に行く事を、露草が望んでいる印のように思えたから。 

 「露草も、その方がきっと喜ぶわ」

 「……恩に着る」

 短く返して、土蜘蛛は露草の身体を抱え上げた。

 「俺はこの子に、何を返してやる事も出来ない。こうなった今、身体を愛してやる事も、魂を愛してやる事も叶わない。 ――だが、この生を全うするまで、俺は露草と共に生きる事を誓おう」

 どろんと、煙が舞い上がる。

 濃い煙の奥から現われた姿に、茶々は目を見開いた。

 露草だ。少し大人びた露草が、露草の遺体を両手に立っている。

 土蜘蛛が化けた露草は、顔こそ彼のものと云え、身体つきは女であった。豊満な胸に、曲線美の身体。その身に、統領にも負けぬ艶やかな唐衣を纏っていた。黒色に金で縁取られた蜘蛛の巣。帯は深紅。紅で彩られた唇が、切なげに笑む。

 「土蜘蛛の名を、捨てる。背負うべき罪は背負ったまま、それでも、この子と生きるために」

 「名は?」

 茶々は訊ねた。

 冷たい風が吹く。終わりかけた夏草の間を駆けて、その最後の香りが鼻腔をくすぐった。その匂いを腹いっぱいに吸い込むように、彼は大きく息を吸い、

 「名は――女郎。女郎蜘蛛、と」

 ふわりと、笑顔を浮かべた。

 その笑顔が露草と重なる。

 茶々は知らず知らずのうちに、隣に座る神威の手を握り締めていた。神威もまた、それを握り返す。

 止まったはずの涙が、ぶわり、溢れた。

 「あり、がとう」

 「礼を云うのは俺の方だ。露草と共に在る事を決めた以上、お前の式にはなれぬ。 …それでもお前たちに何かあれば、俺と露草が駆けつけよう」

 そう云って、女郎蜘蛛は背を向ける。

 立ち去ろうと踏み出した一歩を止めて、女郎蜘蛛は俯いた。

 「茶々」

 「……何?」

 



 ――あなたを殺してはあげないわ、土蜘蛛。 ……生きなさい。




 ――逢えて良かった。僕が男で良かった。この恋で良かった。




「あの時、俺を生かしてくれてありがとう」

ポツリと零すように、女郎蜘蛛は云う。

この恋で良かった、そう云った彼に恥じぬよう。

 「茶々、人とは……」

 



 ――人は憎い。




 「人とは」




――どうか、この想いが、あなたを、護りますよう、に。




「………人とは、悲しくも強い。 …愛らしい生き物だな」

 その言葉に、茶々はぐいと袖で涙を拭うと、微笑んだ。

 「本当ね」

 首だけを巡らせた女郎蜘蛛も、優美に笑う。

 「遠い地で、お前達の幸せを願っている」

 沈む夜と共に、夏は終わった。


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