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第九話「致命」

濛々と立ち込める熱と煙の奥で、スオスは平然と立っていた。スオスの立つ場所を中心に、不可視の障壁に弾かれるようにして、煙がドーナツ状に吹き飛んだ。


「へえ、熱っついね。聖剣(これ)がなかったら、お気に入りの服が焦げてたかも」


スオスは、聖剣の柄を片手で軽く握り直しながら、無邪気な笑みを浮かべていた。

彼の周囲を、虹色に揺らめく薄い光の膜が覆っている。聖剣に備わる究極の防御機能――『絶対防御』。あらゆる物理・魔導による干渉、その一切を遮断する聖なる結界。

だが、その発動には、使用者の魔力を際限なく喰らうという、悪魔のような対価が必要となる。並の魔導士であれば一瞬で魂まで吸い尽くされ、それでもなお発動に至らぬほどの魔力喰らい。

それを、スオスは呼吸をするのと同じくらい、自然に、かつ完璧に使いこなしていた。彼の内側に眠る魔力量は、聖剣の渇きすらも容易に満たして余りある、まさに底なしの深淵であった。


「……あ、ああ……」


砦の中央櫓で、ムロヤは崩れ落ちるように壁に背を預けた。

零距離から、あの先帝の怪異が放った極大の閃光を直撃されながら、無傷。無傷だったのだ。あの、魔導の極致かと見紛うほどの、とんでもない出力の攻撃で、無傷。


「化け物だ……あんな化け物、この世にいていいはずがない……。理不尽だ、あまりにも……」


ムロヤは虚ろな目で、うわ言のように同じ言葉を繰り返す。

彼が学んできた魔導の法則、軍事の常識、世界の摂理。そのすべてが、東門の瓦礫の中で笑う少年の前で、塵となって崩壊する。


その間も、『先帝の遺産』は、その表面の赤黒い紋様を狂ったように点滅させ、次々と多彩な攻撃を放ち続けていた。

先ほどの閃光に続き、空間を埋め尽くすほどの無数の鋼鉄の針が、雨あられとスオスを襲う。次いで、神の怒りを体現したかのような、黒い雷が幾重にもなってスオスの頭上へ降り注ぐ。さらには、一瞬で鋼鉄をバターのように溶かし、蒸発させる灼熱の劫火がスオスを呑み込み、最後に、東門の残骸である鋼鉄の扉の破片や巨石が、隕石のごとく投げつけられた。


――しかし。


そのどれ一つとして、スオスへ届くことはなかった。

針は光の膜に触れた瞬間、溶けて霧散し、雷は虹色の障壁に吸い込まれるようにして消滅する。灼熱の火柱はスオスの十歩手前で弾け、投げつけられた巨石は障壁に激突して粉々に砕け散るだけだった。


「うーん……多彩だけど、それだけだね。ちょっと、いい加減飽きちゃった」


スオスは大きく欠伸をし、聖剣を構えた。


「じゃあ、最後に、俺のちょっとした技、見せてあげよう。我流のやつだけど、割と気に入ってるんだ」


スオスの佇まいが、一瞬で変わった。

それまでの軽薄で無邪気な子供の姿は消え失せ、ただの「剣」となる。剣術の極意を体得し、それを超え、己自身を剣そのものとする。到達した者しかなし得ない、不可侵の静謐。


聖剣の刃が、垂直に立てられる。

スオスの内側から、虹色の魔力が溢れ出し、それが聖剣の光と混ざり合い、これまでとは全く異なる、不気味なまでに穏やかな輝きを帯びる。


「『虚空断裂』」


声は、小さかった。しかし、それは砦中、いや、このリン平原全体に響き渡るほど、重く、深く、静かな宣言であった。


聖剣が、一刀。

上段から、空を切り下ろす。


次の瞬間、スオスと『先帝の遺産』の間の空間に、一本の、極めて細い、しかし虹色に輝く「線」が引かれた。


――世界が、ずれた。


その「線」を境目に、東門の瓦礫、舞い上がっていた粉塵、そして『先帝の遺産』の巨体——それらの左半分と右半分が、ほんの数センチ、しかし決定的に、上下へずれた。

空と大地、空間そのものが、その一本の虹色の線によって無理やり上下に「切断」され、ずらされた、ようだった。


「ギィィィ、アァァ、ァァッ……!!」


『先帝の遺産』から、これまでとは比較にならないほど凄惨で、狂気じみた悲鳴が上がった。

空間のずれに巻き込まれたその巨体は、左半身と右半身が噛み合わず、装甲が軋み、千切れ、赤黒い光が乱れて破裂する。虹色の「線」に触れた箇所は、触れることそのものが禁忌であるかのように崩壊が始まっている。怪異の肉体が、無機質な鉄の破片が、塵となって虚空へ吸い込まれていった。


今度こそ、帝国の秘匿兵器、『先帝の遺産』は、その理不尽な理不尽によって、両断されてしまった。


左右に分かたれた『先帝の遺産』は、断面から赤黒い体液のような魔力のような何かを噴き出し、崩れ落ちていく。その液体を膜越しに浴びながら、スオスは満足げに見つめていた。


「うん、割といい声で鳴いたね。最後の悲鳴、なかなか情緒があったよ。頑丈なだけじゃなくて、鳴き声まで仕込んであるなんて、帝国のオモチャも捨てたもんじゃないね」


スオスは聖剣を軽く振り、付着した不可視の塵を払った。絶対防御の虹色の膜はすでに消えている。彼にとって、この理不尽な力の行使は、ただの「作業」に過ぎない。


そこへ、へたり込んでいたカーラーが、生まれたての小鹿のように震える足で、おずおずと近づいてきた。その顔は恐怖で完全に白に染まり、目は虚ろだ。


「……あ、あの、スオス殿」


「ん? なに、カーラーちゃん。怪我? してないよね」


「い、いえ……。参謀、本部より……追加の、伝令が……」


カーラーは喉の奥から絞り出すようにして言葉を紡ぐ。その恐怖の対象は、背後の帝国軍ではなく、目の前の少年であった。


「老人から? なに、また面倒くさいこと? もう、好きに暴れたいんだけどなー」


「い、いえ、すみません……。『帝国の中級魔導士、リコー・タディーカを殺害せよ』、と……」


「……だれー?」


いつもの調子で、面倒くさそうに首を傾げ、記憶の彼方にある名前を探すふりをするスオス。彼にとって、興味のない人間の名前は、砂浜に書いた文字よりも早く消える。


「あ、あの!」


カーラーはスオスがそれ以上考えるのを放棄する前に、懐から一枚の折りたたまれた羊皮紙を取り出し、広げて差し出した。そこには、リコー・タディーカの精緻な姿絵が描かれていた。


「こ、この男です。リコー・タディーカ」


スオスは差し出された姿絵を、眉をひそめて覗き込んだ。


「へえ……。三日月みたいな口元だね。性格悪そう。……で、これがどうかしたの?」


「で、ですから、この男を、殺してください…。それが、『お仕事』です…」


「面倒だなあ……。俺はただ、暴れていいって言われたから来ただけなのに。めちゃくちゃに暴れまわったら、勝手に死んでると思うよ?」


スオスは姿絵から視線を外し、退屈そうに天を仰いだ。そして、砦の最も高い場所、中央櫓の頂上を見つめる。


「……ま、いっか。お爺ちゃんからの命令だし、ちゃちゃっとやって、『続き』したいし」


スオスは聖剣の柄を叩き、中央櫓の頂上へ向かって顎をしゃくった。


「あの高いところからなら、砦全体が見渡せるよね。地形的にも有利だし。……むしろ、あそこにその三日月男がいるんじゃない?。いるといいなー」


「……え?」


カーラーが驚きの声を上げる間もなかった。


スオスの体が、虹色の魔力を纏って浮き上がった。

それは優雅な飛翔などではなく、砲弾のような突撃であった。飛翔魔法による、物理法則を無視した圧倒的な加速。


「じゃあ、カーラーちゃん。ちょっと行ってきまーす」


スオスはカーラーに向かってウィンクをし、次の瞬間、爆音とともに中央櫓の頂上へ向かって一直線に突っ込んだ。

読んでいただき、感謝します。

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