第十話「力比べ」
砦の中央櫓の頂上。
リコーとムロヤは、突然の爆音と衝撃に襲われた。
簡素な壁が弾け飛び、大量の木材と砂塵が舞い上がる。その粉塵の奥から、虹色の光を纏った少年が、床へ無造作に降り立った。
中央櫓全体が激しく揺れる。
舞い上がる粉塵が晴れていく中、現れたのは、聖剣を肩に乗せ、ひどく気だるげな表情を浮かべた勇者スオスであった。
「あー、やっぱりここにいた。よかったー」
スオスは、乱れた髪を乱暴にかき上げながら、中央に立つリコーと、その横で腰を抜かしているムロヤを一瞥した。彼の目は、任務を遂行するためだけの、冷ややかな義務感に満ちている。
対して、リコー・タディーカは、砕けた木材と粉塵の中で、身を震わせていた。
「ようこそ……! 実に、ようこそだ!」
リコーは、黒い外套を翻し、両腕を広げた。彼の顔には、狂気的な情熱を孕んだ、歪な三日月の笑みが刻まれていた。
「ようこそ!私の用意した舞台の、真の中央へ! 王国の英雄!救世主よ! 貴方を、貴方のその理不尽な暴力を、私は求めていた、渇望していた!最後の、考えうる最も美しい最高のピースよ!」
リコーは、歓喜に満ちた震える声で叫んだ。
勇者スオスは気だるげに、魔導士リコーは歓喜して。
砦の頂上で、二人は、真正面から相まみえた。
スオスは聖剣を肩に乗せたまま目を細め、目の前に立つ男――リコー・タディーカを値踏みするように観察した。
そして、心底訝しんだ。
(なんだ、これ。ほんの身じろぎひとつで殺せるゴミじゃないか)
魔力は、ある。おそらく中級魔導士といったところだろう。
でも、だからなんだというのだ。スオスにとって、階級など何の意味も持たない。中級の二つ上に位置する「特級魔導士」でさえ、十人がかりで来ようが欠伸をしながら皆殺しにできる自負と実績がある。
(こんなやつを、わざわざ名指しで殺そうっていうんだから……。やっぱりお爺ちゃんたち、ビビって考えすぎなんだよなー)
これ以上、目の前のこの男の底を測るだけ無駄だ。
(はい、終わりー)
スオスは無駄な問答を一切挟むことなく、ただ呼吸をするような気安さで、リコーという存在をこの世から消し去るのに「充分な量」の魔力を放った。
――はずだった。
「……?」
何も、起こらなかった。
不発ではない。自身の内側から、確かに、男を殺すに十分な量の魔力が撃ち放った感覚はあった。しかし、放たれたはずの魔力は、目の前の空間で「なんの現象も引き起こさなかった」のだ。
それは、圧倒的な力で世界を蹂躙してきたスオスの人生において、全く初めての経験だった。
気だるげな侮りが消え、純粋な好奇心が顔を出す。ここでようやく、スオスは目の前の男に向かって口を開いた。
「……すごいね。今の、どうやったの?」
その無邪気な問いに対し、リコーは三日月のように口元を吊り上げて、わざとらしく首を横に振った。
「いやいや。文字通り、本当に私は何もしていませんよ」
「え、嘘だ。だって俺の魔力が……」
スオスがさらに言葉を紡ごうと口を開いた、次の瞬間。
「ゴプッ……!?」
突如として、スオスの口から大量の鮮血が吐き出された。
「え……?」
己の身に何が起きたのか理解する間もなく、膝から力が抜け落ちる。スオスはそのまま、崩れ落ちるように倒れ伏した。
指先ひとつ動かせない。聖剣を握る力すら残っていない。絶対防御が、発動しない。人類最高の強度を誇るはずの己の肉体が、なぜ。未知の虚脱感と激痛の中で、スオスの思考は人生で初めての事態に激しく混乱した。
そんな少年の無様な姿を見下ろしながら、リコーは両手で自身の顔を覆い、恍惚と打ち震えていた。
「ああ……! やはり、偉大なる先代皇帝陛下は素晴らしい……!」
狂喜の声を漏らすリコーの視線は、足元で血に塗れて這いつくばるスオスへと向けられている。しかし、その瞳には「スオス」という個人の姿など一切映っていなかった。
スオスはリコーを『身じろぎ一つで殺せるゴミ』だと思った。
では、リコーはどうだったのだろう。
リコーは中央櫓の頂上でこの化け物を一目見た瞬間から、狂喜に震えながらこう思っていたのだ。
――『ああ、先帝陛下の足元にも及ばないゴミだ』と。
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