第八話「戒訓②」
男は右腕を前に突き出した。魔導を発動する様子はない。しかしスオスは次なる衝撃に備えて身構えた。
「安寧を脅かす、招かれざる者どもよ。貴様らの罪は明白である。死をもって償え」
「スオス殿、交代です!」
スオスの脇をすり抜け、リコーが低く疾走しながら前へ飛び出た。
走る動作そのままに、手にした魔拳銃を滑らかに構えた。足を止め襲撃者のフードの奥――その額の真ん中へ銃口を据え、引き金を引く。
ガァン!
重厚な衝撃音が響き渡る。しかし、弾丸は男の額に届く直前、再び虚空に現れた硬質なレンズ状の薄膜にぶつかり、火花を散らして弾き返された。
「無駄な事を」
男はフードの影から冷ややかに呟いた。
「いかに優れた道具であれ、神の承認なくして本領など発揮できようか。ましてや使う人間が愚鈍な異端者であれば、なおさらだ」
「おや、神の承認?魔導具は全て異端なのでは?」
リコーは魔拳銃を尚も構えながら、首を小さく傾げて見せた。
その問いに、フードの隙間から僅かに覗く男の顔が不快げに歪んだように見えた。
「囀るな。魔導具は異端だ。しかし、神は人間がつくった『道具』を『誤ったこと』に使うことのみを咎めている。道具全てを禁忌と考えるのは愚かな誤解だ。我が神により『道具』として祝福されれば、貴様らのいう『魔導具』は、もはや『魔導具』ではなくなるのだ」
「ふ~む? なにやらよくわからない、すごいことを言っていますが……ところであなたの信奉する神様は、自己紹介もなくいきなり襲い掛かっても問題なし! という大らかな御方なんでしょうか。ああ、わたしはリコー。さきほどの彼はスオスと言います」
リコーが口の端を歪めておどけてみせると、男の全身から立ち上る気配が、急激に濃く黒く変貌した。
「痴れ者が。いいだろう。貴様らを殺す者の名を知ることができる、その慈悲に感謝しながら果てるがいい」
男は再び右手を静かに持ち上げ直し、リコーへとまっすぐに向けた。
「我が名はマティス。代行者である。……では、死ね」
直後、空気が歪み、リコーの正面で何かを激しく叩きつける音が響いた。
「リコー!」
後ろで見守っていたムロヤが、喉を引き裂くような悲鳴をあげた。
「やはり。……ふふ、答え合わせはいいですか? スオス殿」
リコーは無傷であった。土煙の中にあって、その表情に驚愕の色は微塵もなく、むしろ満足気な笑みすら浮かべていた。リコーを狙って放たれた不意の衝撃波に対し、リコーは自身の『絶対防御』ーー大地から隆起する無骨な土壁を完璧に発動していた。そして、その土壁には『不自然な球体の窪み』が深く刻み込まれ、周囲に亀裂を作っていた。
リコーは服の乱れを片手でサッと払いながら、スオスへ視線を投げた。
「……ああ、そういうこと」
スオスは忌々しそうにペッと唾を吐き捨てると、剣を握り直し、苦笑いを浮かべて小さく首を振った。
「わたしの『絶対防御』は、相手の攻撃が魔導主体か、物理主体かを判別できるのですが。……なんと驚くべきことに、この衝撃波の正体たる不可視の質量は『物理主体』です」
リコーは自慢げに顎をしゃくり、土壁の歪な窪みを示した。
「魔導具使いだって言うから、てっきり魔導攻撃かとばかり思ったよ。魔導具ってのは本当になんでもありだな」
スオスは心底うっとうしそうに眉間を寄せる。
「そうです。なんでもありですからねえ、万が一というものがあるかもしれないのですよ。ですから、猪みたいに真っ直ぐ突っ込むのはもうおやめなさい。まったく、品性のない王国軍人でもあるまいし。……ああ!スオス殿は一応、王国軍人でしたっけ?」
「……なあリコー。あいつの首を飛ばす前に、君の腕を切り落としていいかい? 二本くらい」
スオスは青筋を浮かべ、殺気を込めた眼差しでリコーを横睨みした。
「おやおや、意外にお優しい。たった腕二本でいいとは、さすがは勇者様」
リコーはわざとらしく両手をポンと叩き、おどけてみせる。
二人のその不遜なやり取りを、マティスはフードの奥からじっと見つめていた。
スオスに続き、このふざけた男までもが自身の誇る『代行者の手』による不可視の物理攻撃を防ぎ切った。
マティスは無言のまま、右手をゴキリと蠢かせた。
(……即座に処理できる雑魚ではない、か)
フードの影で、彼のたった一つ残された右目が、冷酷に、かつ一層深く細められた。マティスは静かに重心を落とし、一段階引き上がった殺気で、リコーとスオスを睨みつけた。
「異端者どもには過ぎた配慮だが……已むを得まい」
マティスの被るフードの奥、左目の位置から、怪しく鈍い光が漏れ出た。
直後。
「!?」
ドッ、と嫌な打撃音が響き、リコーの身体に凄まじい衝撃が走った。
糸の切れた人形のように、成す術なく虚空へと吹き飛ばされるリコー。
「グハ……ッ!」
「リコー!」
地面を激しく転がり、ようやく止まったリコーの体は、一目でそれと分かるほど壊滅的だった。左腕と左脚があり得ない方向へと折れ曲がり、左胸は酷く潰れて歪に変形している。まるで血袋が弾けたかのように、鮮血がボタボタと乾いた地に飛び散り、広がり始めていた。その決定的な致命傷を目にし、ムロヤは喉を詰まらせて戦慄した。
「カーラーさんっ!」
「は、はいっ……!」
悲鳴を噛み殺しながら、カーラーは素早く駆け寄り、震える両手をリコーの胸元へとかざした。掌から緑色の柔らかな活性魔導の光が溢れ出し、治癒の魔導が注ぎ込まれる。
「無駄なことを……。しかし、嘆くことはない。どのみち全員、同じ場所に堕ちることになる。対岸で悔い改めるがいい」
マティスは惨状に目をくれることもなく、低く平坦な声を零した。
(どうなった……?! 何が起こった……っ!)
スオスは歯を食いしばり、見開いた眼球を激しく動かした。
己の隔絶した動体視力と戦闘勘をもってしても、リコーに攻撃が加わったその瞬間を捉えることができなかったのだ。
不可視の攻撃だとか、速度が速すぎるだとか、そういう問題ではない。実体も軌跡もないまま攻撃が空中を移動し、リコーの体表に接する直前になって突如として『攻撃』が出現したとしか言いようがなかった。
事実、リコーは真正面から吹っ飛ばされた。にもかかわらず、展開されていた無骨な土壁は、微動だにせず健在のままだ。リコーの誇る『絶対防御』は、新たな防壁を展開する暇さえ与えられず、突破されていた。いや、突破ですらない。『攻撃』は壁を完全に無視して、内側に貫通していたのだ。
「?! くっ!」
突如、スオス自身の頭上から目に見えぬ破滅の気配が落ちてきた。
刹那の判断で両腕をクロスさせ、全身の筋肉を跳ね上げて咄嗟に身構え、直撃を受け止めようと試みる。
ズゴォン!
重い衝撃がスオスを押し潰し、彼の足元の大地が放射状に爆ぜ割れた。
衝撃を完全に逃がしきれず、スオスは激しく膝を折った。額から流れた赤い血がたらりと頬を伝い落ちる。
(どういう理屈だ……?! 何がどうなってやがる……!)
スオスは片腕の刺客を睨みつけた。焦燥と狂暴な闘志が混ざり合った異様な表情で、額の血を乱暴に拭った。




