第五話「思い込み」
スオス・ハイムという少年は、決して人見知りをする性質ではない。単に、他人の存在というものに対して、路傍の石ころほどの興味も抱いていないだけである。
他者からどう評価されようと知ったことではないが、だからといって自分に協調性が欠けているとも思っていなかった。
とはいえ、顔も知らない「カーラー」なる人物と、リン平原までの道のりを二人きりで旅するなど、考えただけで足取りが重くなる。道中の沈黙。不必要な気遣い。どうせ向こうも嫌に決まっている。
「あーあ、めんどくさ……」
聖剣の帯革を肩に掛け直し、スオスはひどく気だるげな足取りで自室を出た。それでも命令を無視して一人で駆け出すような真似をしないのは、彼なりの譲歩であり、やはり自分には組織に属するだけの協調性があるのだ、その証左であると自己完結する。
しぶしぶといった様子で靴底を引きずりながら、集合場所である城の中庭へと向かった。
秋の陽光が降り注ぐ中庭の石畳。
そこに佇む人影を視界に収めた瞬間、スオスの足が、床に縫い付けられたかのようにピタリと止まった。
「……スオス殿? どうかされましたか」
彼の異変を察知し、心配して後ろからついてきていた伝令の士官が、横から顔を覗き込む。
士官の問いかけに対し、スオスは前方に視線を固定したまま、動かない。
陽光を浴びた石畳の上で、その少女は小さく身を縮こまらせていた。
白銀の治癒士衣に身を包んだ彼女は、スオスと視線が合うや否や、まるで猛獣と遭遇した小動物のように肩をビクリと震わせる。おずおずと胸の前で組み合わされた小さな手は、微かに引きつり、彼女が対人関係への深刻な問題を抱えていることを、あからさまに示していた。
その光景を後ろから見守る伝令の士官は、一人で深く頷き、推察を深めていた。
(なるほど……。普段は不敵な勇者殿がこれほど硬直しておられたのは、年端もいかない可憐な少女が相棒だと知ったからか。殺伐とした前線へ向かう中、同世代の娘御を同道すると知り、照れておるのか。やはり勇者殿とて年頃の男の子、こういう反応は非常に微笑ましいものだ……)
士官が勝手な納得で胸をときめかせている横で、スオスは脳内で激しい虚無感に襲われていた。
(男じゃないのかよ……。いや、別に女の子は好きだけどさ。普通に邪魔じゃん。絶対に一人の方が、早いじゃん。絶対にあのお爺ちゃんたち、俺の機嫌を取ろうとして余計な気を回したか、深読みしすぎて変な結論に辿り着いた口だろ。本当にわけがわからないな)
これ以上、上層部の意図を勘繰るのも馬鹿馬鹿しい。スオスは一瞬で考えるのをやめた。思考を放棄すると、いつもの軽薄で快活な笑みを仮面のように顔へ貼り付ける。
「よろしくね、カーラーちゃん。俺が勇者のスオスだ。短い旅になると思うけど、仲良くやろうよ」
スオスは踏み込み、怯えきっている少女の手を強引に握りしめると、ブンブンと力任せに上下に揺すった。カーラーの細い肩が大きく跳ね上がる。
「ひっ……! あ、はい……っ!」
泣き出しそうな声を漏らす少女を他所に、スオスは聖剣の位置を直した。
「よし、じゃあ行きますか」
不満を完全に呑み込み、半ば投げやりの足取りで中庭を後にする。
王国の「切り札」は、対人難の治癒士を引き連れ、凄惨な戦場へと向かって歩き出した。
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磨き抜かれた漆黒の木机に、リークライトは重い肘をついた。深々と刻まれた眉間の皺に指を押し当てるが、脳の奥に居座る鈍い痛みが引く気配はない。連日の徹夜と、巨大な盤面を参謀長として統括し続ける極限の神経すり減らし。流石の老将も、自身の疲労困憊を誤魔化しきれなくなっていた。
卓上に並べられた無数の駒。その中で、一際異彩を放つ白銀の駒を、リークライトは苦々しく見つめる。
スオス・ハイム。
人類最高峰の魔力を持ち、類まれな剣術の才能を開花させた、王国の至宝たる聖剣を使いこなす、まさに切り札。盤上に解き放ちさえすれば、その圧倒的な暴力で眼前の敵を尽く壊滅させ、単体での勝利を確定させる、はずの悪魔の駒。実戦投入こそ今回が初めて。不安はつきない、が、実力には疑う余地がない。なにせ、既存の戦術や魔術のセオリーが全く通用しない。初めて遭遇した敵が、あの異常な暴力を目の当たりにすれば、対処するなど不可能だ。
だが、軍事における「勝利」とは、単に敵を殺すことと同義ではない。
意志を持たない暴走兵器の方がまだマシ。あの狂気を用いて、いかにして「戦略的勝利」へと繋げるか。この戦争で勝つためには、やつをいつ、どこに配置するかが要。リークライトは盤面を見つめる。
——コールウォー砦を奪取、リコー・タディーカもろとも仕留める。
やはりそれが、今打てる最善の手か。
リコーという男と最後に会ったのは、戦争が起きる2年前の、帝国の先帝への謁見。まだ10を超えた程度の少年だった。やつの底知れなさを理解できている者は、参謀本部にもほとんどいない。奴は、人の感情の機微や失態、偶然としか思えないような事象を操作し、盤面を組み立てる化け物だ。あのような男は殺せるときに殺しておく。
ちょうどいい。ちょうど、2つの目標が同じ点に重なっている。
だからこそ、スオスの到着はタイミングこそが肝要だった。
リコーが自らの張り巡らせた計略の糸の真ん中で、万全の準備を整えた状態で、一番心地よく油断しているその瞬間に、スオスという不条理で計略ごと食い破る。
「……首輪はおとなしく受け取ったか」
リークライトは低く呟いた。
あの対人難の少女。勇者スオスは、魔法の才能を異常なまでに咲かせながら、そして治癒魔法も十全に使いこなしながら、なぜか自らを癒すことだけは一切できなかった。彼女の存在は、勇者に対する完璧な保険であった。
だが、それだけではない。
あまりに突出した個の武力を、軍の規律に従わせるための足枷であり、いざとなればその生命線を握る首輪でもあった。
これは、まるで暗殺者を放つかのような運用だ。
だが、これが国家を背負う参謀本部としての、打てる限りの最善手であった。
窓の外に目をやると、夜空には細い三日月が冷たく浮かんでいる。
歪な弧を描くその月を見上げながら、リークライトはふと、帝国軍のあの男爵家の三男坊の顔を思い浮かべた。
あいつの口元は、どんな形をしていただろうか。
思い通りに事が運んだ時、あの男はいつも、唇を酷く吊り上げて笑っていなかったか。
「……ふん」
リークライトはろうそくの火を吹き消し、闇の中に身を沈めた。
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