最終話「誤魔化し」
視点がころころ変わります。
『数多の骨よ、数多の砂よ』
『狂い咲くは鉄のアネモネ』
『ハリエニシダの叫びと共に』
『一切を沈黙の棺へ埋葬せよ』
――特級地形魔導『冥牙連祷』。
かつて、コールウォー砦の防衛戦において、王国の高位魔導士アラカイが使用した大魔導が発動した。本来であれば、帝国において「中級」に過ぎないリコーの器で発動できるはずがない、規格外の災害である。
なぜ、使えないはずの最高位魔導を、ここで発動してみせたのか。
詠唱中に魔力結晶を使用することで、消費魔力を劇的に軽減できる。それがリコーの発見した最後の『可能性』だ。
しかして――それだけでは決して届かない。軽減したところで、中級と特級の間にある絶対的な壁は越えられないのだ。
では、この男はどうやってその壁を破壊したのか。
リコーがこの一撃のために掌の中で砕き散らした魔力結晶は、詠唱中の消費魔力軽減を含め全部で『五つ』。
二つを消費して成したこと。
己の魔導の格を二段階引き上げ、『世界を騙す』ことで中級から特級へと強制的に己の器を誤認させた。
さらに一つを消費して成したこと。
発動と同時に致死量まで枯渇していく魔力を、減ったそばから強制的に回復させた。
そして最後のひとつ。
その魔力回復の発動タイミングに合わせて最後の結晶を『連鎖』発動させ、回復量と持続力を限界突破させ続けた。
常軌を逸していたとも言えるし、非常識であるとも言えた。たった一つの魔導を放つためだけに五つ。魔力結晶は、決して安価な資源ではない。
だが、この冒涜行為が、軍事と政治において意味するものは、その程度の範疇に収まらない。
第一に、『魔導士』という兵種の価値が根底から覆る。
圧倒的な才能や長年の修行など不要。結晶さえあれば、どんな三流の魔導士であろうと、戦況を一変させる特級魔導の使い手に『化ける』。魔導士の数が圧倒的に少なく、練度も低いこの議会国にとって、それは喉から手が出るほど欲しい究極の軍事革命に他ならない。
第二に、この狂った理論を構築し、実現させたリコーの『開発力』の絶対的な価値。
魔導研究という分野は、いまだ未開の荒野。その最先端を独走する怪物が今、自分たちの目の前にいる。
轟音と地鳴りが止み、土煙が晴れていく。
すり鉢状の闘技盤は、文字通り『沈黙の棺』と化していた。
地形そのものが異様に抉り取られた。崩れかけた黒鉄の大盾は塵と化している。背後でスオスが展開した防壁によって観客席だけは無傷に保たれていたが、それがなければ議会国の中枢はここで全滅していただろう。
抉れた大地の底で、バルカスは叫ぶことすらできないまま、気絶していた。生きていた。
ただ、耐え抜いた。両腕を根元から失い、全身を朱に染めながらも生き延びたという事実は、彼が誇り高き歴戦の将である何よりの証明だった。だが、もはや二度と戦場には立てないこの凄惨な姿が、彼にとってどれほどの気休めになっただろうか。
地獄の底で血を流す大男と、特級魔導の威力を安全な客席から見下ろす代議員たち。
彼らは声も出せず、死の恐怖と、それを上回る『技術の価値』に全身を震わせていた。
悲鳴すら上がらない圧倒的な静寂の中。
リコーはただ一人、優雅にスーツの埃を払い、観客席に向けて劇の終わりのような深いお辞儀をした。
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議場の昏い通路を、必死の様相で走り抜ける男がいた。
帝国人が、魔道具を、あからさまな戦争の道具へと変え落とした。聖国に生きる者であれば、生まれたばかりの赤子すら知っている禁忌。それが公然と冒されたという悪夢のような事実を、一刻も早く、猊下にお伝えしなければならない。何としても、だ。
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聖国、奥宸居。
届いた一通の緊急通信を受け取った男がいた。
男が纏う衣は、神聖な気配と、見る者を圧迫するほどの金満的な豪華さが奇妙にせめぎ合っている。通信の内容を秘めた紙片に目を通した男は、深い溜め息と共に低く呟いた。
「――おお、神よ」
男はそう呟くと、傍らに控える側近に短く、冷徹な指示を出した。
拝跪して命を受け取った側近は、音もなく足早に部屋を去っていく。側近が退室し、重厚な扉が完全に閉まった瞬間、男の顔から先ほどまでの「慈悲深い聖職者の仮面」が剥ぎ取られた。
「その、哀れな子羊は、いかにして救済されようか。すべては……御心のままに」
自分以外誰もいない豪奢な一室で、男はひとりごちる。
やがて、静寂の底から「く、く、く……」と、笑い声とも虫の羽音ともつかない不気味な音が、暗がりの中に静かに響き渡った。
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御前試術より数日が経過した。
特級魔導の猛威により両腕を吹き飛ばされたはずのバルカスは――王国軍の少女カーラーによる規格外の治癒術によって、なんと失った両腕を完全に再生させていた。
「腕が……戻った……!?」
「そんなバカな……活性魔導で欠損部位の完全再生だと!?」
議会国の医療陣も、代議員たちも、誰ひとりとして目の前の現象を信じられず、ただただ口を開けて震撼した。
取るに足らないはずの対人不安の少女治癒士が魅せた、文字通りの神業。これもまた、すべてがある一人の男によって仕組まれた壮大な舞台装置か。
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議会国から特使として手厚く与えられた、豪奢な一室。
通商連合と帝国間の、魔力結晶の取引、その調停式は、万事恙なく完了した。
今後の取引の具体について、わずかなやり取りを物憂げなファルディスと行った直後。
リコーはムロヤと共にいた。
「ムロヤ、どうです? ここまでやれば、あの『気難しい』議会国の方々も我々に『協力的』にならざるを得ませんよっ」
いつものように手を叩き、軽快におどけてみせるリコー。
だが、向かいに座るムロヤの表情は、どこまでも真剣で、重苦しかった。
「……なあ、リコー。言いたいことや、聞きたいこと。めちゃくちゃある。山ほどあるんだが……」
「はい、なんでしょう?」
「……お前が生み出した、『この』技術……。ひょっとして……」
ムロヤの瞳が、僅かに揺れる。
「はい。使えます」
リコーは、一切の迷いなく短く答えた。
その言葉を聞いた瞬間、ムロヤの顔が、堪えきれない感情で情けなく歪んだ。
「ムロヤ魔導補士。――かつて成績優秀でありながら、『生まれ持った魔力が3級に満たない』というただそれだけの理由で、魔導士への道を絶たれた男」
リコーの声は穏やかで、まるで愛おしい宝物を撫でるかのように言葉を紡いでいく。
「この技術はね、ムロヤ。あなたのような人間が、その手で『魔導を行使する』ことを可能にする技術でもあります」
「…………」
ムロヤは言葉を失い、自分の震える両手を見つめた。
魔導士になれず、補士という日陰の立場に甘んじてきた青春の挫折。そのすべてを覆す奇跡が、目の前の男の手によって作られていた。
「……なあ、俺の考えすぎかも知れないけどさ。……お前が、帝国で白眼視されながらも、魔力結晶の研究に没頭してたのって、もしかして……」
自分に魔導士の夢を諦めさせないためだったんじゃないのか。
そう問いかけようとしたムロヤの言葉を、リコーは優しく遮った。
「ムロヤ」
リコーは少しだけ困ったように微笑む。
「ムロヤ。……それは、さすがに考えすぎです」
狂気とペテンで世界を振り回す男が、その時ばかりはほんの少しだけ、年相応の青年のように、照れ笑いを浮かべていたように見えた。
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一方、議場の喧騒から離れた別の豪奢な客室。
そこには、スオスとカーラーの姿があった。
「本当に、どこか痛むところはないか? 息苦しくはないか?」
部屋を行き来しながら、スオスは落ち着かない様子で、しきりにカーラーの体調を気にかけていた。最強の勇者らしからぬその狼狽ぶりに、カーラーはとうとう観念したように小さく息を吐いた。そして、いつも怯えてばかりの彼女にしては非常に珍しく、微かに微笑んでみせた。
「……はい。スオス殿のおっしゃる通り、確かにあの砦で、私は『毒』を受けています」
スオスの動きが、ピタリと止まる。
「ですが、自身の活性魔導による自己回復がなんとか追いついているようですので、今は普段通りに生活できています。……もっとも」
カーラーは自身の胸元へそっと手を当て、静かに言葉を継いだ。
「この『毒』は、ほんの少しずつですが確実に、その強さを増しているようです。ですから……今後どうなるかは、わかりません」
リコーの言っていたことは、やはり全て真実だったか。
スオスの内側に、あの『もや』のような焦燥と、首輪を締め付けられるような無力感が渦巻く。
「……それより、スオス様こそ、体調は大丈夫なのですか?」
「俺? 俺の毒はもう完治してる……」
答えかけて、スオスはハッとして顔を上げた。
カーラーの毒が残っているということは、カーラーの技術をもってしても、解毒には至らない毒ということだ。同じ毒に侵されていた自分も、当然……。
「そっか……まあ、そうなるか……」
「…………」
カーラーは少しだけ伏し目がちに視線を逸らした。
彼女は、スオスに残された時間が『あと十年』であるということだけは胸の奥に固く伏せながら、彼の毒の治療がまだ完全には終わっていないという事実だけを、静かに伝えた。
それを聞いたスオスは、己の奥歯をギリリと噛み締めた。
完全に、すべてがあの狂人の掌の上だ。自分も、そして目の前の少女の命すらも。
だが――最強の勇者である手前、そして何より、彼女をこれ以上不安にさせないためにも、スオスは必死に『いつもの余裕のある笑顔』を顔面に貼り付けた。
「カーラーちゃん。ちょっと、ここで待っててよ」
「スオス様……?」
「あいつのところに行って、解毒薬、はやく作るように脅してくるからさ。なーに、心配いらないよ。俺にかかれば、あいつなんて指先一つでどうにでもなるんだから……」
軽口を叩きながらも、その言葉はスオス自身の胸の中で空虚に響き、ドロドロと溶けていった。
脅す? 自分が?
つい先日、深夜の荒野で完膚なきまでに叩きのめされ、自ら剣を収めたのはどこの誰だったか。
「……でもさ。あいつも、なんだか生き急いでるよなあ。そう思うでしょ、カーラーちゃん?」
「……そう、ですね」
スオスの脳裏に、御前試術での光景がフラッシュバックする。
五つの魔力結晶を砕き、己の器を完全に逸脱して発動させた、あの狂気の特級魔導。
「あんな『無茶苦茶な魔導行使』……。いくらなんでも、寿命が縮むどころの話じゃないと思うけど」
言葉にして、スオスは自身の背筋が粟立つのを感じた。
もし、あの狂人が己の無茶な実験や魔導行使の反動で、解毒薬を完成させる前に『自滅』してしまったらどうなる?
自分とカーラーは、確実に死ぬ。
リコーを他者から守るだけでは足りない。あの男自身が引き起こす自滅からも、全力で庇護しなければならないのか。
「そういう意味でも……あいつが勝手にぶっ倒れる前に、『はやく』解毒薬を作ってもらわないと、ね」
スオスは、誰に言い聞かせるでもなく、ひきつった笑みを浮かべてそう呟いた。
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帝国の参謀本部。深夜の重苦しい静寂が満ちる執務室で、キリアン参謀長は卓上の書類の束を、射抜くような眼光で睨みつけていた。
ギルレット大連峰の地底深くに眠る巨大な魔力脈。
そこから観測された『魔力波長』の定点測定結果を記した極秘報告書であった。
(明らかに……『特定の波長』のみが、異常な数値で増加している)
これまでの帝国魔導理論の枠組みでは決して説明のつかない、前代未聞の怪現象。
しかし、キリアンにとって何より不快だったのは、このおぞましい異常事態が――『あらかじめ完璧に予言されていた』という事実だった。
去り際、あの男が残した不快な笑い声が脳裏に蘇る。
『ギルレットの魔力脈、全波長の継続観察をおすすめしますよ。……なにせ、先帝より賜りし“宿題”ですから』
いまいましい男だ。
だが、あの狂気は利用できる。帝国という巨大な歯車を回すための駒として利用できるうちは、あの『夢想家』にもせいぜい働いてもらう、それだけだった。
さて、それにしても――。
「……『魔王』、ね」
キリアンの薄い唇から、ポツリとこぼれ出た言葉。
絵本や古い童話の文脈でしか登場しない『おとぎ話の残党』に対し、冷徹な現実主義者である彼が馳せる感傷など、ただの一片すら存在しなかった。
卓上に置かれた魔導ランプの鈍い揺らめきが、壁に投影されたキリアンの影を、まるで血のように赤く染め上げていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
第五幕は、早くて来週の金曜日(10/2)から、一話ずつの投稿です。
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それでは、また。




