第四幕第一話「通商連合」
『四国通商連合』――この大半島に存在する主要四か国、すなわち帝国、王国、議会国、聖国を縦断し、相互の通商における枠組みを定めた巨大な国際組織である。
表向き、この連合は国家間の武力衝突など、物流を阻害する一切の争いを禁じていた。
ゆえに、通商連合の常任委員たるこの男、ファルディス・ヌールが、リン平原を抜けて帝国へ旅立つことに、本来であれば何人たりとも「否」を唱えることはできないはずであった。
「ですから、現在の通行はお勧めしません。帝国との『合同演習』において、少々予期せぬ事態が起きてしまいまして。通行の安全を、お約束しかねるのです」
王国の参謀長リークライトは、無表情のまま言葉を放り投げた。
ファルディスは、おや、と首を傾げる。その顔には、彼特有の――どこか温度を感じさせない、不気味な作り笑いがへばりついていた。
「異なことを仰る。リークライト殿、我々は決して『許可』を求めに来たわけではありませんよ。ただの礼儀、あるいは慣例として、リン平原の通行を王国へ『善意でご報告』しているに過ぎないのです」
「……」
「リン平原は、平和だ。――そうでしょう?」
ギリッ……と、リークライトの口内から奥歯が砕けるような鈍い音が響いた。
大敗という真実を隠すための「演習」という建前。それを突き崩せば、通商連合の盟約違反として王国が裁かれる。リークライトに打てる手は、なかった。
「……その通りですとも。しかし、事実として、帝国との間に――」
「結構」
ファルディスは有無を言わさず立ち上がった。その所作には、目の前の大国の重鎮に対する敬意など微塵も含まれていない。
「ではごきげんよう、リークライト殿」
――参謀本部を後にした廊下で、付き従う部下が声を潜めて尋ねた。
「……よろしかったのですか。腐っても、相手は王国の重鎮ですが」
「ん? 何がだ?」
ハッ、とファルディスは鼻で嗤う。先ほどの愛想笑いはとうに消え失せ、そこには冷徹な商人の素顔があった。
「貸し付けた大砲の負債をチラつかせるまでもない。勝手に無茶をして、勝手に自滅し、勝手に窮地に立っているような国の重鎮など知ったことか。……それよりも」
「王国の『蓋』が、ついに開いたと」
「そうだ。これまで王国が塞いでいたせいで細々とした取引しかできなかった帝国へ、直接渡りをつける絶好の機会。これを逃す手はない」
「狙いは、やはり魔力結晶の独占取引ですか」
「ここで特大の成果を出せば、貴様らが食む禄も跳ね上がるというものだ」
ファルディスは上質な外套を優雅に翻した。
「さあ、まずは一路ヤーカークーンへ。楽しい商談に向けて出発だ」
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ヤーカークーンの低地へと差し掛かった、ファルディス率いる通商連合の商隊一行。
そこで彼らが出くわしたのは、目を疑うような光景だった。
泥と血に塗れ、精魂尽き果てた様子で撤退していく王国の大軍。その先頭に立つのは、王国の猛将として名高いザンリードである。
ファルディスは馬車を降り、いつもの不気味な作り笑いを顔に貼り付けてザンリードの前に立った。
ザンリードは、平原で何が起きたのか――帝国が『オルン』と『グーラ』という古代の魔力脈災害を人為的に引き起こし、自陣を地獄に変えたという惨劇を、重々しい口調で語った。
「我々は通商連合の通行を妨げる権限を持ち合わせてはいない。しかし、前方は極めて危険だ。未だ魔力脈災害の余波が残っている。引き返すことを、強く勧める」
ザンリードの凄惨な表情と、その言葉の恐ろしさに、ファルディスの部下たちは青ざめ、ガタガタと戦慄した。
しかし、ファルディスは内心で鼻を鳴らしていた。
(魔力脈災害、だと? 莫迦莫迦しい。負け犬はいつも相手を大きく見せたがる)
ファルディス・ヌールは、自分の目で見た事実しか信じない。
彼はザンリードの真摯な警告を完全に話半分で聞き流すと、慇懃無礼に一礼して馬車へ戻り、怯える部下を急かして真っ直ぐにコールウォー砦へと歩を進めた。
――数日後。
あと少しでコールウォー砦、という地点に差し掛かった時、商隊はついに大地に刻まれた異変の痕跡を目の当たりにした。
局所的に液状化した泥沼。そして、うっすらと青白い光の残滓を放つ魔力結晶の破片。
部下たちが「やはり王国軍の言う通りだ!」と身を寄せ合う中、ファルディスは馬車から降りた。そして、現場の泥と、足元に落ちていた結晶の欠片を直接その手に拾い上げた。
(……なるほど。確かに『異変』は起きている。だが)
ファルディスの細い目が、冷徹な計算の光を帯びる。
もしこれが、本当に広大な地を滅ぼした魔力脈災害であるならば、こんなちっぽけな被害で収まるはずがない。周辺の、少なくとも平原中央部は吹き飛び、ヤーカークーンまで、魔力脈に沿うように液状化の兆候が見えていてもおかしくない。ファルディスは、自身の見た『グーラ』の惨状と、目の前のコレを記憶の中で照らし合わせる。
…そうだ、この青白い残滓。これは脈そのものの光ではない。回復用の魔力結晶を砕いた際に、このような光を放つのを見たことがあるな。で、あれば…この光は…。
「ただの、光、か」
目の前の事象を読み解き、ファルディスの脳内で一つの結論が導き出される。
(これは魔力脈災害などではない。いかに帝国といえど、そのような突飛な技術、いくらなんでも荒唐無稽だ。というよりも、もしそうである場合、世界の覇者は帝国になるのだから考えるだけ無意味だ。…これは、ただの魔力結晶の光と魔導で作った泥沼を、世界を滅ぼす災害に『見せかけた』だけの、偽装工作と考える方が合理的。)
そして、王国の猛将はこの現象に心底恐れをなし、苦労して運んだ大砲まで放り出して、尻尾を巻いて逃げ帰ったというわけだ。
(ククク……ハハハハッ!)
ファルディスは、声に出さずに歓喜の哄笑を上げた。
最高だ。この事実は、帝国との交渉においてこれ以上ない最強の手札となる。
「お前たちがハッタリで王国を騙したことを、私は知っているぞ。黙っていてほしければ……」と、言い値で条件を呑ませることができるのだから。
「怯えるな! これはただの光とぬかるみだ!災害などでは断じてない!」
ファルディスは竦み上がる部下たちを一喝した。その顔には、圧倒的な勝利を確信した商人の、底知れぬ笑みが刻まれていた。
通商連合の旗を悠然と風になびかせながら。
ファルディス・ヌールは、「手品師」が待つコールウォー砦へと、堂々たる足取りで入っていった。




