第十一話「竜喉の惨事⑥」
ちょっと収まらなかったので、第三幕はもう一話続きます。
(大砲の準備はまだか……ッ!)
ザンリードは内心の焦燥を押し殺し、なおもバーナードへ向けて嵐のような連撃を叩き込み続ける。
極限まで硬化された巨体に傷一つ負わせることはできない。しかし、ザンリードの神速の立ち回りによって、バーナードの反撃もまた完全に空を切り続けていた。
「おのれ……ちょこまかと蠅のようにッ!」
絶対に倒されないが、絶対に捉えられない。その苛立ちから、バーナードの剛剣の振りがさらに大味に、荒々しくなっていく。
ザンリードが狙っていたのは、まさにこの瞬間――敵の意識が「目の前の鬱陶しい小蠅」に完全に釘付けになったタイミングだった。
『――大砲部隊、準備完了! 照準、帝国の『壁』ッ!』
脳内に響いた砲兵からの念話。
その瞬間、ザンリードの眼光が鋭く研ぎ澄まされた。
「うおおおおおッ!!」
ザンリードは裂帛の咆哮とともに、あえてバーナードが構えた大剣の最も分厚い腹へ向けて、渾身の力で自らの刃を叩きつけた。
――ガガァァァンッ!!!!
岩盤が爆ぜたかのような凄まじい金属音が響き渡り、大量の火花が視界を覆う。
ザンリードはその強烈な激突の「反動」をあえて全身で受け止めた。そしてそれを推進力へと変え、泥濘を強く蹴り立てて一気に後方へと大跳躍を果たした。
不意に重圧が消え、バーナードの眼前に不自然なほどの空間が生まれる。
神速の剣士が退き、ぽっかりと空いた射線。
バーナードが火花越しに視線を上げたその遥か彼方、硬い地盤の上で、黒々と光る巨大な攻城兵器の砲口が『壁』へ向けて真っ直ぐに据えられていた。
「今だッ! 撃てェェェェェッ!!!」
ザンリードの怒号とともに、大地を揺るがす砲声が響いた。
冷徹さを取り戻した将の手によって配置された大砲から、死を孕んだ鋼の砲弾が放たれる。圧倒的な質量と運動エネルギー。逃げ場のない泥濘の中、バーナードへ向かって一直線に迫る。
バーナードは、誰もその真の威力を見たことがない、迫りくる未知の脅威を、叫ぶでもなく、狼狽するでもなく、ただじっと見ていた。
バーナードの脳裏を過っていたのは、出撃前にあの不気味な男――リコーが浮かべた薄笑いだった。
『あなたの周囲は、私の『いたずら』にかかわらず、最初から沼地になっています。下手に動くと死んでしまうので気を付けてください。焦れた王国軍が攻城兵器を使用してきたら、作戦は成功です。あなたの役目はそこで終わりなので、真後ろの砦に向かって走って逃げてもらっていいですよ』
思い出すだけで、腸が煮えくり返る。
己の引き連れる兵たちを、なんだと思っている。自軍の兵を、ただの使い捨ての囮としてしか見ていない。命を軽んじられる怒り。帝国を護る軍人すべてを愚弄されたかのような侮蔑感。その激怒が、体内で練り上げられた魔力を極限を超えて爆発させた。
「ふざけるな……逃げるだと?!誰に向かって言っているッ!!」
中級身体魔導『重岳絶』――天分剥落。
バーナードは退かなかった。避けなかった。力を殺そうとしなかった。足元の大地を力任せに踏みつけると、迫り来る大砲の砲弾に対し、全身の魔力を解き放って正面から受け止めた。
――ドゴォォォォォォォォォンッ!!!!
世界が砕け散るような爆音。
激突の瞬間、膨大な運動エネルギーと硬化魔導が真っ向から激突し、猛烈な衝撃波が周囲の泥を吹き飛ばし大地を揺らす。本来なら肉体を粉砕し、四肢を撒き散らすはずの攻城兵器の威力が、ただ一人の男の肉体によって強引にねじ伏せられていた。
そして、信じがたい音が響く。
ミシ……メリメリ、と固い鉄が悲鳴を上げ――パァンッ!と、砲弾そのものが破砕し、粉々の鉄屑となって飛び散ったのだ。
「馬鹿な……大砲の弾を、生身で……!?」
王国兵たちの動きが完全に止まった。何が起きたのか理解できず、武器を構えたまま凍りつく。
硝煙と土煙がゆっくりと風にさらわれていく。
そこに立っていたのは、惨絶な姿となったバーナードだった。
皮膚は裂け、全身から激しく血が噴き出し、鎧は原形を留めていない。瀕死の重傷。意識は途切れ、眼球は白を剥き、完全に気絶している。
だが――四肢は欠けることなく繋がり、その巨躯は泥の中にどっしりと立ち尽くしていた。
気絶してなお、一歩も退かずに戦場を見下ろす圧倒的な仁王立ち。
「……あ……」
王国兵の誰かが、絞り出すような声を漏らした。
恐怖ではない。嘲笑でもない。ただひたすらに圧倒的な「怪物」を目の当たりにした、ただの人間の反応。おそらく、畏敬だった。
帝国兵たちは言葉を失い、血の涙を流しながらその背中を見つめ、王国軍の兵士たちは誰一人としてそれ以上踏み出すことができなくなった。
戦場を支配したのは、あまりにも静かな沈黙だった。
「……ああ」
リコーは笑う。ああ、ああ! 腹を抱え、溢れ出る涙を指で拭いながら嗤う。
「ああっ! 使った! 使ってしまいましたねえ、大砲を! ダメだと! あれほどダメだと言ったのに……っ!」
まるで三流戯曲の主演役者のように、リコーが優雅に両手を広げた。
リコーは、「最後の仕込み」を起動した。
バーナードと大砲の衝突音。大地を揺るがすその衝撃波が平原全体に響き渡った直後。異変が起こる。
音はなかった。
平原のあちらこちらに点在する液状化した大地が、一斉に不吉な薄群青、あるいは青に輝き始める。
次の瞬間、その青白い脈動はコールウォー砦を起点として放射状に走り、大地に数本の紐のように連鎖しながら瞬く間に伝播していった。
「これはいったい……!?」
ザンリードの肌を、異質な風が撫でる。火薬の煙も、爆発の熱気もない。
そこにあるのは、大地を焼き尽くさんばかりに連綿と這い回る、青白い魔力光線線の帯だ。
(なっ……この現象は……まさか、まさか『オルン』かッ!?)
ザンリードの脳裏に、歴史に刻まれた最悪の災厄がよみがえる。
『オルンの魔力脈災害』。かつて地中深くの魔力炉からエネルギーを過剰抽出したことで脈が「破裂」し、一夜にして全滅した古代都市の悲劇。
炎も爆音もなく、ただ無音の青白い閃光が街を包み込み、光が収まった後に残されていたのは――建物も、植物も、絶叫したまま逃げ惑う数万の住人すらも、すべてが半透明の「青い硝子像」と化した死の静寂だった。風が吹けば、人型の硝子たちが共鳴し、啜り泣きのような音を響かせるという呪われた地層。
――その凄惨な地獄が、今、目の前の平原で再現されようとしているというのか。
(……いや、違う! なぜ気づかなかった、大地の液状化を見た時点で……!)
ザンリードの思考が、恐るべき真実へと到達する。
オルンだけではない。これは『グーラ』だ!
禁呪の衝突によって地殻が拒絶反応を起こし、大地が腐敗した「グーラ旧戦場」。数万の兵を呑み込み、数百年間いまなお無数の顔の形をした泥の気泡が呼吸を続ける、あの泥海。
大地の液状化『グーラ』で足止めし、逃げ場を奪った上で、大砲の衝撃エネルギーを引き金にして魔力脈を破裂『オルン』で殺しつくす――。
(帝国は……あの狂気の国は、二つの災害を掛け合わせ、王国軍一万をこの平原ごと硝子の泥沼へ沈めようというのかッ!!)
人道をあざ笑うかのように進化を果たした、禁忌の魔導技術。そして、自軍の兵ごと敵を殲滅することすら厭わない帝国の爛れ切った悪意。
足元から伸びる青白い光線が、間もなく自軍を呑み込もうと迫っていた。
撤退か、全軍突撃か、あるいは――。
音もなく広がり続ける青い光の中、将ザンリードは、あまりにも残酷な決断を強いられていた。
読んでいただき、ありがとうございます。




