第十話「竜喉の惨事⑤」
バーナードという男は、「帝国の魔導士」としては間違いなく落ちこぼれだった。
魔力を体外へ放出するセンスが皆無であり、王国でいうところの『アルテ』、帝国でいう『特殊技能』と呼ばれるような特異な異能も、何一つとして体得できなかった。ひどく不器用な男だったのだ。
だが、バーナード自身に不満はなかった。帝国を守るために必要な力は、十分に備わっていると感じていたからだ。
彼はたった一つだけ、人より少し「体内で魔力を練り上げる」ことだけが得意だった。よって彼は、ひたすらに己の肉体を鍛え上げた。理由は至極単純。「身体が大きいほど、より多くの魔力を練り上げられるから」である。
結果として、彼が身につけた、身につけることができた魔導は、たった二つだけだ。
一つは、初級身体魔導『焦脈』。一時的に痛覚を遮断し、肉体の治癒を強制的に早めるだけの単純な魔導。
もう一つは、中級身体魔導『重岳絶』。体内で練り上げた魔力分だけ、自身の身体の硬度を引き上げる魔導。
なんの派手さもない。華麗な戦術も広範囲の殲滅力もない。
だが――たったひとつ、恐るべき事実を挙げるならば。
バーナードは、この実力主義、魔力量絶対主義の帝国において、この地味で凡庸な二つの魔導『だけ』で、帝国の最重要拠点であるコールウォー砦の最高指揮官にまで上り詰めた、ということである。
――ガキィィィィィンッ!!!!
戦場に、分厚い鉄塊同士が激突したような甲高い異音が響き渡る。
岩盤すら両断するであろうザンリードの渾身の一撃は、確かにバーナードの頭部を捉えていた。
しかし、バーナードはそれを避けることすらせず、あろうことか自らの額で、真正面から受け止めたのだ。
「……何かしたか?」
無傷だった。ザンリードの全霊の刃は、皮膚一枚すら裂くことができていなかった。
これこそが彼だ。彼はただひたすらに、この二つの魔導と鍛え抜かれた肉体だけで、己を嘲笑った天才たちから悉く勝利をもぎ取ってきた。
相手の才能がどれほど豊かであろうと、己にどれほど才能がなかろうと、そんなものは知ったことではない。
圧倒的な鉄壁の前に沈んだ天才たちからの、称賛と嫉妬。その両方を浴び続けた彼に与えられた二つ名は――。
「貴様の、努力も、才能も、苦労も知らん。どうでもいい。だが……」
極限まで硬化された巨躯から、山が動くような威圧感が放たれる。
「ここを通りたいなら、俺を倒してからいくんだな。王国の、戦士よ」
『天分知らず』のバーナード。
絶望の『壁』が、その本領をいかんなく発揮した瞬間であった。
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「……ッ! どうでもいい、か! 確かにな! 全く以て同意しよう! ならば帝国の『壁』よッ! 我が全霊、耐えられるものなら耐えてみろ!」
ザンリードの闘気が爆発し、彼の大剣が実体を喪失するほどの神速へと加速した。
『アルテ』魔導鋼断法一式――『千刃乱墜』!
首筋、心臓、関節、そして眉間。人体における致命の急所のみを的確に穿つ、恐るべき斬撃の嵐。熟練の将が放つ一切の無駄を削ぎ落とした必殺の剣閃が、寸分の狂いもなくバーナードの巨体に吸い込まれていく。
――ガガガガガガガガガガガガッ!!!
だが、凄まじい火花が散る中、バーナードは肉体を削られるどころか、獰猛な笑みすら浮かべていた。
「なんとも……お上品な剣だな」
無傷。あれだけの神速の連撃を急所に浴びてなお、皮膚一枚、血の一滴すら流れていない。
「目玉でも狙ってこなければ、話にもならんぞ!」
言うが早いか、バーナードは嵐のような斬撃を無視し、大木のような剛剣を無造作に横薙ぎに振り抜いた。
空を圧する轟音。しかし、その一撃はあまりにも直線的で、大振りすぎた。
ザンリードは紙一重の余裕をもってその凶刃を躱し、再び死角へと回り込む。
(……くそっ)
だが、軽やかに身を翻すザンリードの顔には、濃密な焦りが張り付いていた。
これほどか。これほどの男だったか。
刃を交えて、はっきりと理解してしまった残酷な事実がある。
動きの精度、戦場の駆け引き、そして剣速。あらゆる技量において、ザンリードはバーナードを遥かに凌駕している。ゆえに、この男の大味な攻撃がザンリードに当たることは恐らくない。この先何千回打ち合おうと、バーナードの剣はザンリードには届かない。
――しかし、同時に。
ザンリードの渾身の刃は、バーナードの肉体を永遠に貫けない。つまり、ザンリードもまた、バーナードを絶対に打倒できないのだ。
互いの致命傷が永遠に届かない。血みどろの泥仕合にすら発展しない。
ただただ己の体力と精神をすり減らしていくだけの、完全なる虚無の膠着。これはザンリードにとって絶望になり得る『壁』だった。
このまま打ち合いを続ければ、いずれ疲労で足が止まる。その未来が明確に見えているのだ。
だが。
「おおおおおおおおおッ!!」
ザンリードは血を吐くような咆哮を上げ、通じないとわかっている剣を、それでもバーナードへと叩き込み続けた。
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『ザンリード様ッ!!』
脳内に直接、悲痛な思念伝達が跳ね込んできた。コスカだ。
『ザンリード様! 申し訳ございません、すぐに立て直します! 今しばらく、今しばらくお待ちをっ!』
間髪を容れず、別の落ち着いた伝達が割り込む。
『ザンリード様! アラカイです! どうにか足場を確保いたしました。いつでも攻勢に転じられます、ご指示があれば何なりと!』
この二つの声は、ザンリードの意識の冷静な部分を、無理矢理掴んで引きずり出した。
バーナードの『壁』に剣撃を打ち込み続けながら、ザンリードの脳裏が回転を始めた。
(……待て。立て直す? 足場を確保した、だと……?)
激しい攻防の合間、ザンリードの鋭い眼光が泥塗れの戦場を広く捉える。
平原全体が底なし沼に呑み込まれたわけではないのか? 騎馬隊が即座に態勢を立て直せる程度の被害。つまり――液状化している範囲は、そこまで広くない。しかも、一度発動した場所から、広がっていない、沼が移動していない可能性が高い。
『アラカイ! 聞こえるか!』
『はっ!』
『液状化の範囲はどう見える! 形は! 大きさはどれほどだ!』
『――境目の目視が困難で確証はありませんが、液状化しているのは……円形。直径にして数十ヤード足らず、局所的な現象に過ぎません!』
その報告を聞いた瞬間、ザンリードの頭の中に、出撃前に交わした参謀長との会話が鮮明によみがえった。
『帝国は平原の魔力脈に細工をしている可能性が高い。大砲の使用は最後の手段だ。最終的な判断は貴官に委ねるが、可能なら使わずに終わらせろ。……しかし、最優先すべきは勝利だ。努々忘れるな』
すべての情報が、脳内で一線に並ぶ。
罠は「面」ではない。「点」だ。「点」の罠だ。冷静に見極めれば、足をすくわれない安全な地盤は、地面はある!
武人としての狂気から解き放たれ、冷徹な総指揮官としての思考を取り戻したザンリードは、即座に後方へ思念を飛ばした。
『大砲部隊! 現状の戦力を報告せよ!』
『は、はっ! 10門中4門を、大地への沈下により喪失! 5門は泥に脚を取られ回頭不可! なんとか運用可能なのは……奇跡的に液状化に巻き込まれなかった、わずか1門のみです!』
(――繋がった!!)
ザンリードは絶望の『壁』を見据えたまま、脳内で勝利の咆哮を上げた。
『十分だ! すぐに発射準備に入れ! 目標――帝国の『壁』!!』
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