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第六話「竜喉の惨事①」

コールウォー砦の南方街道に、大きく左右へと展開する鋼の群れがあった。

王国の大軍勢――中央軍、四千。右翼、三千。左翼、三千。総勢一万の兵力が描き出す陣容は、まさに壮観の一言に尽きた。大地を揺るがす鋼の巨塊は、じっと身構えてその槍を突き立てている。


「全軍、止まれ! これより先は一歩も踏み入れるな!」


中央軍の先頭で手綱を引き絞り、ザンリード将軍が鋭い声で命じた。

彼らが捉えるべき標的は、前方にある巨大な砦。だが、百戦錬磨のザンリードは、帝国軍が誇る魔導の射程を誰よりも知り尽くしていた。この位置から一歩でも進めば、即座に致命的な攻撃圏内に入る。


「陣形を崩すな。奴らは我々の焦りを待っているのだ。不用意に踏み込んだ者から、黒焦げの肉塊になると思え」


対する帝国軍の布陣は、砦内に一千、外の左翼に千五百、右翼に千五百。巨大な双翼の鳥が大地に張り付いているかのような、威圧的な陣形を形成していた。

迎え撃つ帝国側も、決して楽な状況ではない。敵が動けば、即座に魔導を放つという、極度の緊張状態を継続、維持し続けなければならない。躊躇すれば、次の瞬間には自分自身が死体の仲間入りをする。だからこそ、軽々に歩を進めることができない。


「見事な統率だ……。相変わらず、乱れた隊列を突かせてくれるほど、王国の連中は甘くないか」


砦の城壁の上から眼下の鋼の群れを見下ろし、帝国側の守将バーナードは苦々しく吐き捨てた。

一触即発の膠着状態。互いのわずかな隙を探り合う、息の詰まるような時間が流れていた。


そのバーナードのすぐ傍に、リコーはいた。

目の黒は底知れぬ墨を思わせ、その口角は耳まで不気味に裂けているかのようだ。バーナードは、リコーが進めている作戦の全貌を聞かされていない。だが、であればこそ、最前線の指揮官として己が職務を全うするのみだった。


「――美しい膠着ですね、バーナード閣下。ですがそろそろ、第二場と参りましょう」


張り詰めた空気を切り裂くように、リコーが背後から低く囁いた。


「両翼の魔導部隊を、半リーグ後退させなさい。……王国軍の鼻先に餌を撒き、中央への道をわざと空けてやるのです」


瞬間、バーナードは目を見張り、太い眉が大きく跳ね上がった。


「な、何だと!?  貴様、正気か!?  そんなことをすれば、敵の本隊が一気にこの砦の懐へ雪崩れ込んでくるぞ!」


リコーは裂けたような笑みを一切崩さない。それが、帝国参謀本部から全権を委任された男の『絶対の命令』であることを、その黒く塗りつぶした瞳が雄弁に物語っていた。


「また背後を突かれ…」

「おや?」

リコーは裂けた口角をさらに歪めた。

「まだご自分の目を信じているのですか? かつて、あなたが心から信頼し……あの北の平原に美しい死体畑を作ってくれた『ネズミ』を見抜けなかった目を?『背裂(せざ)きの血戦』を、もうお忘れに?」

「……ッ!」

バーナードの呼吸が止まる。心臓を直接握り潰されたような激痛。

リコーの晦冥のような瞳が、バーナードの罪悪感を底まで見透かしていた。


(リコー……! リコーめっ……!)


背筋を這う悪寒と激しい葛藤を力ずくでねじ伏せ、バーナードは喉の奥から血を吐くような声で配下の兵たちへと指示を下した。


「……ッ、全軍に伝達! 両翼を後退させろ! 敵の正面を開けろ!」


不可解な後退命令。

それが、この泥沼の戦争における最初の、そしてすべてを狂わせる変化の萌芽であった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


……動いた!

遥か前方、帝国陣営の『翼』を形成していた魔導士(棒振り)たちの前に立つ、分厚い盾(重装歩兵)の壁が、不自然に後退した。

明確な隙。王国の軍勢がその意図を図りかねる中、ただ一人、コスカだけは馬すらも置き去りにして地を蹴っていた。


単騎での突出という、本来であれば軍紀違反。しかして、彼女にはそれが許されるだけの圧倒的な能力と、権限があった。

(一気に決める!)

世間は彼女の動きを神速などと呼んで持て囃すが、コスカに言わせれば心底くだらない。自分はただ、出来るからやっているだけだ。周りの歩みが、思考が、あまりにも遅すぎるだけなのだ。


(敵将の魔導――私が見極める!!)


彼女が自身に更なる加速を与えようと、力強く地面を踏み込んだ瞬間。

コスカの視界のすべてが、突如として圧倒的な「赤」に塗り潰された。


「――〜〜〜ッ!!?」


凄まじい熱波に、コスカは急制動をかける。

炎の向こうから、下劣で歓喜に満ちた笑い声が響いてきた。帝国の魔導将校、上級魔導士のレングである。


「はははッ! 王国の猪は、よほど退屈と見える! どれ、少し遊んでやろう」

レングは歪な笑みを浮かべ、杖を振るった。

「思念伝達接続。斉射準備。右、四十二。仰角、五。三番から七番まで。――放て」


上級火炎魔導『梨燐火嵐(りりんからん)』。


戦場を分断するほどに分厚い、凄まじい火炎の幕が立ち上がる。

「くっ……!」

コスカは舌打ちをし、自身の神速を回避のために使って後方へ跳躍した。


「おお! はやい、はやいな! ……ではこいつはどうかな!」


レングが杖を天へ掲げると、大気中の魔力が悲鳴を上げ、赤黒く圧縮された。


上級火炎魔導『鸞馹妓火(らんじつぎこ)』。


空間を裂き、巨大な燃え盛る火の鳥が突如として出現した。それは青く光る帯を引きながら、凄まじい熱風を纏って平原を駆け抜ける。

その圧倒的な熱の塊を、コスカは神速の歩法でかろうじて躱した。

――だが。


「ッ!?」

通り過ぎた火の鳥が残した光の帯が、まるで導火線のように連鎖発火を起こし、コスカの退路を一気に炎で包み込んだ。


「おっとっと」

燃え上がる平原を見下ろし、レングはわざとらしく肩をすくめる。

「地表はいくらでも燃やしてよいが、大地に大きすぎる衝撃は与えてはならないのだったか。地形を崩せば、あの不気味な特務魔導士殿に後で詫びる必要があるからな……」


地表のすべてを焼き尽くす己が炎。

眼前を覆い尽くす灼熱の業火に照らされながら、レングは自己の魔導の強大さに深く、深く陶酔していた。

読んでいただき、ありがとうございます。

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