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第四話「正義の秩序」

王都、王国軍参謀本部。

分厚い絨毯が敷かれた冷涼な執務室で、参謀長リークライトは復号が終わったばかりの文書を見つめていた。

それは、コールウォー砦に潜入した工作員が命懸けで放った最後の通信文である。整然とした冷たいインクの文字の羅列。必要最低限の内容が、緊迫した状況を生々しく伝えていた。だが、そこに記された意味を読み解くリークライトの瞳は、どこまでも凪いでいた。この工作員は、かの北原濃霧事変においても目を見張る活躍をした。最後まで国家に尽くした優秀な工作員の、最後の通信を読んでもなお、リークライトの心は微塵も揺れることはなかった。


「……魔力脈の、暴走、か」


独り言は、静寂の部屋に吸い込まれて消えた。

魔力脈そのものは、珍しいものではない。大地を巡る魔力の血管であり、世界中の国々が、安定して使いやすい魔力脈をそれぞれ数箇所保持し、都市の動力や結界の維持に利用している。


だが――それが人為的に、あるいは偶然に暴走したという話は非常に少ない。魔力脈の暴走には、いくつかの共通点がある。ひどく局所的で、再現性に乏しく、そして、途方もなく悲劇的なのだ。何が起きるかは誰にも予測できない。リークライトの頭脳から、かつて起きた、あるいは起きたであろう、三つの魔力脈災害の記録が引き出される。


狂瀾の硝子都市「オルン」

かつて魔法技術で栄えたとされる、谷底の古代都市オルン。地下深くに巨大な魔力炉を建設し、魔力脈から直接エネルギーを抽出していたところ、『脈が裂け』、全滅したとされる。裂けた原因は、過剰なエネルギー抽出だったとされるが、資料がなく判断できない。

爆発音や炎は一切なく、音のない青白い閃光が谷全体を包み込み、光が収まった後には都市の建造物、植物、そして数万の住人のすべてが半透明の青い硝子に変質していたという。住人たちは逃げ惑う姿勢や悲鳴の表情のまま硝子像として固まり、現在でも夜に風が吹くと、無数の硝子像が共鳴して谷全体から何万もの人々の啜り泣きのような音が響くという。今も谷底には、何千体にもおよぶ精巧なガラス像が無造作に置かれている。


脈打つ泥海「グーラ旧戦場」

かつて存在した大国同士が衝突した、王国のはるか南に位置する広大な平原地帯。両国が禁呪クラスの大魔導を同時に撃ち合い、地殻の魔力脈が拒絶反応を起こして腐敗・液状化したとされる惨劇。

大地が突如としてドロドロの赤い泥に変わり、数万の兵士が足元から飲み込まれたという。観測できる恐るべき事実として、グーラの魔力脈からは、複数の人間の魔力波長が今でも検出できるのだ。数百年経った今でもその一帯の泥沼はゆっくりと呼吸をするかのように蠢き、時折、泥の表面に人間の顔の形をした気泡が浮かんでは弾ける。耳を当てれば地中から呻き声が聞こえるという。


忘却の球穴「白の聖地ゼリス」

山の頂上にあったとされる、かつての宗教的な聖地の残骸。原因は大規模な儀式魔法の失敗により、魔力脈が空間ごと内側に陥没したこと、とされている。

聖地があったとされる山頂は、まるで神が巨大なスプーンで抉り取ったかのように完璧な球状にえぐり取られて消失している。瓦礫も、資料も、生活の痕跡すら一切残らず、ただ鏡のようにツルツルに削られた半球のクレーターが残されているだけなので、その災害の存在自体が、時期も含めて非常にあいまいである。近隣の国の古い資料をつなぎ合わせて、「おそらくここに宗教施設がかつてあり、そしてそれがこのように滅んだのだとすれば、それが可能なのは魔力災害だけだろう」と推測されているだけなのである。なお、観測事実として、この山の魔力脈は、他の魔力脈にはない珍しい反応が多くみられる魔力脈なのだが、最も珍しい特徴は、ここの魔力は肉眼ではっきり見える、ということだろう。


リークライトは静かに目を閉じ、思考の海へと潜る。


「……リン平原にも魔力脈は、ある」


リン平原の魔力脈は、通常であれば、絶対に暴走などしない。いや、リン平原に限らず、魔力脈は本来、暴走などしないとても安定した自然現象なのだ。事実、最も新しいとされる「グーラ」でさえ、暴走したとされるのは少なくとも三百年前の話だ。暴走は絶対にありえない、とは言えない。しかし、本来考慮する価値などない与太話であることも、また事実だ。ましてや制御など、今の魔導理論では不可能だ。

だが…相手はあのリコーだ。あの男ならば、地下の魔力脈を刺激し、暴走までさせずとも何らかの反応を引き出す、そのような非人道的な術式を、こっそり完成させていても不思議ではない。それだけの狂気があの男にはあった。工作員の絶筆を見つめ、不吉な単語を撫でる。

ーーー『大規模な攻城兵器、および一斉魔導爆撃の振動が大地を揺るがした瞬間、我々の足元で地形破壊が連鎖起爆する』ーーー


起きうる最悪の状態、可能性が、リークライトの脳髄で繋がり、結論を求めてうねる。

――オルンやグーラの、悪夢の再現、制御可能なのか…。


「――大砲は…」


リークライトの静かな声が、凍りつくような決意とともに室内に落ちた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


陽が傾き始めた荒野。王国軍一万の行軍を一時停止させる『大休止』の陣幕内では、卓上に広げられたコールウォー砦周辺の地図を囲み、二つの異様な気がぶつかり合っていた。


「――ひどく不可解な布陣図だ。なぜ、帝国はわざわざ三軍に分けたのか。我々に合わせるように」


陣幕の薄暗がりの中で、低い声が響いた。

声の主は、アラカイ。四十代半ばの枯れ木のような痩身。将軍として、左翼軍三千を率いる。


「まあ、よい。帝国軍たかだか数千程度など鎧袖一触。私が左翼から『万雷』を放ち、砦ごと平原をガラスに変えてしまえば、それで終わりだ」


「……作戦は、砦の破壊ではなく奪取だよ、アラカイ。……無思慮というか、なんというか…」


そう告げたのは、右翼軍を率いる若干二十五歳の若き女性将軍、コスカ。純白の具足に身を包んだ彼女は、秀麗な顔の眉を下げ、小さくため息をついた。


「一度更地にして新たに建造する方が、あらゆる面で面倒が少ない」

「だから、『新たに建造』したらダメなんだって…。…なんで知らないのさ」

「帝国にばれなければ何の問題もない。ばれても殺せばいい」

「…あのねぇ」


アラカイとコスカの話は、交わることはなさそうであった。


「はははっ! 相変わらず仲がいいな、二人とも。…先日の特務は、ご苦労であった。」


よく通る声だった。

中央軍四千を率いる総指揮官、ザンリード将軍が天幕に入ってきた。


ザンリードは大きな手で、ポンとコスカの肩を叩いた。

「コスカ。お前の神速は王国の宝だ、俺も誰より頼りにしている。帝国の魔導士は騎兵の足元を泥沼に変える。突っ込みすぎるなよ、必ず俺の合図を待て。いいな?」

「……人を猪みたいに言わないでください」

コスカは目を細めた。


次いで、アラカイに向き直って人の良い笑みを向けた。

「アラカイ、お前のその恐ろしい雷と礫があってこその大軍勢だ。だが、今回は砦を『拠点』として無傷で奪いたいんだ。お前の魔法で全部吹き飛ばされてしまうと、占領後に俺たちが寝るベッドまで無くなってしまう。少しだけ手加減してくれよ?」

「……承知いたしました。寝床くらいは残しておきましょう」

アラカイは肩をすくめた。


場が落ち着いたのを見計らい、ザンリードは改めて卓上の地図を見下ろした。

その瞬間――彼の人の良い笑顔は消えた。無表情に地図を見つめる目だけが残った。

獲物を狙う鷹のように鋭く、冷徹な武人の双眸だった。


ザンリードは地図上のコールウォー砦の城門を、指でトントンと叩いた。

「……どんなに強大な魔導や鉄壁の防御を誇っていても、指示を出すものが人である限り必ず呼吸が乱れる瞬間がある。驕り、焦り、一瞬の油断。…見極める必要はあるがな」


ザンリードの声は、強い声だった。それは、凡庸な男が数多の死線を這いずり回り、格上の強者たちを葬り去ってきた執念の刃そのものだった。


「合図は俺が出すが、お前たちがいけると思えば行っていい。コスカが右を、アラカイが左を食い破る。敵の注意が両翼に逸れたら……俺の中央軍が、大砲を伴って食いちぎる。砦の『壁』は俺が相手をする。いいな」


「はっ! 万象無双の誇りにかけて!」

「焦土の魔軍、披露いたしましょう」


まさにその時だった。

陣幕の入り口が勢いよく開かれた。伝令兵が立っている。


「申し上げます!!」

「参謀本部より、緊急の伝達です!」

読んでいただき、ありがとうございます。

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