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第三話「陥穽」

帝国軍・コールウォー砦、最高指揮官執務室。

分厚い石造りの部屋に、軍靴の踵を鳴らす硬質な音が響いた。


「バーナード指揮官。上級魔導士レング、只今着任いたしました」


完璧な帝国式の敬礼を見せたのは、豪奢な軍服を纏う長身の男だった。炎の上級魔導士、レング。

彼はバーナードへ敬意を示すよう姿勢を正してはいるものの、その口元には隠しきれない傲慢な笑みが張り付いていた。


「貴官の『鉄壁』の戦功はかねがね伺っております。ですが、ご安心を。私が来たからには、この古めかしい砦の壁を頼る必要すらありません。王国の野蛮な騎兵どもなど、私の炎で瞬く間に美しい灰へと変えてご覧に入れましょう」


「……頼もしいことだ」

バーナードが短く応えると、レングの後ろから、ぞんざいな足音が続いた。


「特級魔導士、ユロウリハです……ああ、馬車に揺られっぱなしで腰が痛い……」


だらしない猫背で敬礼とも呼べない挙手をしたのは、眠たげな目をした男だった。土の特級魔導士、ユロウリハ。

「司令、俺の寝所はもう用意されてますか? どうせ敵の大軍が来ても、俺が適当に底なしの泥壁を作って塞いでおくだけなんで。定時まではなるべく起こさないでくださいね……ふぁあ」


あくびを噛み殺すユロウリハを、レングが眉をひそめて睨みつける。

「貴様……指揮官の御前だぞ。相変わらず特級の肩書きに胡坐をかいた怠惰な男だ。貴様のような泥遊びしか能のない男のせいで、私の炎の美しさが霞むのだ」

「はいはい、すみませんねぇ『上級』殿。俺はアンタみたいに、味方ごと陣地を焼き払うような真似はしないんでね」


「なんだと?」

「やめないか、二人とも」


ギリッと睨み合う二人の空気を、バーナードの重い声が制した。

バーナードは内心で深い溜息をついていた。実力至上主義の帝国にあって、圧倒的な魔導の才を持つ者たちは、得てして極端な個人主義に走る。彼らは軍の階級とバーナードの実績には一応の敬意を払っているが、根本的なところで「自分たちの方が魔導士として上位存在である」というエリート特有の選民思想が透けて見えていた。


『焦土の足跡』と呼ばれる炎の暴君と、『不落の泥沼』と呼ばれる怠惰な盾。

どちらも一騎当千の化け物だが、おそろしく扱いづらい。


(だが、これもあの男の盤面の上、か……)

バーナードは、この扱いにくい天才二人すら、単なる「駒」としてしか見ていない狂気の魔導士の顔を思い浮かべ、表情を引き締めた。


「ともかく、お前たちの実力は参謀本部からの折り紙付きだ。右翼と左翼、存分に力を振るってもらう」

「はっ。万事、このレングにお任せを」

「了解でーす。……で、まずは休んでいいんですよね?」


二人の全く噛み合わない返事を聞き流し、バーナードは執務机の上にあった一枚の指示書を手に取った。

それは現在、コールウォー砦において絶対的な権限を持つ「あの男」からの指示だった。


バーナードは、極めて真面目な顔のまま、配属されたばかりの帝国最高峰の魔導士二人に告げた。


「では、着任早々悪いが、最初の仕事だ」

「……はい。直ちに敵陣地への先制攻撃をいたしましょうか」

「……えぇー、マジですか」


対照的な反応を見せる二人に、バーナードは指示書を読み上げた。


「……特務魔導士からの指示だ。……平原に穴を掘ってくれ。この件について、俺に一切の確認行動をとることを禁ずる」


「「……は?」」


最高峰の魔導士二人が、間抜けな声を揃えて固まった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


コールウォー砦、東門にほど近い荒地


「着任早々、大変申し訳ありません。しかし、参謀本部の特務ですので。なに、優秀なお二人ならば、準備運動にもならないような、簡単な作業です」


黒手袋をはめた手で、参謀本部発行の『指揮権限』を示す特務命令書をヒラヒラとさせながら、リコーが三日月の笑みを浮かべている。


「貴様……平原の死体を片付けるための『死体焼き』を、この私にやれと言うのか!? 私は炎の上級魔導士、レングだぞ!」

「ええ、存じ上げておりますとも。ですから、レング殿には東門から北門までの一帯の処理をお願いします。なに、得意の炎で綺麗に灰にしていただければ。……ああ、ユロウリハ殿は南門からお願いしますね」


屈辱に顔を真っ赤にするレングを完全に無視し、リコーは気怠げに壁にもたれかかっているユロウリハへと視線を向けた。


「……えー。穴を掘って、埋める? 無理です。めんどくさすぎる」

ユロウリハは深い溜息をつき、ボサボサの頭を掻いた。

「そもそも俺は『土』の魔導士です。穴を掘るなんてちまちました事はしません。……南門の前の平原一帯、地形魔導で地面ごとドロドロに溶かして、死体もろとも全部『泥沼』に飲み込ませますよ。その方が早くて楽ですからね」


特級魔導士だからこそ言える、地形そのものを造り変える規格外の提案。

レングが「味方の足元まで泥濘(ぬかるみ)にする気か!」と噛みつこうとしたが、リコーはパンッ!と嬉しそうに手を叩いた。


「素晴らしい! さすがは特級魔導士殿、実に合理的だ! しかし……」


リコーはわざとらしく顎に手を当て、思案顔を作った。

「そのまま死体を泥に沈めただけでは、地中で腐敗が進み、やがて大地が腐れて病原菌が蔓延してしまうでしょう。……まあ、王国軍がそれに感染して苦しむ姿を見るのも一興ですが、少々手際として迂遠でもありますので。『これ』も一緒に混ぜてください」


そう言って、リコーはずっしりとした麻袋をユロウリハの足元に置いた。

ゴトリ、と鈍い音が鳴る。


「……なんですか、これ」

袋の口を開けたユロウリハが眉を上げた。中には、薄く発光する青い魔導結晶が大量に詰まっていた。ただし、以前ムロヤに見せた米粒のようなサイズではない。一つ一つがこぶし大ほどもある結晶体だった。


「『消毒剤』のようなものです。あ、この前は砦の『殺鼠剤』としても使いましたが」

「はあ? ああ、魔力結晶の殺菌作用ですか。そのためだけに、また酔狂な……まあ、泥に混ぜ込むくらいなら手間じゃありませんが」

「ありがとうございます。では、『墓所』について少々お願いが」


リコーは執務机の上に、南門周辺の広域地図をバサリと広げた。そして、ユロウリハの傍に寄り添い、楽しげに地図のあちこちを指差していく。


「南門の正面はここを避けて……こことここは、必ず結晶で殺菌するようお願いします。ああ、それから……少し離れますが、ここも」


リコーの指先がトントンと叩いたのは、砦からかなり離れた小高い丘や、平原の中央付近の不自然な空白地帯だった。


「……ここ? こんなところ、死体なんて大して転がってないでしょうに。消毒の意味がありますか?」

「ふふ、少し気になる場所でしてね。念入りにお願いしますよ。特にここは、強固な地盤を残したまま、浅い位置に『埋葬』してください」


それは、軍学を少しでも齧った者が見れば一目でわかる配置だった。

もし王国軍が「攻城兵器」を砦に向けて設置するなら、射線の通る『その場所』だろう――という、戦術的な拠点である。

リコーはそこに、何かが並ぶことをすでに確信しているかのように、楽しげに指示を出し続けた。


「……注文が多いなぁ。特務官殿は几帳面なことで」

「ええ。下準備は丁寧に、が私のモットーでして。……ではお二人とも、明日の日の出までに『死体処理』を完了させてくださいね。期待していますよ」


欠伸をしながら、魔導により地面を滑らせるように袋を運ぶユロウリハと、命令書を睨みつけながらギリギリと歯ぎしりをするレング。

実力は最高峰だが癖のある二人の天才を、リコーは、まずはただの死体処理要員として使った。


「さて、これで準備は整いましたよ」


背を向けて出ていく二人の将校を見送るリコーの口元は、やはり、狂気じみた三日月の形に歪んでいた。

読んでいただき、ありがとうございます。

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