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第二話「曲直」

天幕の中、ザンリードは机上に広げた数枚の手紙を見つめている。

それはヤーカークーンの低地にほど近い、町や村からの嘆願書であった。文字の読み書きもままならぬ者が必死に綴ったのだろう。歪で泥臭い文字の端々に、民の苦労と苦悩が滲み出ている。


「……この文字の歪みは、王国の歪みだ。そして、この文字を美しいと思えない者は、王国軍人ではない」


ザンリードは静かに嘆願書を畳むと、魔導通信機に向かった。

相手は王都の参謀本部、リークライト参謀長である。ザンリードは「民の救済」という個人的な情を一切交えず、あくまで冷徹な軍人として進言を行った。

「――ヤーカークーン低地に潜む非正規武装勢力の存在は、我が軍の生命線たる後方補給線を脅かす重大な懸念材料である。本隊の進軍速度を落とさずこれを排除するため、極少数の特務戦力による先行殲滅作戦を具申する」。


翌日。

コスカは、己の心がざわめいていることに苛立っていた。この周辺には、近隣を荒らす賊が根付いて久しい。自分が行けば、一昼夜、いや半日あれば片づける自信がある。しかし、今は作戦行動中である。勝手な行動は、軍人として最も忌むべき反逆だ。

……しかし、儘ならないな。


剣の柄を握りしめ、目を伏せたその時。

「失礼します!」

天幕の布が弾かれ、伝令が飛び込んできた。

「ザンリード大隊長より、コスカ殿、およびアラカイ殿へ出頭命令であります!」


さらにその翌日、早朝。

未だ薄暗いヤーカークーンの低地。賊の根城と目される洞窟群の前に、コスカとアラカイの二人が立っていた。

コスカの脳裏には、出頭先でザンリードから手渡された、王国の正式な『作戦命令書』の文面が焼き付いている。


『特務指令:ヤーカークーン低地における非正規武装勢力の掃討。当該勢力は我が軍の兵站を脅かす障害と認定する。両名に対し、本隊の進軍に先立つ遊撃特務を命ず。対象を極秘裏かつ迅速に殲滅、あるいは無力化し、後方支援の安全を確保せよ。なお、本行動における作戦時間の延長はこれを認めない』


参謀本部の認可を取り付けた、ザンリードによる「大義名分」であった。


早朝の澱んだ空気が支配するヤーカークーン低地。

木々の隙間から覗く洞窟群の入り口には、粗末な柵と見張りの賊たちが数名、欠伸を噛み殺しながら焚き火にあたっていた。


身を隠す茂みの中、コスカは静かに愛剣の柄へと手を伸ばし、隣に立つローブ姿の男へ短く声をかけた。


「付き合わせて済まない。私一人ですぐに終わらせる」


義憤に駆られていた自分を慮り、ザンリードが便宜を図ってくれたのだとコスカは理解している。だからこそ、同行させられたアラカイの手を煩わせるつもりはなかった。だが、アラカイは凪いだ氷のような瞳でコスカを横目に見下ろした。


「何か勘違いしているな。わたしはザンリード様、そして参謀本部の命令でここにいる」


「いや、ここは私が斬り込む。伏兵のあぶり出しを――」


「だまれ」


コスカが地を蹴ろうとした瞬間、アラカイの声が、低くそれを制した。


「このような些事にかまけている時間などない」


アラカイが一歩前へ踏み出し、天へ向かって杖を掲げた。

直後、ヤーカークーンの空が鳴動した。


早朝の鈍色の雲が渦を巻き、大気が悲鳴を上げる。コスカの全身の産毛が逆立つほどの、濃密な魔力の奔流。見張りの賊たちが異変に気づき、慌てて武器を手にした時にはもう遅かった。


アラカイの杖が、無造作に振り下ろされる。


ガァアアアアアアアンッ!!!


天地を裂くような爆音と共に、極太の雷柱が幾筋も天から降り注ぎ、洞窟群そのものを直撃した。

それは戦闘ではなかった。ただの蹂躙だった。


岩盤が内側から弾け飛び、凄まじい衝撃波が周囲の木々を根こそぎなぎ倒す。落雷の超高熱によって洞窟の入り口は瞬時に溶解し、内部に潜んでいた数十名の賊たちは、悲鳴を上げる間もなく炭化し、あるいは吹き飛んだ岩の破片に全身を貫かれてミンチに変わった。

肉の焼ける異臭と、土の焦げる匂いが爆風に乗って谷間に充満する。木っ端微塵に吹き飛んだ根城の跡には、もはや人間の原型を留めた死体すらまともに残っていなかった。


「あ、アァ……ッ!?」


運良く洞窟の奥深くや死角にいて即死を免れた数名の賊が、全身に重度の火傷を負い、恐慌状態に陥って這い出してくる。彼らの目には、戦意が宿る猶予さえ与えられていなかった。ただ圧倒的な恐怖に泣き叫び、逃げ惑うことしかできなかった。


しかし、アラカイは杖を下げたまま、細めた目で彼らを一瞥した。

彼の指先がわずかに動く。

雷撃で砕け散り、宙を舞っていた無数の鋭利な石の礫が、見えない糸に引かれるように空中でピタリと静止した。


「ひっ……!」


シュガガガガガンッ!!

射出された無数の礫が、逃げ惑う賊たちの背中、手足、そして頭部を容易く貫いていく。血飛沫が上がり、数人の賊が人形のように泥へ突っ伏し、ピクピクと痙攣したのち完全に沈黙した。


わずか十数秒。

それだけで、近隣の村々を長年苦しめてきた悪辣な賊の根城は、文字通り更地へと変わっていた。


濛々と立ち込める土煙と焦げた臭いの中、アラカイは杖をトン、と地面に突き、背後で息を呑んでいるコスカに向かって振り返りもせずに言い放った。


「……これで気は済んだか」


赤黒く焦げた肉の臭いと、土埃が混じり合う濛々たる煙の中。

コスカは静かに愛剣を抜き放ち、低く身を沈めた。


「……残敵を掃討する」


短い言葉を残し、コスカの姿は弾かれたように淀んだ煙の奥へと消えていった。

一人残されたアラカイは、その青臭い後ろ姿が面白くなかった。


「ふん」


その直後。

アラカイの背後、崩れた岩陰の死角から、声にならない濁った咆哮を上げながら巨影が躍り出た。

左腕が根元から完全に消し飛び、半身をどす黒く焦がした大男だ。大魔導の直撃を生き延びたものの完全に正気を失い、ただ目の前の敵を殺すことだけを本能に刻んだ肉の塊となって、アラカイへと突進してくる。


「……っ!!」


広範囲の極大魔導と、精密な礫の連続射出。二つの高度な術を立て続けに行使した反動で、アラカイの体内に巡る魔力が一瞬だけ凪いだ。

大男の残された丸太のような右腕が、アラカイの頭部を砕こうと無慈悲に振り上げられた。


しかし突如、大男の突進が不自然に止まった。

勢い余って、ドスンと重い音を立ててその場に両膝を突く。


何が起きたのか。振り上げられた腕はそのままに、大男の太い首筋に、ふっと細い「赤い線」が走った。

次の瞬間。

ぬるり、と。

滑り落ちるように頭部が胴体から分たれ、地面にゴトリと転がった。


遅れて間欠泉のように噴き出す鮮血の雨。その傍らには、いつの間にか音もなく舞い戻っていたコスカが立っていた。無造作に剣を振り下ろし、刃に付いた血糊を払う。


「……余計だったかな」


コスカが静かに問うと、アラカイは舌打ちをした。


「余計な真似をするな」

「そうか」

「……それより、残敵の掃討は済んだのか。このあたりにもまだ数人、伏せている気配が――」


アラカイが周囲の残党を探ろうと言いかけた言葉を、コスカは淡々と遮った。


「ああ。もう、全部殺したよ」


谷間を吹き抜ける冷たい風が、立ち込めていた赤黒い土煙をゆっくりと剥がしていく。

やがて晴れ渡った視界に顕になった光景を見て、アラカイは微かに目を見張った。


洞窟の周辺、放射状に広がるようにして、逃げ出そうとした者や、茂みに身を潜めていた賊たちの死体が転がっていた。

距離も、散開していた方向もバラバラだ。にもかかわらず、そのすべての首が、鮮やかに一刀両断に斬り飛ばされていた。


アラカイの雷による面の暴力。

それとは異なる、コスカの神速の剣が残した、赤い線の、死の痕跡だった。

読んでいただき、ありがとうございます。

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