第九話「あやふや」
バーナードがこれまで何度本国へ懇願しても、一切送られてこなかった修復資材。
それが数日後、まるで堰を切ったように、山のような物資と十分な補充要員を伴って砦へと到着したのである。
あれよ、あれよという間に、大規模な東門の改修が始まった。
活気を取り戻していく砦の姿は、本来ならバーナードが最も望んでいた光景であるはずだった。しかし、彼の感情は全く整理がついていない。
冷たい風の吹く城壁の上。
補修の様子を複雑な思いで眺めているバーナードの隣に、音もなくリコーが歩み寄ってきた。
「……お前と話すことなんざ、何もない。どっかに行け」
バーナードは吐き捨てるように言った。だが、その声に以前ほどの激しい怒りはない。今や彼の心を支配しているのは、底知れぬ戸惑いと虚無感だった。
自らの進退は、すでに心の中で決めている。
「私としては、あなたに辞めてもらっては困るのですよ、バーナード指揮官殿」
「……お前が何をどう取り繕おうが、俺はここの最高指揮官だ。敵に城壁を砕かれ、部下に工作員を飼っていた『無能』の誹りを避けられん。腹を切るのが軍人の筋だ。お前の思い通りにはならん、残念だったな」
自嘲気味に笑うバーナード。
しかし、リコーは三日月のように目を細め、クツクツと喉の奥で嗤った。
「無能? おや、何を仰るのですか。帝都の軍務省に提出された公式報告書を、まだご覧になっていないのですね」
リコーは黒手袋の指を立て、まるで子供に絵本を読み聞かせるように、嬉々としてその内容を語り始めた。
ひとつ:東門の損壊事案は、王国における最高戦力と目される『勇者』の急襲に起因するものであり、当該指揮官における過失の存在は認められない。
ひとつ:損壊事案において、当該指揮官は自身の精緻な状況分析に基づき、混乱に乗じて暗躍していた王国『特級工作員』の存在について、これを看破するに至った。
ひとつ:本件において、当該指揮官は派遣の特務魔導士と秘匿連携を維持し、適切な部隊運用および作戦指揮を執行。結果、当該工作員を確実に撃破し、国家機密の防衛任務を完全に完遂したと認める。
「――つまりあなたは、王国の謀略を未然に防いだ『帝国の英雄』なのです。この莫大な資材も増援も、あなたのその『輝かしい功績』に対する、本国からの正当な報酬に過ぎません」
「な……っ!?」
バーナードは絶句した。この魔導士は、帝都の中枢を欺いたことになる。いや、これも、作戦行動の一環なのか。強引な盤上の書き換えに、バーナードは二の句が継げなかった。
「私が欲しいのは、この平原に蓋をする『実直で頑丈な駒』です。ここであなたに腹を切られ、見知らぬ無能な将軍など送り込まれては、私の次の『舞台』が台無しになってしまう」
リコーは、バーナードの肩の埃を優しく払うと、底知れぬ漆黒の瞳で彼を見据えた。
「武人の誇りなどという安い見栄は捨てて、大人しく英雄の椅子に座っていてくださいよ。……さあ、次の戦場の準備を始めましょう」
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バーナードは悩んでいた。
いや、彼の中で「悩む」という時期はすでに過ぎ去っている。彼を支配していたのは、自己の完全なる否定と、ひとつの確固たる決意であった。
(俺は、無能だ)
部下の命を危険にさらし、工作員の暗躍に気付くこともできず、挙句の果てには薄気味悪い魔導士にいいように操られ、「偽りの英雄」として飾り立てられた。
指揮官としての適性など、最初から無かったのだ。武人の誇りを守るためにも、いや、これ以上無能な自分に砦を任せられないためにも、職を辞す。それしか道はない。
辞表を握りしめたバーナードの顔には、自嘲めいた達観と、退路を断つ覚悟が張り付いていた。
そのときである。
執務室の重厚な扉が、ノックもなしに勢いよく開け放たれた。
「――息災か、我が息子よ」
「お、親父殿?! な、なぜここに?!」
バーナードは弾かれたように立ち上がり、激しく動揺した。
入り口に立っていたのは、軍部の重鎮にして、バーナードの実父である老将軍だった。厳格で結果を重んじ、一切の妥協を許さない鋼のような父。
(まさか……本国に届いたあの『偽りの功績』を聞いて、わざわざ激励に来てくれたのか……?)
だとしたら、あまりにも辛すぎる。
工作員を自らの手で討ち取ったなどという大嘘の報告を、尊敬する父が信じ込み、自分を褒め称えようとしている。罪悪感で胸が押し潰されそうになったバーナードが、顔を伏せて真実を告げようと口を開きかけた、まさにその瞬間だった。
読んでいただき、感謝します。




