第七話「冒涜」
「……な」
絞り出すようなムロヤの声が、薄暗い天幕に響いた。
「リコー、人を殺しすぎるな。お前ほどの頭脳があれば、味方の命を犠牲にせずとも、もっと簡単にネズミを捕らえることができるはずだ」
それは、副官から上官への進言ではなく、かつて破滅の淵から救われた一人の同窓生としての、純粋な懇願であった。
リコーは一瞬だけ目を丸くし、やがて心底愛おしいものを見るように目を細め、可笑しそうに肩を揺らした。
「ええ、ええ。分かっていますとも。――我が朋よ」
その甘やかな響きにどれほどの真実が含まれているのか、ムロヤには分からない。リコーの思い描く盤面は、自分の言葉でほんの僅かにでも形を変えたのだろうか。
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コールウォー砦、食堂
「指揮官殿の顔色が、一段と悪くなったな……」
ただの兵士である俺にだって、その原因は分かりすぎるほど分かる。というか、あの理不尽な襲撃といい、得体の知れない失礼すぎる魔導士といい、心当たりが多すぎるのだ。
食糧ばかりが妙に潤沢にある砦の食堂。同僚と向かい合い、こうして愚痴をこぼすひと時は心の清涼剤――というのは、少し言い過ぎかもしれない。口に運ぶ麦粥の味など、とうにしないのだから。
「結局、指揮官殿はあの中級魔導士……殿に、俺たちの指揮権を一時的に預けるらしいぞ」
「なんだって? 修復作業はどうするんだよ」
「後回しさ。…思い出したくもないが、王国のバケモンと『遺産』?が戦った跡地に、すげー重要なモンが、色々と残っているんだと。んで、戦った場所といったら当然東門。東門の修理の前に、調査をしたいって参謀本部の命令書を盾に言われて、さすがの指揮官殿も折れたらしい。あと、中級魔術師…殿の補佐官も、必死の懇願だったらしいぜ」
「…まあ、理屈は分かるが……人の血が通ってないのかねー、あのお方は」
同僚の呆れたような声に、俺も同意するように肩をすくめた。
「んで、毒やら呪いやら変なものに俺らが感染しないように、いっとう危ないところで調査するやつは、なんか妙にでけぇ変な薬を丸のみさせられんだとよ。そういうやつは俺含めて、10人くらいだって話だぜ」
「…へえー薬ねえ。まあ、安全のために色々考えてくれてんだな、いちおう」
「それにしても、調査は総勢100人って話だろ?休暇中の奴を除けば、今動けるほぼ全員が駆り出されるってことじゃないか? ってそれは流石に言い過ぎか!…ぶっちゃけ俺らって、今何人残ってるんだっけか」
あーあ、やんなっちまうよな。何でこんなとこにいるんだか。
……ええ? 俺?
俺は、今はこんなしがない一兵卒だが、結構昔は、まあ、色々やっちまってな。そん時に、バーナード様が拾ってくれたんだ。まあ、全部言わせんな。つまり、あの人は『漢』だってことさ! だから俺は、あの人の砦を守るために、こんな地獄でも必死に石を運んでるんだよ。
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ネズミは、潜む。
聞き、残す。
全てを聞き取り、己では判断しない。情報の精査はしない。それは、末端のネズミの仕事ではないからだ。聞いたままを、何の推敲も交えずに、ただ聞き、本国へ伝えるのみ。それが最も完璧で、優秀な工作員の在り方だと、ネズミは教育された。
しかし。
調査の兵士たちに配られたという、「薬」の正体。王国軍の最高戦力を沈めた毒の、解毒薬と思しき薬。薬について報告したのちに、課せられた本国よりの使命。
『任務:擬態を維持し、薬を奪取せよ。条件:完全なる非公然。特記:察知される恐れある場合、成果を破棄し静観せよ。駒の損耗より、戦線の露見を恐るべし』
もし、ただ聞くだけでは足りないのなら。その聞くべき声が、あまりにも小さいのなら。
ネズミは、闇の中で静かに動き出した。
ネズミは光を必要としない。ネズミは、眠らない。
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張り詰めた静寂のなか、とある兵士の部屋。
昼間、食堂で上官への忠義を熱っぽく語っていたあの男の私室である。
その枕元に、一人の同僚の姿があった。明かりはつけず、表情は見えない。
今、露見しても、言い訳が立つように。酔いつぶれた同僚を介抱するふりをして、外にでるために。支給品の軍服の身を包んだその男は、静かに魔力を探知する。
傍聴魔法、なし。
監視魔法、なし。
魔導反応、なし。
漆黒の闇のなかで、その男は静かに眠る男の寝台の脇に立った。棒立ちの姿勢のまま、呼吸すら殺して静かに状況を確認する。
潜む罠、想定されるリスク、そして任務の遂行可能性。
あらゆる不確定要素を演算し尽くした末に、すべての情報が導き出した結論はただ一つ――「実行可」。
迷いは微塵もなかった。下手に外で殺せば露見する可能性があがる。ここで仕留め、窓から運び、外で解体。警備の巡回ルートは頭に入っている。すべて想定内。あとは手順通り。男はナイフを抜き放ち、男の喉を一息に切り裂いた。
――?
血が出ない。
肉を断つ手応えは確かにあった。だが、暗闇の中で温かな血潮が手に零れることはない。
ネズミの背筋を違和感が駆け抜けた、まさにその直後。
カチリ、と小さな音が響き、部屋全体が光に焼き尽くされたように明るくなった。
男の視界に飛び込んできたのは、三つの人影だった。
寝ているはずの兵士。ムロヤ。そして、黒手袋の魔導士、リコー・タディーカ。
構築した盤上へ、誘い込まれるように飛び込んできた獲物を眺めながら、リコーは心底愉快そうに目を細めていた。
その歪な三日月の笑みをあえて言葉にするならば、おそらくこうだろう。
――まあ、これはこれで悪くないか、と。
お読みいただき、感謝します。
書きたいように、書いてます。




