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第二幕 第一話 「スオス・ハイム」

第二幕、書きます。書きたいように、書く!

王都の地下深く、幾重にも結界が張られた特別隔離室。

静寂の中、寝台に横たわるスオス・ハイムの容態は、ゆっくりとではあるが回復へ向かっていた。


しかし、彼が内に秘める底なしの魔力量と、本来備わっているはずの異常な自己再生力を思えば、その回復速度はあり得ないほどに遅かった。

未知の魔道具による干渉。重篤な後遺症の懸念、あるいは得体の知れない呪いや毒が他者へ伝染する可能性。王国の頭脳である参謀長リークライトが直接スオスの元へ赴き、こうして事後報告の会合を開くのが今日までずれ込んだのは、ひとえにその慎重極まる安全確認に時間を要したためであった。


部屋の仄暗い角には、治癒士カーラーがいた。石像のようにひっそりと息を殺して、丸い椅子の上で膝を抱えている。

寝台の上のスオスからは、いつものような軽薄で、すべてをオモチャとして見下すような無邪気な様子は感じられない。虚空を見つめる瞳は昏く沈み、ただ機械的に薄い呼吸を繰り返している。


「――以上が、コールウォー砦における一連の経緯。相違ないな」


リークライトは椅子に深く腰掛け、平たい声で告げた。

淡々と、冷たい石畳を一つ一つ踏み締めるかのように、確認していく作業。自軍の最高戦力が惨敗し、逃げ帰ってきたという事実を前にしても、老将の声に焦りや怒りは滲んでいない。


スオスは無言のまま、わずかに首を動かして肯定の意を示した。


「よろしい。不可解な魔道具による未知の被害とはいえ、これを破壊し、かつ戦力を失わず帰還できたのは僥倖だ。だが、問題は敵の指揮官だ。報告によれば、その盤面を作り、貴様をその絶死の状況にまで追い詰めた男の名は――」


リークライトが、報告書に記されたその名を静かに口にした。


「――帝国中級魔導士、リコー・タディーカ」


その名前が隔離室の空気を震わせた、まさにその瞬間だった。


「……ッ!!」


スオスの両眼が限界まで見開かれ、細い喉から声ではない悲鳴が漏れた。

肉体そのものには、物理的な変化は一切起きていない。傷はすでに塞がっている。しかし、スオスの脳内では、その名をトリガーとして、櫓の頂上で味わった人生初の「絶対的な理不尽」が、生々しく再生される。


――自身の内側から、煮え滾るように熱く沸騰した血液が、内臓を焼き溶かしながらゴプッと喉を駆け上がり、口から激しく噴き出す。


防ぐ術のない圧倒的な死の感覚。絶対防御を無に帰され、ただの無力な肉の塊へと成り下がった瞬間の、あの凄まじい虚脱感と絶望。

ありもしない幻視と幻痛に脳髄を犯され、スオスは寝台の上で激しく身をよじり、シーツを力任せに掻き毟りながら、酸素を求めて狂ったように喘ぎ始めた。


幻視の血に溺れ、シーツを掻き毟りながら喘ぐスオス。

その異様な光景に、部屋の隅で丸くなっていたカーラーが動いた。


いつも恐怖にすくみ上がり、人に近寄ろうとしない彼女が、迷いのない、彼女にしてはひどく慣れた仕草で寝台へと駆け寄る。

カーラーはスオスの胸元に両手を翳し、すぐさま術式を展開した。


「――『解毒』『体力回復』、そして『安静』」


白銀の淡い光が、スオスの身体を包み込む。波立つ水面を均すように。

肉体を苛む幻痛を散らし、過呼吸を強制的に鎮め、神経の昂ぶりを麻痺させていく。


(……ああ)


なおも暴れ回ろうとするスオスの熱い身体に触れ、魔力を注ぎ込みながら、カーラーの胸の奥には、奇妙な熱が広がっていた。

コールウォー砦から戻ってきて以来何度も行った、この理不尽な怪物に対する治癒魔術の行使。スオスの肉体の深淵に何度も触れるうちに、カーラーの中には、いつしか名前のつかない感情が、黒い澱のように沈殿し始めていた。


それは決して「恋慕」などという美しいものではない。あまりにも遠すぎる。

かといって、自分が生かされているという「安心」と呼ぶには、あまりにも暗く、歪で、血の匂いが強すぎた。

ただ、恐怖に震えながらも、この化け物の生殺与奪の一部を自分が担い、繋ぎ止めているという昏い事実。カーラーは、自身の人生で一度も抱いたことのない、生まれて初めての執着めいたその感情を、持て余しつつも、この血に塗れた勇者へと確実に向けていた。


治癒の光によって、スオスの痙攣が僅かに治まる。


「……なるほど。深層心理にまで根を張ったか」


リークライトは、杖の先で床をコツリと叩いた。

恐慌状態に陥った最高戦力の姿を、老将は目を細めるでもなくしかと観察していた。だが、彼はその痛ましい惨状を全く意に介する様子もなく、淡々と言葉を続ける。


「では、確認を再開する。貴様は、その帝国の中級魔導士、リコー・タディーカの仕掛けた、『先帝の遺産』、帝国の『切り札』の毒に敗北した。そうだな?」


「ッ……!!」


再び落とされたその名前に、スオスの身体がビクン、と大きく跳ねた。

狂乱が再燃しようとする肉体を、カーラーが覆い被さるようにして必死に抑え込む。華奢な彼女の腕力などスオスには無に等しいはずだが、スオスは治癒の魔力に縫い止められたように、シーツの上でギリギリと歯を食いしばった。


スオスの目の瞳孔は開ききっていた。光を吸い込むかのように昏い目。

そこにあるのは、自尊心を粉々に砕かれた者の、底知れぬ憎悪と殺意の目か。


スオスは、喉の肉を引き千切るような、おぞましい声で言葉を吐き捨てた。


「……殺す」


部屋の温度が下がった。


「殺す……絶対に。リコーを、殺す……ッ」


「そうか」


リークライトはただ一言、短く応じた。

そして、スオスに寄り添うカーラーに向けて「投薬の調整」「拘束の維持」、そして「事態の絶対的な秘匿」など、いくつかの事務的な指示を下すと、スオスを一瞥すらせず、部屋から立ち去った。


狂乱の果てに殺意を滾らせる王国の最高戦力に対し、参謀長たる老将がしたことは、ただそれだけだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


王国軍本部、最高軍議室。

ずらりと並ぶ将官たちの間で重苦しい議論が交わされていたが、その場で「最強の駒」の話題に触れる者は一人としていなかった。


もとより、王国軍は厳格な規律と集団戦術によって動く組織である。たった一人の兵士の動向を、国家の命運を決める軍議のテーブルに持ち込むなど、本来であれば失笑を買う行為だ。彼らの誇りが、個人の力に縋ることをよしとしなかった。

しかし、会議は遅々として進まない。言葉を重ねれば重ねるほど、戦術の図上には巨大な空白が浮き彫りになっていく。


『剣の王国』と『魔導士の帝国』。

両国の軍隊が持つ主力の性質の差が、今更になって将官たちの首を真綿のように締め付けていた。すなわち、『射程』と『攻撃範囲』の差である。


帝国の魔導士たちが遠距離から放つ魔法による『面』制圧に対し、剣と歩兵を主体とする王国軍が作る『面』とは、すなわち人そのもの。接近するためにはどうしても多大な犠牲を払わねばならない。よって、勇者スオス・ハイムが戦場で展開し、「個の暴力」によって穴を単独で埋める、予定であったのだ。

勇者は、砦より戻って以来、姿を見せない。勇者の不在という現実から目を背けたままの軍議は、泥沼の空転を続けるほかなかった。


会議室の扉がゆっくりと開かれた。

参謀長リークライトが戻ってきた。軍議の場にいた全将官が、一斉に立ち上がり、直立不動で老将を迎える。


その只中で、リークライトは自席へと歩みを進めながら、静かに告げた。


「――秘匿呼称、『石火』。運用目処が立った」


石火。すなわち、火薬と鋼鉄による大砲。

その短い報告は、射程の差に喘ぐ王国軍にとって、間違いなく戦局を覆す朗報であった。魔導の優位を、純粋な物理と技術で粉砕する新技術の実戦投入。新たな「切り札」。


(おお……!)と、将官たちの脳裏に希望の光が差す。

だが、それと同時に、重い鉛のような疑問が渦巻いた。


(……それで、勇者はどうなったのだ?)

(砦から戻ったはずの勇者は、なぜ姿を見せない?)


全員が同じ疑問を抱いていた。

しかし、誰一人として口を開く者はいなかった。議場の空気を支配するリークライトの底知れぬ冷徹さと、いかなる質問をも拒絶する鋼のような横顔が、すべての将官の喉を縫い留めたのだ。


朗報への歓喜も、最大戦力への疑念も、すべては分厚い沈黙の下へと押し殺される。


「着席せよ。……配置の再考に入る」


リークライトの淡々とした声が、石造りの会議室に響く。

最強の勇者が壊れたという事実を巨大な暗部として抱え込んだまま、何事もなかったかのように、王国の会議は続く。

読んでいただき、感謝します。

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