大学病院 3/4 天恵(てんけい)
パージ法が発動された夜、病院の外では混乱が広がっていた。襲撃されたり、逃げ込んできたりする患者たちが次々と運ばれ、医師や看護師たちは緊急対応に追われていた。そんな中、静かに病院の廊下を進む一組の夫婦がいた。和夫と美智子は、誰にも見られないように娘の病室に忍び込んだ。
和夫は娘の顔を見つめ、持ってきた小さな薬瓶を取り出した。彼女を楽にさせてやるために、両親はパージの夜を利用しようと決意していた。
3か月前、パージ法が発表された夜。家族の命運を揺るがすこの法が突如告げられた瞬間、和夫と美智子は、それぞれの胸に抱えた重い想いをお互いにぶつけ合い始めた。病院で命の灯をか細くしている娘・彩香のために、彼らができることは何か。そして、残された時間の中で何を選ぶべきか。
和夫は、家族のためにすべてを捧げた誇り高き警備員だった。彼は拳を握りしめ、声を震わせながら「銀行に忍び込む」提案を告げた。その言葉の裏には、家庭を支えながらも無力感に苛まれてきた日々が透けていた。治療費を工面するためには、もうこれしかないと信じ、なけなしの希望にすがりつくように提案したのだった。銀行強盗なんて考えたこともないが、家族のためならどんな危険も恐れない──その決意が和夫を突き動かしていた。
だが、美智子は真っ青な顔でかぶりを振った。「和夫さん、素人が銀行に入るなんて、無謀にもほどがあるわ」と小さな声で反論する。和夫もそのことは理解していた。だが、それでも必死に「できるさ。二人で計画を練り上げれば、きっとなんとかなる…!」と何度も言い聞かせるように繰り返した。美智子の瞳には、その必死さが痛いほど伝わった。和夫はもう心が壊れそうだった。家族を救えない無力感に囚われ、できることならば犯罪に手を染めてでも、愛する彩香の命を繋ぎとめたいと思っていたのだ。
その後の日々。二人は何度も何度も話し合い、議論し、言葉をぶつけ合った。和夫は警備員としての知識を総動員して銀行への侵入経路を示したが、美智子が投げかける現実的な疑問に、次第に言葉を失っていった。パージの夜、きっと通常時よりセキュリティが厳重に管理された銀行に、ただの警備員が侵入できるはずもない。和夫も、それは痛いほど理解していたのだ。やがて、冷静さを取り戻すとともに、彼の目からは徐々に希望の色が消えていった。
一方で美智子は、彩香の苦痛を日々目の当たりにしながら、別の重い決断を秘めたのだ。彼女は、最愛の娘を「楽にさせてあげる」ことを提案したのだ。彩香が苦しみの中で過ごす未来を見届けることが、どれほど耐えがたいことか。美智子にとって、愛する娘が病室で辛い日々を生きる姿を見守ることは、拷問にも等しかった。どうにかして、彼女の苦しみを終わらせてあげたい。だが、それが親としてどれほど罪深い選択なのかも、美智子には痛いほど分かっていた。
ある夜。
和夫が諦めきれずに自分の計画を再度美智子に提案していら最中、口を開いた美智子の言葉が和夫の胸を貫いた。
「私たちも一緒に行きましょう──彩香と一緒に。」
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和夫が薬瓶を持参した注射器に移し、点滴に注入しようとしたその時、病室のドアが静かに開き、担当医の安藤と看護師の水原が入ってきた。彼らは、両親が何をしようとしているかすぐに察した。
「何をしているんですか!」安藤が声をあげたが、和夫の決意は固かった。「もう、これ以上娘を苦しませたくないんだ。10年も経って…もう十分だ。」
その後、美智子がこの決断に至った3か月間を鮮明に伝えた。
夫が銀行強盗をしようとした事。そして、治療費の為に闇金にまで手を出し、もう今後の生活もままならない事、そして、私たちは3人で逝きたいという事も。
美智子が話を終え、病室は静寂に包まれた。
安藤もまた、彩香の状態を見守り続けてきたが、回復の兆しは見えず、長い間この状況に向き合ってきた。彼は両親の気持ちと経済的な状況も痛いほど理解していた。彼らが絶望し、娘を救えない状況にいることが辛いと感じていた。
そして安藤は、少し悩んだ末にとんでもない提案を口にした。
「まだ承認が下りていない新薬がこの病院にあります。正直なところ、臨定試験も行えない状態の為、植物状態から回復させる確率は1%未満ですが、もし賭けるなら…この薬を使ってみることはできますが、どうしますか?」医師、安藤の目は真剣だった。




