箱根の温泉宿 4/6 禁断の美食
静寂に包まれた富士山屋ホテルの厨房では、シェフ・レオが優雅な動きで鋭利なナイフを操っていた。包丁の先端が血に濡れ、薄紅色の筋を床へと垂れ流す。彼の周囲には、高価な調理器具とともに、生々しい素材が並んでいた。それはもはや「素材」と呼ぶにはあまりにも人間的で、異様な臭いが漂っていた。
レオは、まるで名誉ある晩餐会を準備するかのように、細心の注意を払って肉を切り分けていく。その表情には、不気味なほどの平静さと、どこか狂気じみた歓喜が混じり合っていた。まるで夢中で遊ぶ子供のような無邪気さがあり、彼の目の奥には常軌を逸した光が宿っていた。
「さて…次は、この腸を…」
レオは、夫婦と思われる男の体から丁寧に取り出した腸を手に取り、中の汚物を取り除き血糊をぬぐいながら微笑んだ。その腸はまだ生暖かく、湿った感触が指先に伝わってくる。レオはそれを妻の太ももから切り取った肉で作った「特製ウインナー」の皮として使うべく、慎重に洗浄していた。
「愛の証として、夫婦の肉が一つになるのは美しいではないか。」
レオは呟きながら、腸詰めされた「特製ウインナー」を見つめ、満足そうに頷いた。そして、それをオーブンに丁寧に並べ、絶妙な温度と時間でじっくりと焼き上げる準備を始めた。
さらに、彼の目はそばに横たわる複数の犠牲者へと向かう。皆その顔にはまだ恐怖が残っているようで、レオは口元に不敵な笑みを浮かべた。
「さて、次はこのコリエだ。日本だと”首肉”か。希少部位だから集めるのに苦労するが柔らかくて美味そうだな…」
彼は切り出した首肉を取り外し、バターとオリーブオイルで丁寧に焼き始めた。ジュウジュウと油が弾ける音が厨房に響き渡り、香ばしい香りが広がる。そこにハーブが混じる岩塩をパラパラとかけ、まるで高級レストランで供されるステーキのような出来栄えに、レオの瞳は歓喜に輝いた。
次に、レオは冷蔵庫の奥から特製のシャーベット用の器具を取り出し、冷たく冷やしたピンクの塊を手にした。丁寧にすり潰しながら、甘みを引き出すための隠し味にラペールーシュと言う、きび糖を加えつつシャーベットを練り上げていく。その色身からストロベリーシャーベットを彷彿とさせるが、原材料は人間の脳ミソである。
その異様な光景に、レオ自身が一種の芸術的な興奮を覚えているかのようだった。
「これは、私の最高傑作だ。真の美食とはこういうものだ…」
レオは満足げに一息つき、テーブルの上に料理を並べ始めた。
その時、不意に奥の影から微かに動く人影が見えた。レイナードだった。アメリカ海軍に所属していた彼は、軍隊で鍛え上げられたおかげで、薬物による朦朧とした中でもかろうじて意識を取り戻し、その恐ろしい光景を物陰から見ていた。レオが調理するカウンターに調味料に並べられたある小瓶が見えた。そのラベルには、先ほど口にした食前酒に入れられた成分が、ベンゾジアゼピン系薬物であることが理解できた。それは軍医がPTSDの治療時などに暴れ出す患者の鎮静のために処方する薬だ。
(…そうか、やっぱり、あの酒には薬が…)
レイナードは微かな覚醒感を覚えながらも、体を動かそうとするもまるで鉛のように重い。それでも、彼の目にはレオの背中と、キッチンカウンターに並べられた「料理」が見えていた。
(こいつ…、客達を…解体し食材にしているのか?)
恐ろしい真実に気づいたレイナードは、全身に冷たい汗が流れるのを感じた。しかし、動こうにも体はまだ薬の影響から抜け出せない。重いまぶたを必死に開け、周囲を見渡しても、他の宿泊客たちは皆眠りに堕ちている。彼一人が、かろうじて意識を保っている状態だった。
その時、レオが突然こちらを振り返った。
「おや…もう目覚めに?さすがは軍人、タフですね。」レオは薄暗い厨房の中で冷たい微笑を浮かべ、ゆっくりとレイナードに近づいてきた。
「今夜は、特別な料理をお届けしますよ。あなたも、どうか楽しんでください。『一緒』に。」
左手になナタの様に大きな肉切り包丁を手にしたレオの足音がゆっくりと近づいてくる中、レイナードは頭の中で必死に脱出策を考えた。しかし、手足はほとんど動かない。体内を巡る鎮静薬のせいで、思考も定まらず、意識が薄れそうになる。
(このままじゃ…殺される。)
彼の脳裏に浮かんだのは、過去の戦場の記憶、仲間たちの顔、そして今ここで再び死に直面する恐怖だった。ここで死ぬわけにはいかない。
「なぁ、シェフ。今日は長い夜だろ?聞かせてくれよ。なぜこんな事を?」
レイナードの言葉に、レオは歩みを止め口を開いた。
「こんな事…か」




