真っ赤な銀座
銀座――日本を代表する富裕層の街。その煌びやかな通りに、美術品としての日本刀を扱う店が存在していた。伝統工芸としての価値を纏いながらも、その刀の本質は変わらない。刀とは人を斬るための道具である。
その店の主人である男も、刀を扱い続ける中でその本質に気づいていた。しかし、現代においてその本質を試すことは許されない。刀は美術品であり、文化の象徴であり、単なる歴史の遺物と位置付けられていた。だが「パージ法」の成立が状況を一変させた。
法が解き放たれた12時間、すべての犯罪が合法となる――それを知った瞬間から、店には客が殺到した。これまで趣味として刀を購入していた富裕層たちが「自衛のため」と称して次々と刀を買い求める。
一振り、一振りと売れていく刀。そのたびに、男の心には奇妙な感情が芽生えていった。
「彼らは人を斬るつもりなのか?」
美術品として愛されるべき日本刀が、人を傷つけるための道具として手放されていく。その矛盾に胸を痛める一方で、男の胸の奥底には、さらに別の感情が潜んでいた。
(人を――斬ってみたい)
その衝動は、男の心の深い闇から湧き出てきたものだった。
学生時代は剣道部。社会人となってからは古流剣術道場にて70歳になる今まで長年剣術を学びつつ、実際の日本刀を使う演武など行ってきたが、今になり、人間の本能に刻み込まれた、暴力への好奇心、そして禁忌への誘惑。「斬る」という行為にどれほどの快楽が隠されているのか――誰にも知られることなく、その感情は男の中で膨れ上がっていった。
―
迎えたパージの夜。銀座の街はその狂気の幕を開けていたが、男は店内にただ一人、静かに佇んでいた。外からは、遠くで響く破壊音や叫び声が途切れることなく耳に届く。騒乱に包まれる銀座の街をよそに、男の視線は自らの腰に帯びた刀へと向けられていた。
紺の袴に白い道着、紫のたすきを肩に掛け、足元は黒い足袋。その姿は、現代の街並みから大きくかけ離れた武士の装いだった。
静かな動作で刀を抜き、銀色の刃がゆっくりと店内の灯りを受けて鈍い光を放つ。男はその刃をじっと見つめた。そこに映るのは、美しく研ぎ澄まされた鋼の輝き――そして、その刃がこれから血に染まるかもしれない未来への、ぼんやりとした予感だった。
手の中で微かに震える刀。その震えが自分の中から来るものだと気づいたとき、男の心にわずかな恐怖が芽生えた。やがて訪れるであろう「その瞬間」を前にした、自分自身の迷いに震えていたのだ。
自分を、店を、この街を守るため、そう、正当防衛だと、そう自分に言い聞かせながら、男は街へと一歩を踏み出した。だが、その心の奥には別の理由が隠れていることを、自分自身でも認めたくなかった。
銀座の街はすでに地獄と化していた。高級ブランド店のショーウィンドウは次々に破壊され、若者たちが略奪したバッグや宝石を手に走り回っている。
ある若者が、高級腕時計をいくつも腕に着け、にやけた顔で次の店舗を選んでいると、視界にポツンとたたずむ初老の男性が見えた。足が悪いのか?杖をついていると見間違えた事にも気付かないまま、老人の横を通り過ぎようとしたその時、男は一振り目を放った。
柄杓で水を撒くように下段から中段への斬撃。刃が肉を切り裂く感覚。初めて味わうその感触に、男は思わず息を止めた。感覚が手に伝わってくる――刃が骨に当たり、貫通する感覚。
斬られた若者は、何が起こったのかもわからず、自分の腹部が熱いのを感じて目線を落とすと、自身の臓物がこぼれ落ちるのを皆がら意識が無くなった。
若者が叫ぶ間もなく倒れると、周囲の略奪者たちの目が男に集まった。
「なんだこいつ…!」
その一言で火蓋が切られた。仲間と思わしき若者たちが手に持つバットやナイフを振りかざして男に向かってくる。だが、そのたびに男の刃は次々と若者たちを斬り伏せていった。
空を舞う片腕。噴水の様な血しぶき。ボールの様に転がる首。
斬るたびに、胸の中に湧き上がる奇妙な感情。それは恐怖ではない――快楽だった。刀の本質を手にした者にしか分からない陶酔感。その快楽は、男の思考をゆっくりと狂わせていった。
「そうだ、これが刀の本来の姿だ……」
いつしか男の顔には笑みが浮かんでいた。流れる血と絶命する人間たち。それが自身の道着と銀座の街を赤く染めていった。
もはや自衛ではない。ただの狩りだ。男は次々と略奪者を斬り伏せていく。本当に略奪者だったか?逃げ惑うような素振りの人間もいたが、男の目には動く標的にしか見えなかった。
そのたびに刀の刃が鮮血を吸い、輝きを失っていく。だが、その刃を男はさらに振り続けた。
血に濡れた銀座の街。そこに立つ男は、かつての自分ではなかった。斬るたびに人間としての理性は消え去り、刃の持つ暴力の本質に飲み込まれていく。
最後に立ち尽くした男は、自らの手で斬り伏せた人々、いや肉片を見下ろしていた。
「これが……俺の本質か」
静まり返った銀座の街で、男は耳を澄ました。次の獲物を探す為に。




