番外編3 セイクリッド公爵夫人②
「ここにいたのか、マルグレーテ」
背後からかけられた穏やかな夫の声に、意識が浮上する。
どうやらいつの間にか、うたた寝をしてしまっていたらしい。
「あら、アルフレッド。お仕事はもうよろしいの?」
淑やかと誰もが表する微笑を浮かべ、夫に尋ねる。寝ていたのは、気付かれていないかしら。そうだといいのだけれど。
「今日はもうお仕舞いだ。流石に少々疲れたからね。午後はゆっくりすることにした」
このところ、通常の仕事に加え、フィロース領で起きたスタンピードの対応に追われて多忙を極めていた夫が、半日でも休みを取れるということは……。本当に、もうあの災禍は収束したということなのだろう。
「それがよろしいわ」
ティーテーブルの対面に夫が腰を下ろすと同時に、侍女が新しいお茶を持ってきて、取り替えていく。
茶菓子は、最近王都で流行っているシフォンケーキ。ミリアム様とお嬢さんが考案された料理はどれもとても美味しくて、我が家でも積極的に取り入れている。
「最近、ここがお気に入りのようだね」
「ええ。とても暖かいのだもの」
冬でも暖かさを保っているサンルームは、ここ最近、わたくしと息子のお気に入りの場所だ。大きなガラス窓の横には、この大陸では見慣れない、黄色い花の鉢植えが置かれていた。温室を立て替え中なものだから、本来暖かい時期に咲くはずのこの花を置けるのはここだけ。それが、わたくしたちがサンルームに入り浸っている理由だということは、聡い夫が気付かないはずがない。
ひょんなことから夫や息子がフィロース子爵家と交流を持ち始め、本格的に事業提携までするようになったと聞いたときは、大層驚いたものである。
最初は子爵夫妻がヨシュア様とミリアム様だとは思っていなかったので、夫が事前に調査した報告書を見て、また仰天してしまった。だって、まさか、三男のヨシュア様が家督を継いでいるだなんて思いもしなかったのだもの。
「……まさか、君がフィロース子爵夫人を知っていたとは思わなかったな。学年も違ったはずだし、あちらも何も言っていなかったからね」
「そうでしょうね。わたくしが一方的に見知っていただけだもの。……初めての実習の時に、お助けいただいたのよ。きっとあの方は覚えていらっしゃらないでしょうけど」
「王女を助けたのに?」
「王女だなんて気付いてもいなかったと思うわ。救護テントに放り込んで、すぐ森に戻ってしまわれたから」
先日……スタンピード収束の一報を受け取った日のこと。朝食の席で、息子からフィロース領に滞在していた時の話を聞いていたら子爵夫妻のお話も出てきて。つい、「お変わりないようで安心したわ」なんて言ってしまったから、面識があったのか、と息子だけでなく夫まで驚かせてしまったのよね。
あの時は、学生時代に在籍期間が被っていたのだ、と伝えただけだったけれど……。
懐かしい夢を見たせいかしら。
誰にも告げたことのなかった話を、したくなってしまったのは。
「ふふっ。憧れの先輩でしたの。女性ながら、あの細腕で、大きな魔物も軽々と狩ってしまわれるのよ」
「……資料にもあったが、どうにも想像がつかないな。私が会った印象は、礼儀正しく常識的な貴族夫人というものだから」
「あら、常識的な貴族夫人と、凄腕の魔法剣士は十分両立するものではなくって?」
「それはそうなんだがね」
大昔は、女性であっても貴族ならばその豊富な魔力で魔物討伐に出ることはあった。現在でも、剣術や戦闘魔法が得意な女性は騎士や王宮魔道士になったりもしている。
しかし高位貴族になるほど、女性が戦闘に出るということはほとんどない。貴族女性の役割は、より魔力の強い子どもを産み育てることとされているからだ。
「君は剣や戦闘魔法よりも、書物や勉学を重視してるようだったろう。ああ……いや、でも意外でもないか。君も昔から、冒険小説を好んでいたものな」
「人間、自分にないものに憧れるものですからね」
冒険小説好きはお互い様だ。というよりも、わたくしが夫と親しくなったのも、お忍びででかけた本屋で、新作の冒険小説を手に取ろうとして鉢合わせたのがきっかけだった。
あの瞬間まで、私にとっての夫は、いかにも高位貴族らしく本音を見せない、そつもなければ隙もないいけ好かない遠い親戚、という認識でしかなかったのよね。夫は夫で、わたくしのことを、自分の意思も持たない人形のようなつまらない王女と思っていたはず。
お互いに相手が自分をどう思っているか察していたものだから、近づかないようにしていたというのに、まさか趣味が同じだなんて思わなくって。最初はとても信じられなかったものだったわ。
「もしや、君が兄君に救荒作物の研究に力を入れて、国中に広めるよう進言していたのは……」
「別に贔屓をしたわけではなくってよ。我が国に必要なことだと判断しただけですわ。……でも、わたくしが兄を通して政に口出しするようになったのは、ミリアム様の影響なのは確かね」
王に疎まれた王子だった兄は、成人し公務に携わるようになってからは、どんどんと勢力を増していった。父が女遊びに耽溺し、仕事を放り出していたのをいいことに、実権を握っていったのだ。
父には届かない言葉も、同腹の兄なら聞いてくれるのではないか。
そう思って、アンテック大陸の作物が救荒作物として優れているようだ、と。雑談の中で兄に伝えた。兄は真剣に耳を傾けてくれて、アンテック大陸原産の芋類を救荒作物に指定し、国中に広める運動を始めてくれたのだ。
この出来事は、所詮己には何もできないとふてくされ、殻に閉じこもっていたわたくしにも、出来ることはあったのだと認識を改める大きな機会になった。
――この働きかけがなかったら、夫はわたくしにさして興味を持たなかっただろう、という点も踏まえて。
そう伝えたら、夫は笑った。
「なるほど、私が賢い妻を娶れたのは、フィロース子爵夫人のおかげだったか」
「そうよ。それなのに、貴方やウィルばかり親しくなさっているのはずるいと思うの」
「そうは言っても、タイミングが合わなかったのだから仕方ないだろう」
秋の大舞踏会ではお会いできるかと思ったのに、わたくしが折り悪く熱を出してしまったものだから、参加できなかったのよね。
「次の社交シーズンにでも、タウンハウスにお招きするといい」
「そうね……。お茶会でも開いて、ご招待しようかしら」
春に子爵とお子様方がいらっしゃることは聞いているけれど、ミリアム様も来られるだろうか。……スタンピードのことを考えると難しいかもしれない。だとしたら、直接お会いできるのは、夏かしら。大舞踏会への参加も見送られるかもしれないし、その場合は来年になってしまうかもしれないわね。
いずれにしても、事業提携している家の夫人同士、きちんと顔をあわせてご挨拶をしておくべきだろう。そうしたら……今度こそ、今更だとしても、あの日のお礼をお伝えしよう。
「君がそんなに子爵夫人のファンだったとは。それにしては、スタンピードの報せにも冷静だったじゃないか」
「あら、心配はしていましたわよ。でも……きっと大丈夫だと思っていたの」
不思議そうな夫に、わたくしは笑って答えた。
だって――ご夫君と一緒なら、あの方は伝説の海の魔物、リヴァイアサンだって狩ってしまえるのだから!
番外編もこれにて終了となります。
まだまだネタが浮かぶので……いつか続きが書けたらいいなあと思います。
面白かったと思ってもらえましたら、星や感想などいただけると嬉しいです。
最期までお付き合いいただき、ありがとうございました。
また、新連載を開始しましたので、そちらもごらんいただけましたら幸いです。
「婚約破棄から国外追放された令嬢ですが、前世がマタギの爺さんだったので追放先では楽しく暮らします!」
https://ncode.syosetu.com/n2372mv/




