番外編3 セイクリッド公爵夫人①
王に嫌われている王子や王女というものは、とかく扱いに困るものであるらしい。
その気持ちは、わからないでもない。
表立って支持していれば王の不興を買う可能性があるし、かといって雑な扱いをするには位が高すぎる。下の者が上の者を不当に扱うのは、階級社会で許されることではないし、いくら王に嫌われていたとして、王の子に変わりなく、不敬を働けば王を侮辱するのと同様と捉えられるのだから。
そうとなれば、周囲の反応はふたつに別れる。
同じく王に疎まれている者は、いつか役に立つかも知れないと懐柔しようと野心を隠して近づいてきて。
それ以外の者は遠巻きに静観するだけで極力関わろうとはしない。
個々人や家によって多少の差異はあれど、わたくしを取り巻く人々の反応は概ねそのようなものだった。
王に疎まれ遠ざけられた王子の筆頭である同腹の兄などは、支持者を得ようと近づいてくる者とも積極的に交流しているし、本来なら王族に近づくのも憚られると言われるような身分の者とも、縁を結ぼうと自ら働きかけているけれど。
わたくしにはそうするだけの気概もなければ、意欲もなかった。
どうせいずれどこかに嫁がせるのだから、国の役に立とうなどと、驕ったことを考えるなと、短杖も剣も取り上げられて。女に学は必要ないと、最低限の教養だけ学べばいいと、王宮図書館への出入りすら禁じられてからは、もう。
文字通り何をする気にもなれず、日々を茫洋と過ごすばかり。
唯一、王立魔法学校に居る間だけは、監視の目も緩むので、学校の図書室に籠もっては本を読むだけ。勉強は、しない。女であるわたくしが、王の――父の在学時より良い成績を取ってしまえば、ますます疎ましがられるだけだから。
わたくしが疎まれるだけならばまだよいが、最近床に伏しがちの母にまで当たられるのは見るに忍びないのだ。
だから、おとなしくしている。
息を潜めて、死んだように。
そうしていれば、周囲もわたくしを茫洋で無価値な存在として、放っておいてくれるから。 だから――……王立ウルディネ魔法学校で過ごす日々は、わたくしにとってぬるま湯に浸かるような、平穏を噛みしめられるものだった。
静かな図書室の隅で本を開き、物語の世界に没頭していく時間が好きだ。
特に冒険小説が最近のお気に入りだった。
小説の主人公たちは、わたくしとはまるで違う。
勇敢で、快活で、義理人情に厚く、見ず知らずの人のために危険にも立ち向かう。どれも、わたくしに欠けているものばかり。
内向的で卑屈で、保身ばかりを考えているような、わたくしとは。
「ええっ!? 王宮近衛騎士のお誘いを断ったですって!?」
ふっと集中が途切れたタイミングで、咎めるような、驚愕の声が耳に届いた。
図書室内には数人の生徒がいて、自習をしたり本を読んでいるばかり。おしゃべりをしている生徒はいない。窓の外から聞こえてきた声だろう。
「正気なの、ミリー!」
ミリー。
その愛称には、聞き覚えがあった。
更には王宮近衛騎士と聞いて、少し気になってしまい、わたくしは本を閉じて、窓辺に歩み寄る。緩やかに波打った、ゆがみの強い年代物のガラス窓を開けば、春の爽やかな風が頬を撫でた。
視線を下に下ろせば、中庭のベンチに三人の女子学生が並んで座っている。そのうちのひとりに、見覚えがあった。
――ミリアム・ウィルコット。
南部辺境の騎士爵家出身の少女で、天才的な剣術の腕前と評判な方だ。子どもの頃から魔の森で魔物の首を刎ねていたとかで、野外実習でもいつも抜群の成績を誇っていた。
学年はわたくしのふたつ上で、もうすぐ卒業されるはずの……わたくしが、密かに憧れている先輩。
入学したての頃の野外実習で、うっかり森の奥に迷い込んでしまって、大きな魔物に襲われそうになったところを助けていただいたの。ミリアム様は試験官の先生の補助をされていて、下級生が危険なときには助太刀するため、森に待機されていたのよね。
あの頃のミリアム様は今よりもずっと小柄で、華奢で。なのに自分の身長と同じくらいありそうな大剣を軽々とふるって、大きなベア種の魔物の首を刎ねてしまったのよ!
そうしてわたくしを見て、言ったのだわ。
「こら、そこの下級生! 魔の森でぼけっとしてんじゃないわよ、死にたいの!?」
――って。
ミリアム様は、わたくしの素性を知らなかったみたいで、私を猫の子のようにひょいっと小脇に抱えると、そのまま救護テントまで運んでくれて。そうしてまたすぐ森に戻っていってしまって、ろくにお礼も言えなかったのよね。
後からきちんとお礼を言いに行きたかったのだけれど……。わたくしのような、王に疎まれている王女に近づかれても困るかしら、なんて後ろ向きに考えている間に時間ばかりが過ぎてしまって。時間が経てば経つほど、今更? と思われるかしら、と結局何も言えずじまい。
彼女ほどの魔法剣の使い手ならば、王宮近衛騎士隊から声がかかるのも全く不思議じゃないし、女性の騎士は貴重だから、女性王族の警護に優先的に回される。だからもしかしたら、ミリアム様が卒業された後は、王宮に士官されるかも。そうしたら――わたくしか、お母様の護衛騎士になって貰えないかしら。
……なんて。そんな都合の良いことを考えていたのだけれど。
「そりゃあありがたいお話だとは思うけど、私、別に騎士になりたいわけじゃないもの」
「じゃあどうするのよ!? もうすぐ卒業なのよ? 貴方に限って文官はありえないし、まさかどこかの家で侍女にでもなるつもり?」
ちょっと恐い顔と声音になってしまっているご友人の気持ちも、少しわかってしまうわね。ミリアム様はなんでもないようなご様子だけれど……。あの方の剣技を思えば、騎士という立身出世の道を自ら捨てているようにしか見えないもの。
けれど、ミリアム様は「まさか」と笑った。
「ヨシュアとアンテック大陸に行くのよ」
「え?」
「ど、どういうこと?」
「アンテック大陸には痩せた土地でも育つ作物がたくさんあるらしくって。現地に行って研究したいのですって。実際に育て方とも勉強したいから、ちょっと数年くらい行ってくるなんて言うのよ。でもあいつ、防衛魔法は得意だけど、攻撃力がないじゃない。ひとりでなんて行かせられないわ」
やれやれ、と肩を竦めて、ミリアム先輩はそうおっしゃった。
ヨシュア……。聞き覚えのある名だった。
そういえば、飛び級を重ねて早々に高等学院を経て大学を卒業した男子生徒と、ミリアム先輩は親しくしていたはずだ。ヨシュア・フィロース……だったかしら。年齢はミリアム先輩と同じだったはずだけど……。
「ちょっと待ってよ、ミリー!」
「まさか、二人でいくの!? 未婚の男女が!?」
「もちろん結婚してから行くわよ」
「結婚!? ヨシュア・フィロースって子爵家の三男でしょう!?」
「貴方ねぇ、近衛騎士を蹴って、爵位も望めない三男坊と結婚って……。しかも新婚早々、未開の遠い大陸について行くって……正気とは思えないわ」
ご友人たちの心配の声に、ミリアム先輩はそういう反応が来るのはわかっていたようで、怒ったりはしなかったけれど、考えを改める気もないようだった。実にあっけらかんと笑っている。
「一緒に行くって言い出したのは私よ。ヨシュアは数年したら戻ってくるから待ってて欲しいとか言ってたけど、冗談じゃないわ。あのお人好しをひとりで長旅なんてさせたら、どっかで身ぐるみ剥がされて彷徨うのが目に見えてるもの」
「ああ……まあ……確かに……?」
「わからないわ、ミリー。それでなんで一緒に行くって話になるのよ」
「まだ見たことのない土地に、私も行ってみたいなって思ったから、かしら? それに、救荒作物の研究は進めるべきだわ。実家のあたりでもしょっちゅう飢饉が起こるのよ。ヨシュアなら育てやすくて病害にも強い作物を作ってくれるはずよ」
――ああ。
なんて眩しいのだろう。
ミリアム様の声にも、表情にも、夫となる方への信頼で溢れている。
爵位も望めない三男なんて、と。
未開の土地への長旅なんて、と。
先々苦労するだけだろう、と。
そう心配していたご友人たちすら、何も言えなくなってしまうくらいに。
婚約者がいずれ大業を成し遂げると信じ、その道を支えるのだと、艱難辛苦も共に打ち払うのだと、そう決意されているのだ。
遠い大陸への旅路は、きっと想像を絶するほどに過酷なものだろう。陸を旅するにも海を旅するにも、いつ恐ろしい魔物に襲われるかもわからない。客を乗せる船には護衛がつくはずだろうが、それでも船ごと沈められることだって頻繁に起こっているのだから。
けれどミリアム様は言うのだ。
「防御が得意なヨシュアと一緒なら、私、リヴァイアサンだって狩れるわ。きっとね!」
その笑顔があまりに眩しくて――。
誰かを信じる、どころか。
己すら信じられない我が身が、あまりにも情けなくて仕方なかった。




