第37話 「僕と君とで、神の御業を再現しよう」
天を突くように切り立つ峰が連なる山脈と、広大な森が影絵のように濃藍に沈んでいた。あの急峻な山のどこかで、神に等しい存在が産声を上げてから、一昼夜。東の空が山影をより鮮やかに浮かび上がらせるように白み始め、流れる雲の隙間から赤みを帯びた黄金色の陽が差し始めた。
新たな命の誕生を言祝ぐかのように、美しい日の出。
しかしあたりには、肌が粟立つような悍ましい気配が充満している。
朝焼けの中、ブルウッドの街を囲む石造りの防壁に、白金色の文様が浮かび上がった。浮かんだ文様が全て繋がると同時に、防壁に沿って金色の光を放つ結界が展開されていく。
お父様が無事結界を起動できたのだ。
物見の塔からドラグールの森に目をやれば、遠くに土埃が立ち上っているのが見えた。それに伴って、大地を踏みならす轟音も近づいてくる。
予想通りの時間に、スタンピードはブルウッドを守る防壁に達するだろう。
防護結界は物理、魔法両方の攻撃から内部を護るものだが、同時に魔物を引きつける囮の役も兼ねている。結界に誘因効果が付与されており、魔物たちが四方に散るのを防ぐ効果があるのだ。
その為、結界が維持されている間は問題ないが、綻びが出てしまえば地獄を見ることになる。本来なら起動前に、非戦闘員は他の街に避難させるべきなのかもしれないが……。あまりに準備時間が短すぎて、まだ結界内で籠城するのが生存確率は高いだろう。
領民の防壁内への収容は、ギリギリで間に合った。王都や近隣の領地へ救援要請の早馬も飛ばしてある。数日持たせれば、きっと応援も到着するだろう。
そう、一番の問題は、救援が来るまでの間、僕ら一家だけで結界を持たせられるか、というところだ。
魔物の群れが、黒い波のように防壁へと押し寄せてくる。書物の中で何度も読んだ光景が、目の前に広がっていた。
防壁の上から、矢が雨のように降り注ぐ。
結界に張り付く魔物たちを少しでも減らそうと、領兵隊と冒険者たちの混合チームが矢を射かけているのだ。
まだ到達しているのは浅層から中層の魔物だから、矢を受けてばたばたと倒れていくが、数が減っているようにはまったく見えない。むしろ後から後から、やってくる同胞に押しつぶされているものも多く見えた。
一体一体であればそこまで脅威でもない存在でも、こうして海のように周辺を取り囲んでいるのを見ては、背筋が凍る。ここにやがて深層の魔物も加わるのだと考えれば――。
とても、領民たちには見せられない光景だ。
魔物に対峙するのに慣れた冒険者でも、今にも怖じ気づいて逃げ出してもおかしくない。ひとりでもパニックに陥れば、まわりにもどんどん伝播し、収集が着かなくなるだろう。
「……お兄様」
いつになくか細い声に呼ばれ、振り返れば蒼白な顔の妹が居た。
「メアリー……。お母様は?」
「夜通し避難してきた領民に、粥を配ってるわ。お父様は大分魔力を消耗したみたいだけど、少し仮眠を取って回復に努めるって」
「そうか。この分なら半日は持つだろう。結界石の充填魔力が減ったら、次は僕が充填するよ。その次はメアリーにお願いすると思う」
「……はい」
「大丈夫だよ。王都からの救援は時間がかかるだろうけど、セイクリッド公爵ならすぐ騎士団を派遣してくれるだろう」
元気づけようとそう言ってはみたけれど、セイクリッド公爵がわざわざ騎士団を派遣してくれるかは未知数だ。あの方なら、とは思うけれど、本来領地を守るのはそれぞれの領主の仕事であるのだし。
ギルド長が各地のギルドにも早馬を飛ばして応援を呼んでいるけれど、スタンピードなんて数百年ぶりのことだ。どれだけの人数が集まってくれるだろうか。
そんな不安を押し隠し、つとめていつも通りに微笑んで見せる。それでもやっぱり、僕の内心を察してか、それとも街中に蔓延する不安感のせいか、メアリーアンの顔は強張ったままだ。
「……昨夜はバタバタして、ほとんど寝ていないだろう? 僕らも粥を貰って、少し休もう」
塔を降りようとメアリーの背に片手を添えて促すが、メアリーの足は石造りの床に張り付いたように動かない。
「メアリー……」
「……さい」
「え?」
「ご、めんな、さい……っ! わた、わたし、が、ちゃんと、おぼえていれば……っ!」
強く握りしめられた、小さな拳が震えている。
うつむいた妹の表情は見えない。けれど、その足下の床は次から次にしたたるしずくでどんどん色を変えていく。
「へん、だって、おもってたのに! 原作のメアリーアンに、お、お兄様、みたいな、ひと、いなくて……っ! むか、むかし、どっかで、スタンピード、起きたって、辺境の領地が、呑み込まれたって……! 台詞があった、のに……っ!」
嗚咽まみれの言葉は途切れ途切れで、ひどく聞き取りにくかったけれど……。
――そうか。
導き出された答えは単純だ。
きっと、前世でメアリーアンが読んだ物語の中でも、このスタンピードは起きていたのだろう。
そうして多分、僕はスタンピードに巻き込まれて死んでいたんじゃないかな。今のメアリーアンとは違って、物語の中のメアリーアンはまともに魔力操作もできない五歳児であったはずだから。それならきっと、両親も僕も、メアリーアンだけはビクターおじさんあたりに託して隣領か……王都にいる親戚の元へ逃がしただろう。
もしかすると物語の中では、フィロース子爵は代替わりしていたかもしれない。家族の中でメアリーアンだけが生き延びたとしたら……。ただでさえ貧乏貴族が、領地を失うのだ。後ろ盾を求めて格上のご令嬢に必死でごまをするような未来もあり得ただろう。
「わたっ、わたしが、もっとはやっ、きづいて、たら……っ! ちゃんとっ対策っ、ぅ……ごめ、なさっ、なんっでっこうなのっ、わだじっ……! いづもぞうっ」
「メアリー……」
オーシスの忘れ物があることを家族に開示してからも、メアリーアンは前世で読んでいた物語については、一切話さなかった。無意識に独り言でつぶやくことはあっても、その内容を僕らに伝えようとしたことはない。むしろ必死に隠したがっていたのに……そんな余裕もなくなるほど、追い詰められてしまっている。
元気いっぱいで、欲望に忠実な、迂闊で粗忽な僕の妹が。
血が滲むほど拳を握りしめて泣いている。
「転生者なのにっ! やくっ、たたずでっ……!」
自分の不出来を嘆いている。
――なんて、馬鹿げた話。
「メアリー」
震える小さな手を取って、強張った指を一本ずつ開かせる。手のひらには爪の形に赤い線が滲んでいて、胸の奥でどろりと重く昏い何かがとぐろを巻く。
恐らくそれは、怒りというものなのだろう。
何に対しての怒りか。
この不条理な現実に?
よりによって僕らの住む街の近くで生まれた竜に?
どちらもそうであるようで、そうでない。
ただ、この事態を予見できなかった妹に、なんてことだけはありえなくて。
――ああ、そうか。
こんな小さな子に、役立たずだなどと嘆かせた。
それが何より、腹立たしいのだ。
「大丈夫だよ、メアリーアン。何も嘆くことはない」
「……でも」
「役立たずだなんてとんでもない。君が教えてくれたんだ。人が奇跡を起こす方法を」
「お兄様……?」
「まだ……そうだな。もう少し、引きつけないと。防護結界の魔力充填は、お父様とお母様と……ビクターおじさんに頑張ってもらおうか。その間に、僕と君とで、神の御業を再現しよう」
かがんで妹の顔を覗き込み、ゆっくりと、噛んで含めるように言い聞かせる。
お母さまと同じ深緑色の眸がまあるく見開かれ、青白かった頬に赤みが差していった。
いつだって好奇心に煌めいていた双眸に、ようやく光が瞬きだす。
「深層の魔物をぎりぎりまで引きつけたら、僕らの出番だ」
「わたし、たちの……」
そうだよ。
きっと今、この世界でそれができるのは、まだ君と僕だけだろうから。
「できるよね?」
「……はいっ! 大丈夫です!」
ゴシゴシと乱暴に袖で涙を拭って、メアリーアンは笑った。
太陽に向かって咲く、あの大輪の花のように。
次回更新→本日19時
カクヨムにて「第2回GAウェブ小説コンテスト」参加中のため、先行連載しています。




