第35話 「大氾濫《スタンピード》が始まるよ」
森に入ると、ピリッと肌がひりつく感覚があった。
「これは……確かに変だね」
「ですよね! やっぱりおかしいですよね!」
思わず顔を顰めた僕に、我が意を得たり、と拳を握りしめたのはミーナだ。結局、あまり大人数で動いてもということで、僕の護衛に鋼の心臓と銀狐がつくことになった。花風には中層から浅層の様子を探って貰っている。
中層までの道程でも探査魔法は使ってはいたが、やはり普段の森とは何か違う。何が、と言われると言葉にするのは難しいのだが……。
なんというか、空気がピリピリしているというか、張り詰めたような……。ちょっとしたきっかけで、何かが弾けてしまいそうな。そんな感じ。
「もう少し奥まで行ってみますか?」
「うん。深層に入ったら探査魔法の範囲を広げてみるよ」
ガトーの問いにそう答え、僕は初めて中層の奥へと足を向けた。中層には先日一度、ビクターおじさんと来たけれど、あの時は沼地にしか行かなかったからな。今居るのは沼地よりも西側で、普段から冒険者がよく狩りに来る場所だ。
……といっても、ここまで来れる冒険者は中堅以上。更にこの奥となると、最低でもC級じゃないと無理だろう。
「あ。ショーン、左」
「おうっ!」
先頭を歩いていたショーンに声をかけたときには、もうショーンは大斧を振り抜いている。左の藪から飛び出した森狼があっさりと頭をたたき割られていた。
今回は調査のために森に入ったので戦闘は避けているが、こうして襲ってくる魔物は両手の数でも足りない。普通は、広い森の中で獲物を見つけるのに苦労するものであるのに、だ。
「ちぇ、もったいねぇなあ、マジックバッグがありゃまるごと持ち帰れるのに」
「文句言ってないでさっさと手を動かしな、ショーン!」
狩りであれば狩った獲物は持ち帰るのが基本だが、大きな獲物を持ち帰るのはいつだって大変だ。仕方なく、売れる部位だけその場で解体して担いで帰ることになる。しかし今回は調査が目的であるので、しっかり解体する時間などない。ひとまず魔石だけ回収して、帰りに余裕があれば回収できる分だけは回収しようということになっている。
「そういやガトーはマジックバッグ持ってるんじゃなかった?」
「持ってはいますが、残念ながら容量が大きくないのです」
基本的に、倒した魔物は倒した者のものだ。持ち帰るのも当然本人ないしはパーティーがすべきこと。ガトーとしては、頼まれればマジックバッグを貸すのもやぶさかではないようだが、ショーンたちとしては、あまり他のパーティーに借りをつくりたくないのかもしれない。
「ここより向こうはもっと金になる奴らが多いんで、そいつらはガトーの旦那に頼みますよ」
冗談交じりにショーンはそう言って、取り出したばかりの魔石を腰帯にくくりつけていた皮袋に放り込んだ。
その後も何度も魔物に襲われながら、深層へとたどり着く。
ここまでくると、ガトーもミーナも表情を強張らせて、警戒度を跳ね上げていた。魔法使いふたりがこの調子なのだから、他のメンバーもやはり何かあるのだと警戒を強めている。
「……リオン様。これ以上先は、行かない方がいいかと思います」
「そうだね。僕もちょっと、進みたくはないかな。ここでやろう」
ガトーの進言に、僕は素直に頷いた。一番のベテランがそう言うのだ。無理を通すのは馬鹿げている。
腰のベルトから短杖を抜いて、先端で地面にガリガリと簡易の魔法陣を描く。普段はこんなものは使わないが、大規模に魔法を行使するなら場を整えた方が通りが良くなる……と、「上級魔術と魔法陣による相乗効果」という論文に書いてあった。まだ試したことはなかったけれど、せっかくならやってみて損はないだろう。
土地の魔力と自分の魔力を接続させやすくするための陣を描いて、その中心に立つ。ふたつのパーティーメンバーから興味深そうな視線がちらちら寄せられるが、ちらちらなのは、彼らが周囲の警戒を怠っていないからだろう。これが魔の森でなければ、特に魔法使いのガトーとミーナは食い入るように見てきていたはずだ。
「さて……」
すう、と呼吸を整える。右手に持った短杖を前方に掲げ、右手の甲に左手を添えた。魔力を全身に巡らせ、魔法陣を介して足から地面へ、杖を介して周囲の空気へと繋いでいく。水面に落ちた水滴が、波紋を広げていくように。
「探査」
短縮呪文を唱えれば、魔力は一気に広範囲に広がっていった。
閉じたまぶたの裏に、探査魔法によって読み取った情報が浮かび上がっていく。
周囲にいる、魔物の気配。魔力を蓄えた魔植物。奥地に入り込んでいる冒険者の姿はない。 深層の更に奥へと、探査の範囲を広げていく。
先へ。もっと先へと伸ばしていけば――。
魔力。
強い、とてつもない魔力の塊があった。
まるで胎動のようにときおり強くうねっている。場所は――魔の森深層……違う、そうじゃない。
もっと遠く。
もっと奥。
深層よりも更に奥深く。
遙か遠くで、何かが――。
爆ぜた。
「――っ!」
思わず魔力の接続を切ろうとして、しかし歯を食いしばって耐える。
爆ぜた。
膨大な魔力の塊が――。いや、違う。
爆発するように膨れ上がった、未知の魔力が。
強大な何かが、産まれたのだ。
たった今!
「はっ、はぁ……っ!」
バチリとそれと、目が合った。
いや、正確には違う。探査の為に伸ばした魔力が、ソレと触れた。
黄金の鋭い眼差しが僕を見た――ように、思う。
ほんの一瞬、意識がリンクする。
今まさに産まれたそれが、吠えた。
ソレにとっては、ただの産声であったのかもしれない。
だけれど――。
「うぉっ!」
「きゃあっ!」
僕を守るように周囲を囲っていたショーンやミーナたちが悲鳴をあげた。
空気の震えはもはや暴風となって森全体へ伝播していく。
まずい。まずい。まずい!
慌てて探査を切った瞬間、がくんと身体が前に傾ぐ。ガトーがとっさに支えてくれていなかったら、前のめりに倒れ込んでいただろう。
「リオン様、今のは」
「……産まれた」
「え?」
「森の奥で、竜が孵った」
「――っ!」
誰もが息を呑む。
竜が孵った。
その意味が、彼らに解らないはずがない。
「至急街に戻る。足の速いものは先行し、ギルド長と領主館に知らせを!」
探査魔法を切ってなお、奥地の混乱が伝わってくる。
直視したくない最悪の事態が、あっという間に押し寄せてくるだろうことが――嫌でもわかってしまった。
「大氾濫が始まるよ」
次回更新→本日19時
カクヨムにて「第2回GAウェブ小説コンテスト」参加中のため、先行連載しています。




