第2話 いわゆる、オーシスの忘れ物のことだろう。
昨日に引き続き、天気は快晴。朝食の時間の前に、昨日、メアリーアンが独り言としてこぼした情報をまとめておこうと思う。
まず前提として、
・メアリーアンは湖で溺れて前世の記憶を思い出した。
・前世でメアリーアンはニホンという国の庶民の女性で、都市部で働く職業婦人であった。
・前世のメアリーアンには大好きな小説があったが、その小説の中にメアリーアンも登場していた。
……だそうだ。
その小説は、女性が好む娯楽小説らしく、随分ロマンチックな内容であったらしい。残念ながら、我が妹は小悪党として登場するそうだけれど。
舞台になるのはいずれ僕も通う予定の王立魔法学校で、主な登場人物は主人公のセレーナ・ブランシュ。ブランシュ公爵家のご令嬢らしいのだが、貴族名鑑にその名はない。現在のところは。
というのも、このご令嬢、公爵家の落とし胤というやつで、現在は市井で暮らしているのだそうだ。
物語は、セレーナ嬢が公爵家に引き取られる十三歳から始まる。幼くして母を亡くした孤児が、ある日ひょんなことから高貴な家のご落胤だと判明し、大貴族の仲間入りを果たす。しかしそこで待ち受けるのは義母や義姉からの冷たい視線といじめ。貴族社会の縮図である魔法学校でも針のむしろ。しかし主人公は健気に努力し、立派な淑女に成長し多くの味方を得て、なんやかんやあるも最終的には竜と友誼を結び、竜の姫巫女となって皇太子と結ばれる……。
と、いうのがおおまかなあらすじらしい。
なんとも夢見がちな少女が好みそうな物語である。
そんなまさしく物語のようなコトがこれから起きるとか、僕らの生きる世界が小説の中だとか。荒唐無稽にも程があるけれど、全てメアリーアンの妄想だと捨て置くにはちょっとね……。ブランシュ公爵家の内情に詳しすぎるんだよなぁ。
高位貴族の家庭内のいざこざなんて、四歳のメアリーアンが知るはずもないことなのだ。そもそも数日前までのメアリーなら、ブランシュ公爵家の名前すら知らなかったはず。ブランシュ公爵家で五年前に痴情のもつれで騒動が起こって、公爵の愛人が夫人に追い出されたという醜聞なんて、妹が生まれる前のことを知ってる時点でおかしい。
ともあれ、メアリーの言うような出来事が未来で起こるのかどうかについては、現時点で検証しようがないのでおいておこう。
重要なのは、僕の妹に前世の記憶があり、それが異世界のものであることだ。
前世の記憶については、いわゆる、オーシスの忘れ物のことだろう。
人は死ぬと運命と審判を司る星神、オーシス様の元へのぼり、生前の罪の審判を受ける。そうして悪行をなしたものは地獄へ、善行をなしたものは天国へ行くか、新たな肉体を得て生まれ変わるかを選べるのだ。地獄へ行ったものも、罪を償い終えれば、同じようにどちらかを選べるそうだ。
そうして生まれ変わるとき、魂の記憶をまっさらに消されて、新たな人生を得るのだけれど……。ごくごく希に、前の記憶を持ったまま生まれてしまう者がいる。そうして残った記憶をオーシスの忘れ物と云うのだ。
……なんて、古くからのおとぎ話のような伝承、信じてもいなかったけれど。昨日からのメアリーアンの様子を見るに、妹はオーシスの忘れ物を持ったまま生まれてきてしまったんだろうなぁ。
創世神様は元々異なる世界より渡りこし、新たに星々をうみだしたって言われてるし。異世界というものが実在してもおかしくはない。万が一神殿にメアリーアンの持つオーシスの忘れ物のことが知られても、教義に反するとは言われないだろう。うん、多分。
朝食の席で、メアリーアンは絶望した顔をしていた。朝食の内容がお気に召さなかったらしい。まあそうだね、クズ野菜をくたくたに煮込んだだけの微かに塩味のするスープなんて、特に美味しいものでもないしね。硬くて酸味の強いカチコチの黒パンも衝撃だったみたいだ。
どうやらメアリーが前世で過ごした世界は、文明が高度に発達していて、食文化も比べものにならないほど豊かだったようで。数日前までも足りない、お腹空いた、美味しくない、と文句は言っていたが、あんなにも悲しい顔はしていなかった。それほど耐えがたかったのだろうか。僕はあまり食に関心がないので、その気持ちはあまり共感してやれない。
「……リオンお兄様、少しお伺いしてもよろしいかしら?」
メアリーアンが遠慮がちに僕に声をかけたのは、朝の残りのスープとパンという代わり映えのない昼食を終えた午後のことだった。
僕は書斎で読書にいそしんでいたのだけれど、本を閉じて机の上に置き、長椅子の端に寄った。すると、あいたスペースにちょこんと座る妹。何を聞きたいのかだいたい予想はつくけれど、それにしても数日前までと打って変わって随分丁寧な言葉遣いだ。
「いいけど、どうしたんだい、まるで高位貴族様のような丁寧な言葉遣いだね?」
「へぇっ!? え、お嬢様ってこんなかんじじゃ、あれっ!? うぇ、いや、あのですね、ちょっとそう、わ、私ももうすぐ五歳ですので? 淑女らしくしようかと……!」
「そうか、偉いね、メアリー。教育を始めるのは来週からの予定だったけど、自分で予習していたんだね」
「そ、そそそ、そうなんですのーっ! 予習! ほ、本を読んで予習をっ」
「あれ? メアリーにはまだ文字を教えていなかったはずだけど……。いつの間に読めるようになったんだい?」
「ほわっ!? え、いや、よっ、読めませんけどぉ!? お、おお、お兄様がいつも読み聞かせしてくれてたじゃない!?」
「そうか、童話のお姫様を参考にしたんだね」
「ええ! はい! そうですっ! でも私にはまだちょっとはやかったかもっ」
僕は吹き出してしまわないよう、必死に表情を繕った。油断したら腹を抱えて爆笑してしまいそうだったのだ。お転婆な妹が、とっても愉快なことになっている。いいね、オーシスの忘れ物を思い出す前の小生意気なおチビさんも可愛かったけれど、今は可愛いに面白いが追加されている。
忘れ物のことを察しているよ、と伝えて堂々と前世の世界の話を聞きたいという気持ちと、このまま気付いていないフリをして、メアリーの奇行を観察したいという気持ち。両者の間で揺れた僕の心は、今のところ後者が勝っている。
「それで、何が聞きたいのかな?」
「ええと、その……。あの、ど、どうして……」
「うん?」
「ど、どうして我が家はこんなに、その……びん……いや、つつまし……いのでしょうか。えっと、き、貴族なのに……?」
聞いてもいいものだろうか、とかなり逡巡をしていたけれど、妹の疑問はまあおかしくもないだろう。貧乏貴族なんて国中探せばそれなりにいるけれど、現在の我が家の家計の厳しさは、貧民と大差がない。
「それは、三年前の大嵐で領地に大きな被害が出たせいだね。水車が三基もまとめて壊れてしまったのは手痛かったな。曾お祖父様が大金投じて灌漑設備を整えてくれたけれど、あれはなかなか金食い虫だから……。他にも農作物の被害も大きくて、税の徴収どころじゃなく、逆に借金をするはめに……。というわけで、我が家にはろくに使用人を雇う余裕もないんだよ」
「ええっと、ここは王都ですよね?」
「そうだよ。王都のタウンハウスだ。そういえばメアリーにはまだちゃんと我が家のことを教えていないのだったね」
「そう、そうですね! ぜひ知りたいです、我が家のこと!」
本当は、来週から教育を始める予定だったけれど、まあ今話しても構わないだろう。どうせ教師役は僕なのだし。我が家には家庭教師を雇うような金銭的余裕はないのだから。




