第16話 「ああ……。これもうちが貧乏な理由のひとつ……」
学習室の大きな机に、古びた地図を広げた。フィロース子爵領を含む、王国北西部の簡素なものだ。五十年は前のものだから、あまり精密ではない。それでも、近隣の地理などを教えるには十分だろう。
「お兄様、なんで冒険者ギルドの話なのに地図を出したんです?」
「ついでに魔の森……。ドラクールの森や森の向こう側の魔竜山脈についても教えておこうと思って」
「魔竜山脈……。えっ!? 魔竜山脈ってここから近いんですか!?」
「近くはないよ。距離としてはね。ほら、このとおり、ドラクールの森は広いから」
フィロース子爵領の領都、ブルウッドの防壁を出て、北に向かって一時間ほど歩けば、ドラクールの森の端に辿り着く。そこからごく浅い場所にはほとんど魔物も出ないし、出ても小型の一角ウサギや棘ネズミ、無害なスライムくらいだ。このあたりは子どもでも工夫すれば狩ることができるから、街のひともみんな良く出入りしている。
中層までは一応、フィロース子爵領ってことになっていて、森の中層部を流れている大きな河が境界だ。そこより奥は、どこの国の領土でもない放棄された土地なのだ。
「昔はね、この河を中心に、大きな街があったらしいよ。だけど五百年くらい前に大規模な魔物の大氾濫がおこって、街は放棄されたんだ。今じゃすっかり森に呑み込まれてしまっている」
「えっと、スタンピードって、普通ダンジョンで起こるものなんじゃ……?」
「よく知ってるね、メアリー。そう。魔素がものすごく大量に集まり、凝縮されることでダンジョンが生成される。ダンジョンはそれそのものが魔物のようなもので、餌を呼び込む為に貴重な素材をドロップする魔物を生み出す。その魔物や、ダンジョンのもたらす宝目当てでやってきた人間たちの死骸や魔力を取り込んで、成長していくものだ。スタンピードは希に、溜まりすぎた魔素を消化しようと、ダンジョンが魔物を大量にポップするために起こるというのが今の通説だね」
「えっと、はい……」
「確かにダンジョンのように魔素が凝縮された場所や大きな魔素溜まり以外では、魔素は大気に拡散していくものだ。魔物は魔素の薄い場所では生息できないから、ダンジョン外ではドラグールの森のような魔の森から出られない。つまり、ダンジョン以外で魔物が大量発生するということはほとんどない」
とはいえ、物事には例外というものがある。
例えば――元々魔物の生息地だった魔素溜まりのある森、略して魔の森に、ものすごーく強い上位の魔物が、突然やってきた場合、だとか。
「えっ、まさか……」
「そうなんだ。五百年前、遙か遠く、どこからか傷だらけの竜が現れ、あの山脈に棲み着いたんだ。もともとその山脈は大きな魔素溜まりがあったから、竜は傷を癒やす為にあそこを選んだのかもしれないね」
「も、元からそこにいた魔物は……」
「竜は神にも近い存在だ。Aランクの魔物だって、竜を前にしたら泡を食って逃げ出すさ」
「デスヨネー」
「突如現れた竜に、魔物たちは大混乱して逃げ出した。竜から逃れてどんどん南下していって、結果としてここにあった街が犠牲になったというわけだね」
「わぁ……」
「幸い、街の人々は魔物の群れが到達する前に、ほとんど逃げおおせて、このブルウッドに新たな街を作ったそうだよ」
元は普通の森だったドラグールの森が魔の森になってしまったのも、魔竜山脈に竜が棲み着いたことによって、魔素が増幅して漏れ出てしまったからだというのがおじいさまの見解だった。森の奥に新たに魔素溜まりができたんだろう、と。
その影響で土地が痩せていって、このあたりは耕作に不適な領土になってしまったというわけだ。
それでも細々とやって行けたのは、ドラグールの森の中層まで行けば金になる魔物がいるからだ。ダンジョン内では魔物を倒しても素材の一部がドロップされるだけだけど、ダンジョン外の魔物は倒すとそのまま体が残る。魔石だけじゃなく、皮も肉も素材のすべてを得ることができるのだ。
つまり、作物の実りが悪くとも、最悪魔物肉で食いつなぐことはできる。
ブルウッドでは農民も冒険者登録していて、農閑期には冒険者として狩りに出るという農夫も多い。
真冬の雪が積もる時期でも、冬眠しない魔物もそれなりにいるからね。さすがに雪の中での戦闘は危ないから、僕みたいな子どもは森に入れて貰えなくなってしまうけど。
「土地が痩せてるのが魔素溜まりのせいだけど、その魔素溜まりのおかげでかろうじて食料が確保できるってことですか……。あれ? もしかして、うちの領って領都がいちばん領地の端っこにある?」
「そうだね。森の中層までが領土だけど、人が住めるのはブルウッドまでだよ」
「田舎だとは思ってたけど、思ってた以上に辺境だった……」
まあ、そうだね。ブルウッドより北にあるのはドラクールの森と魔竜山脈。その向こうの、最果ての地と呼ばれる人跡未踏の秘境だ。
ちなみに森を西側に進むと、とある男爵家の領土だ。ウチとはあまり仲が良くないのだけど、まあ、このあたりの貴族同士のいざこざはまだ教えなくてもいいかな。森の東側をずーっと進むと隣国の領土。
「こうしてみると隣国が近い……! 観光に行けるのでは?」
男爵領より、隣国イシリス聖王国の方が、メアリーアンの眼を引いたようだ。
でも残念、そうは簡単にはいかない。
「よくご覧、魔の森の中層から深層近くを抜けないと行けないよ。危険すぎてB級以上の冒険者でもなきゃ無理だ」
「あう……。本当だぁ……。これじゃあかなり迂回しないとダメですね……」
「そう。だから実質的にイシリス聖王国と国境を接してるのはウルフィード辺境伯家ということだね」
うちの東隣はウルフィード辺境伯家の寄子の男爵家がふたつある。その二領の向こうがウルフィード辺境伯の領土だ。イシリス聖王国とは昔からしょっちゅう小競り合いがあったこともあり、ウルフィード家は武闘派貴族で有名で、その寄子貴族たちも倣って武張った家風だ。学問を重んじる我が家とはかなり違う。
「脱線してしまったね。まあそういうわけで、ブルウッドでは冒険者の活動が活発で、冒険者ギルドの支部も大きい。おかげで我が家は子爵家なのに、騎士も領兵も最小限で済んでいる」
「えっ、うち、騎士なんていたの!?」
「いるよ。メアリーも良く遊んで貰ってただろう、ビクターおじさんだよ」
「はぁ!? ビクターおじさんは農夫でしょ!?」
「騎士だよ。一応。まあ、領内の見回りや領兵の訓練以外は農作業してるけど。……むしろ農作業してることの方が多いけど」
ビクターおじさんとは、我が領主館の隣に住んでいるビクター・マロウのことだ。一応騎士である。お祖父様の代から我が家に仕官している唯一の騎士だ。お父様よりも年配だけど、お父様よりずっとたくましい肉体をしていて、剣や魔法の腕も相当なものだ。こんな田舎貴族に仕官するなんてもったいない、とお父様はよくおっしゃっていた。
本人は王都の貴族社会は肌に合わないし、魔の森で魔物を狩りまくれる方が楽しい、らしい。農作業もやってみたらはまってしまったとか言ってたっけ。
ビクターおじさんが束ねる領兵は十名。全員領内出身の農家の次男以下ばかりで、実家の農業を手伝いつつの兼業領兵だ。この領兵の維持費もかなりかさむんだよねぇ。本当は子爵家ならこの四倍か五倍くらいは必要なんだけどさ。
「本当は、子爵家なら騎士は最低三、四人雇って、領兵を束ねて領地の巡回や魔物退治をしないといけないんだけどね。万が一領内の街道で魔物が出て旅人が襲われたりしたら、領主の責任問題になるから」
「なのにビクターおじさんだけなの?」
「冒険者が自主的に魔物狩りしてくれるからね」
冒険者には魔物に遭遇したら討伐する義務が生じる。もちろん、自分の力量で敵わない魔物であれば、その限りではない。が、発見して無視するのはアウト。倒せない魔物に遭遇したなら、ギルドへ報告義務があるのだ。
これは昔、冒険者が金にならない下級の魔物を放置したことで、子どもや老人が犠牲になる事例が頻発したことによりできた法律だ。
もちろんこの義務を負うのは冒険者だけじゃない。騎士だけでなく、貴族は皆この義務を負っている。魔物がはびこるこの世界、魔力の強い貴族には民を守る義務があるからだ。
法令も交えて説明すると、メアリーアンは納得したように何度も頷いた。
「なるほど、ウチの領土ってブルウッドだけじゃなくて、どの村も基本的に魔の森の端に張り付くみたいに広がってるものね。他領に抜ける街道はふたつ。どれもすぐ他領の管轄になるから定期的な巡回くらいで済むってこと?」
「そういうことだよ。その代わり、冒険者ギルドに一定の支援をしないといけないんだけどね」
あんまり金にならないけど大量に沸く魔物なんかの討伐依頼は、領主が発注しないといけないのだ。あんまり増えすぎると浅層まで溢れてきて、酷いと森から出てきてしまうこともあるからね。
「ああ……。これもうちが貧乏な理由のひとつ……」
メアリーアンの眼がちょっと遠くを見つめるようなものになっていた。あまり五歳児がする表情ではないと思うが……。
まあ、他に誰も見てないからいっか。
次回更新→明日7時
カクヨムにて「第2回GAウェブ小説コンテスト」参加中のため、先行連載しています。




