第二話 大島の覚悟
その日の夜、私は災害防災用の地下会議室へ呼ばれた。
そこには県の職員だけでなく警察、大学、電力会社、神社の人間まで集まっていた。
見覚えのある国会議員や、現職の大臣まで座っている。
なぜ、地方の小さな道路工事に、これほどの人間が集まっているのか。
その答えを、私は既に半分ほど知っていた。
「ご苦労だった。怪我は大丈夫かね?」
課長に尋ねられ、「問題ありません」とだけ伝えた。
恐らくだが
私はテイの良い実験台だったのだろう。
娘は必ずどこかで生きている。
そう強く信じている私が、モホ面の前で何を見るのか。
何を聞き、どのような行動を取るのか。
それを確かめるために、私はあの場所へ連れていかれた。
だが、そんな事はどうでもいい。
私は一刻も速く、娘を助けてやりたいと焦っていた。
いや、苛立ちすらも越え、殺気立っていた。
それを、無理矢理押し殺し、感謝し腰を下ろした。
どんな形であれ、娘と再会させて貰えたのだからと。
―――
壁に、新大島トンネルの図面が映し出された。
「モホロビチッチ不連続面は、地殻とマントルの境界ではない」
昼間の白髪の地質学者が説明した。
「少なくとも、大島半島に露出しているものは違う」
図面が切り替わる。
山の断面図
地表
地殻
その下に引かれた、赤い線。
「これではっきりした。あれは、この世と死者の世界を繋ぐものだ」
「死者だと?」
私は椅子から立ち上がった。
「勝手に娘を殺すな。遺体は見つかっていない。あの子は、まだ生きている」
学者は私を見た。
「娘さんが死者だとは言っていない」
「では、どういう意味で?」
「この場所では、生者と死者という区別そのものが曖昧なのだ」
神主が立ち上がった。
「通常、死者との境界は地中深くにあります。ところが大島半島では、何らかの地殻変動によって境界が押し上げられ、地表近くまで達しているのです」
神主が画面を指した。
「241号線は、この境界に近すぎます」
「どの程度だ?」
壁際に座っていた大臣が尋ねた。
「近い場所では、3メートルもありません」
室内が僅かにざわめいた。
「ならばそのモホ面とやらを、コンクリートで固めればよいのでは?」
国会議員の一人が言った。
神主は首を横に振った。
「こちらをご覧ください」
スクリーンに映し出されたのは様々なプラカードを持った地域住民と思わしき人々だった。
それは、断固拒否の意思表明だった。
「ふむ、それで新道。という訳か」
「それだけではありません」
「というと?」
「死者は、自分がどこにいるのかわからなくなる。その為だ」
学者が代わりに応えた。
「人が行き交う場所には、こちら側の気配が残る。声。足音。振動。体温。そして記憶。それらが、生者と死者の境界を形作る」
「つまり、人が通ることで境界が保たれていると?」
「左様」
神主が言葉を引き継いだ。
「一般的には、このような場所には神社を建てます。鳥居を置き、社を建て、そこから先が異界であると示す」
画面に、山中に建つ小さな神社の写真が映った。
朽ちた鳥居
苔に覆われた石段
壊れた賽銭箱
「既に建てているのか?」
「三度、建てました」
「三度?」
「最初の社は、建てた翌年に地滑りで失われました。二つ目は、火の気がないにもかかわらず全焼。三つ目は――」
神主は言葉を止めた。
画面が切り替わった。
社殿の内部
壁にも、床にも、天井にも
無数の手形がついていた。
「現在は、立入禁止となっています」
誰も何も言わなかった。
「神社だけでは不足なのです」
学者が図面上の赤い線をなぞった。
「必要なのは、点ではなく――境界線」
会議室の照明が僅かに揺れた。
「そこで、トンネルなのか?」
大臣の問いに、学者と神主が頷いた。
「トンネルという場所は、古くから怪異が起こりやすいです」
「心霊スポットというやつか」
「はい」
神主は否定しなかった。
「それは単に暗く、人気がないからではありません。トンネルは、入口と出口を持つ。こちら側から入り、向こう側へ抜ける。古来より、洞窟や穴は異界との境目と考えられてきました」
山
岩盤
暗闇
その中を貫く、一本の道。
「人間はトンネルを通る時、無意識に境界を意識します。入る前と、出た後。内と外。こちらと向こう。その認識が、霊にとっても境界となる」
確かに身に覚えがある。
トンネルに入る前
その中で見る小さな光の射す出口
どこか非日常というか、独特の緊張感がある。
白髪の学者が補足した。
「加えて、この山には海から地下水脈へ続く霊脈がある。計画中のトンネルは、その霊脈に沿うよう設計されている」
「最短距離ではないのは、そのためか?」
「左様」
トンネルが湾曲している理由。
余計な工費をかけ、山の中で弧を描く理由。
すべては、霊脈をなぞるためだった。
「トンネルの入口と出口に、それぞれ鎮守を置く。内部には一定間隔で注連縄の代わりとなる導線を埋め込む。鋼鉄製の支保工を連結し、山側は地下水脈へ、海側は日本海へ接続する」
寺院でも神社でもない。
現代の土木技術によって造られる、二キロを超える結界。
神主は静かに後を引き付いだ。
「悪霊となる最大の原因は、怒りや憎しみだけではありません。自分がどこにいるのか、わからなくなることなのです」
――ここは、どこなの?
私は想像した。
自分がどこに居るかも解からず
暗い場所でひとりきり
気の遠くなるような年月をだ。
爪が喰い込むほど、ミサンガを握りしめた。
「境界を失った霊は、やがて生者へ縋ります。名前を呼び、姿を真似て、自分の側へ引き込もうとする」
夏美の声が、頭の中に蘇った。
――たすけて
あれは、本当に私を騙そうとしたのだろうか。
否
断じて否だ。
「待ってください」
国会議員が手を上げた。
「説明は理解しました。しかし、これは二キロを超えるトンネルだ。百億円を超える税金が投入される」
卓上に置かれた資料を叩く。
「交通量は少ない。渋滞もない。旧道が通行止めになるのも年に数回だ。国民に、どう説明するつもりですか?」
反対しているのは、モホ面の存在を疑っているからではない。
費用の問題だった。
それだけの金を使う必要があるのか?
もっと安い方法はないのか?
当然の疑問だった。
「霊が境界を理解するという保証はあるのかね?」
大臣が尋ねた。
「ない」
学者は即答した。
「トンネルを造ったことで、逆に霊を集める可能性もある」
「通行人が襲われる可能性は?」
「否定は出来ない」
会議室が静まり返った。
「ならば、造るべきではない」
大臣が言った。
「血税で、心霊スポットを造るつもりか?」
誰も反論出来なかった。
危険はある。
莫大な費用もかかる。
完成したからといって、全ての霊が大人しく向こう側へ帰る保証もない。
私は、昼間の光景を思い出していた。
――さみしかった
――ずっと、まってた
冷たかった夏美の手。
震える肩。
泣き声。
「一つ、いいでしょうか?」
気づけば、私は立ち上がっていた。
全員の視線が、私に集まる。
「大島君」
課長が私を止めようとした。
私は構わず続けた。
「確かに、悪霊はいるかもしれません」
自分の声が、地下会議室に響いた。
「トンネルを造れば、人に害をなす霊が現れる可能性もある。事故が起きるかもしれない。誰かが、声に呼ばれるかもしれない」
大臣が腕を組んだ。
「ならば、君も反対なのか」
「いいえ」
大臣の眉が動いた。
「危険があるから、何もしない。それで本当に安全なのでしょうか?」
私は図面に映る赤い線を見た。
「境界は今も広がっている。霊達は自分がどこにいるのかもわからないまま、あの場所を彷徨っている」
夏美は
ずっとひとりで、13年も
「危険な霊が現れる可能性はあるでしょう。ですが、今も既に事故は起きています。人は消え、境界は広がり続けている」
私は前に出て、スクリーンに映る赤い線を叩いた。
「むしろこのまま放置する方が危険だと考えます」
「しかし、百億だぞ?」
大臣が口を挟んだ。
「百億で、これ以上境界が広がるのを防げるのなら安いとは言いません。ですが――」
何もせず、重大事故が起こった場合、責任は取れるのか?
そう口から出かけ、喉の奥に押し込めた。
重要なのはそんな事じゃない。
ミサンガを握った。
「私は父親です。娘が今、この瞬間も、私の助けを待っているのです」
声が震えた。
「誰も掘らないと言うのなら、私が一人ででも掘ります」
長い沈黙の後、大臣が資料を閉じた。
「採決に移る」




