亡霊の雨
「降下シーケンス、最終段階へ。……全システム、正常」
ミアの冷静なアナウンスが、ハンガーに響く。瀬戸は、降下ポッド『イカロス』の内部でシートに深く身を沈めていた。ナノマシンが彼の神経系とポッドのシステムを直結し、機械がまるで自分の手足であるかのような感覚が全身を駆け巡る。
[ディアーナ:イカロスとの神経接続完了。搭乗者瀬戸紬のバイタル正常範囲内。シンクロ率98%。降下作戦への支障は問題ありません。エネルギー装填。循環を開始します。]
「エネルギー装填確認。現在30%です」
ミアとディアーナが連携し準備を進める。
「せと、準備はいい?」
「いつでも大丈夫だ」
瀬戸はモニター越しにエマを見る。
「行ってくる。」
「行ってらっしゃい。紬」
モニター越しでもわかる確かな絆がそこにはあった。
「あーあ。お姉ちゃんとせとがいちゃついてる。」
ただモニターでの挨拶なのに、周りにはそう見えるようだ。
「ミア、茶化さないの!準備はどうなってるの?」
ミアは少し呆れながらも、手際よく最終確認を終える。
[ディアーナ:エネルギー装填100%。循環率100%。稼働率100%。降下軌道セットアップ。降下地点誤差修正、0.69内です。いつでも降下可能です。]
「艦長」
エマがゼノに最終確認を求める。
「了解した。瀬戸、準備はいいか?降下作戦開始。」
瀬戸は深く息を吐き、ポッドのハッチを閉じた。
「了解した。……行くぞ」
瀬戸が呟いた瞬間、爆発的な加速Gが襲いかかった。ステーション・ラビットから解き放たれ、重力圏へとダイブする。
ゴオオオオォォ――。
イカロス内に響くその音に、様々な計器がカタカタと揺れ音を出し、不安をあおる。しかし、エマやミア、ディアーナのサポートがあると思うと、瀬戸は不思議と安心することができた。
目標はユーラシア大陸、かつてのトルコ・アララト山脈。変異の原因、異星物【オリジン】と名付けた、それの手がかりを探すための最短ルートだ。
降下は極めて順調だ。ナノマシンやディアーナが気流を読み、ポッドの姿勢を完璧に制御する。このまま地表へ到達できる――そう誰もが確信した矢先だった。
警報音が、耳を劈くような高音で鳴り響く。
「何だ!? この反応は……!」
[ディアーナ:急接近する物体あり。降下軌道上で接触する恐れがあります。接近まで30秒]
艦内放送でゼノの焦燥した声が飛ぶ。レーダーには、異常な数の高密度反応が映し出されていた。
「スペース・デブリか……いや、この形状は!! 」
[ディアーナ:検索、かなり破損しておりますがステーション『キャンサー』と思われます。本体の周りに数百を超える残骸も確認できます。降下地点の変更、もしくは作戦の中止を]
かつて非道な実験の末に自滅し、宇宙の藻屑となったステーションの亡霊たち。それらが、2000年の時を超えて、今まさに瀬戸の進路を塞ごうとしていた。
「ここにまで来て、まだ邪魔をするというのか……!」
ゼノの苦悶に満ちた叫びとともに、ミアが必死の外部アシストを試みる。しかし、数千、数万の金属片が舞う「鉄の雨」の中では、回避行動も限界があった。
「瀬戸! 回避しろ! 直撃だけは避けるんだ!」
瀬戸は神経を極限まで尖らせ、ポッドを捻る。しかし、回避しきれなかった一際大きな船体の破片が、ポッドの右側面に激突した。
――重金属がひしゃげる凄まじい轟音。 ――制御系が火花を散らし、機体がきりもみ状態で大気圏を突き抜ける。
「あぁぁぁっ!」
「紬!」
「せと! 姿勢を立て直して! 」
ミアの必死の叫びがノイズ混じりに響く。
「ダメだ!右側のスタビライザーが完全に沈黙してる!」
機体は制御を失い、大気圏との摩擦で外壁が高熱を帯び始めた。
[ディアーナ:補助スラスター制御開始、ナノマシンに負荷がかかります]
キャノピー越しに見える空が、燃えるようなオレンジ色から、急速に深い群青へと塗り替えられていく。
「瀬戸! 聞こえるか! 進路が大きくずれた! そのままでは赤道付近の……かつてのアマゾン流域か、あるいは北米の密林だ! 着陸地点を修正しろ!」
ゼノの叫びも、激しい気流の轟音にかき消されそうになる。瀬戸は奥歯を砕けんばかりに食いしばり、強制オーバークロックさせた右腕をコンソールに叩きつけた。
「くそっ、右腕が……ッ!」
ナノマシンを通じ、ポッドの損傷が直接、神経へ激痛となってフィードバックされる。機体の回転速度は上がる一方で、重力が瀬戸の内臓を押し潰さんとばかりにのしかかる。
[ディアーナ:拒否権なし。負荷120%、全スラスター点火します。瀬戸のバイタル低下、意識レベル――]
ディアーナの警告音も遠のく。瀬戸の視界には、急速に接近する地表が見えていた。無限に広がる濃緑色の絨毯――密林だ。機体は火の玉となって、音速の壁を突破し、森をなぎ倒しながら墜落していく。
衝撃で計器類が次々と爆発し、火花が散る。右腕が焼き切れるような感覚の中、瀬戸はただ、エマの顔を強く思い浮かべた。
「……必ず、生き延びてやる」
地表が迫る。ポッドが木々を粉砕し、大地を抉り、重力と摩擦の混沌に飲み込まれていく。
視界が真っ白な火花に覆われ、やがて、全てが静寂に包まれた。




