木漏れ日での密会
時はちょうど昼時だった。
頭上高くへと昇った太陽が本来なら強烈な暑さを地上に叩きつけるはずだが、北の森を覆い尽くすように生い茂る巨大な木々の葉が太陽の光を完全に遮り、地上にはどこか冷やりとした気配が漂っている。日の光がほとんど差し込まないその森の奥は、昼間であるにもかかわらず、かえって薄暗く不気味な雰囲気を色濃く醸し出していた。
そんな静寂と陰鬱に満ちた森の空間に、突如として空間の歪みから無数の漆黒の影が集まり始める。やがてその影はぐにゃりと形を変え、ひとりの人の姿を形どった。
「ふう……あーあ、疲れたわぁ。戦闘なんてそんな得意な方やないんやけどな。にしても、まさか相手がよりによって先輩やったとは……ホンマ、世の中狭いもんやなあ」
完全に人間の形を取り戻した神楽坂葵は、黒いローブの裾にできた寄れや乱れを直すように、自身の服の表面を右手の指先で優しくなでる。その間も、彼女の白く透き通る頬や首筋、そして手の甲に浮かび上がる刺青じみた異性物質の模様は、まるで生き物のように不気味にうねり、うごめき続けていた。
「ジブンらも、そう思わへん?」
周囲に誰もいないはずの空間に向かって、神楽坂はふと軽い調子で声を投げかける。
「「「――彼との接触は、どうやら無事にいったようね」」」
突如として、どこからともなく重なるように聞こえてきた3人分の声。その神楽坂の視線の先で、わずかに空間が揺らめき、ゆっくりと新たな人影が姿を現した。
「当然やろ。ウチと先輩の仲やねん。ここにも来てくれるはずやわ」
「「「……そう」」」
「なんや、そんな嬉しそうやないなぁ。随分と愛想のないことで」
神楽坂は半ば呆れたように、目の前に佇む人物へと視線をやる。
声は確かに3人分が重なって聞こえているというのに、そこに立っているのは頭部がヤギのものへと変異した、奇妙な姿の女性がただ1人だけだった。
一見すれば、この終末の世界にうろつく危険な変異種や異形と何ら変わらない姿をしている。だが、少なくとも今の神楽坂の態度を見る限り、彼女に対して敵意や警戒心を抱いている様子は微塵もなかった。
「「「嬉しいとか、そういう単純な問題じゃないんだよ」」」
「ふーん。なんか、いまいちようわからへんなあ。でもまあ、今回は結果的に助かったわ。最初は半信半疑やったけど、これで可能性もぐっと増えたしね」
神楽坂は近くにあった太い倒木にヒョイと腰を掛けながら、どこか軽口を叩くように礼の言葉を口にする。しかし、肝心の礼を言われたはずのヤギ頭の女性は、感情の読めない冷ややかな双眸で神楽坂をじっと見据えたままだ。
「「「そんなに、人間に戻りたいの?」」」
「当たり前やん。見てみ、この体。せっかくのべっぴんの顔や肌に、こんなミミズみたいな気味の悪いもんがベタベタ張り付いとったら、台無しや」
冗談めかした口調でそう言いながら、神楽坂は自分の左手を前に突き出し、それを右手の指でなでるようにして見せる。その腕には、今この瞬間もなお、どす黒い異性物質が嫌らしく這いまわっていた。
「「「……そう」」」
神楽坂に尋ねたところで、彼女が自分の本当の内面や核心を素直に語ることは決してないだろうと悟ったのか、ヤギ頭の女性はそれ以上深く追求するのをやめた。
どこか気まずい沈黙がその場を支配しかけたことに気づいたのか、今度は神楽坂の方から、気まぐれな様子で相手へと質問を投げ返す。
「そういえば、今回は何で先輩の居場所や情報を教えてくれたん? 確かに、お互いの利害が一致して協力しとった時期もあったけどさぁ」
「「「……状況が変わってきたのよ、色々とね」」」
「状況って?」
神楽坂は小首をかしげつつ、物珍しそうに言葉の続きを待つ。
「「「様々な組織や国々、それとエルフだっけ?……あと、それ以外の連中の動きまで、私たちの予想を遥かに超えてきている。このままのんびりと傍観していられなくなってきたのよ」」」
「ふーん、大変やなぁ」
全くと言っていいほど興味のなさそうな相槌を打ちながら、神楽坂は木の上からぶら下げた両足を前後にパタパタと揺らす。その気の抜けた態度に、ヤギ頭の女性は小さく息を吐いて呆れながらも、さらに釘を刺すように言葉を続けた。
「「「その中でも、特にあなたの属している組織は一際目障りでうるさいわよ。あろうことか『ゴフェル』まで集め出しているしね」」」
これまでの冷淡さとは打って変わり、あからさまな恨みと警戒心を込めた声音で神楽坂をにらみつける。
しかし、当の本人である神楽坂は、どこか白々しいほどの気まずそうな演技を浮かべながら、ひらひらと手を振ってみせた。
「だって、しゃあないやん。会長の命令やし、こっちにもこっちの組織としての事情ってもんがあんねんからさ」
「「「ゴフェルの扱いは、くれぐれも注意することね。一歩間違えれば、二度と人間になど戻れなくなるどころか、その魂ごと呑み込まれることになるわよ」」」
「……ほんまに?」
ここで初めて、神楽坂の表情が劇的に一変した。
先ほどまでのひょうひょうとした軽口や余裕のある様子がすっかり鳴りを潜め、その瞳にはわずかな動揺の色が浮かんでいる。
「「「本当よ……。あなた達が一体どんな底意地汚い目的でそれを集めているのか私は知らないけれど。せいぜい、鳩に丸呑みされて自滅しないことだね」」」
「……そっか。教えてくれて、ありがとな。一応、気をつけるわ」
先ほどまでの明るさが嘘のように曇り切った表情のまま、神楽坂はゆっくりと自分のローブの懐へと手を差し入れ、その中にある不気味な二対の蛇の人形へとそっと視線を落とした。
(……組織の手前、いざという時の保険のつもりで持ってきたけど、もしかして今回のこれ、ちょっと早まったかな……。いや、やけど、粘田くんがあんな風にあっさりいなくなった理由とか、向こうへの報告のごまかしにも、この人形はどうしても必要になりそうやし……さて、どうしたもんか……)
組織に対する保身のための言い訳と、自分の懐に収まる奇妙な人形がもたらす言い知れない不安。その二つの板挟みに頭を悩ませながら、神楽坂は再びうっそうと茂る葉に遮られた、日の光が一切見えない鉛色の空へと視線を向けた。
「なあ……先輩、はよこの森に来ぉへんかなぁ……」
誰に聞かせるでもないその呟きは、冷たい森の湿った空気に溶けるように、静かに消えていくのだった。




