不穏な遺産
ダンジョンから脱出するため、先ほどまで激しい戦闘が繰り広げられていた研究室から引き返す途中だった。
ナオミは、先ほどの戦闘で怪我を負い、遺跡の兵士たちによって手当を受けていたリズのもとへと合流しに行っている。
瀬戸も後を追ってそちらへ向かおうとした時、少し離れた通路の陰から、慌てた様子で情報を取り交わす兵士たちの密談が聞こえてきた。
「このお方……まさか、帝国の第4―――ッ!?」
「まさか、公爵家の―――っ!」
「おい、ちょっと待て! この子は、以前に噂になった共和国のあの劇団の―――っ!」
「この整った顔立ち……間違いない、数年前に消息を絶った伯爵家の……!」
明らかに耳を疑うような、そして聞くだけで厄介事に巻き込まれそうな不穏すぎる言葉の断片が、風に乗って耳に飛び込んでくる。
粘田という男が、各地で気に入った子たちをこっそり攫っては、自身の傀儡として手駒に仕立て上げていたことは薄々察しがついていた。だが、死に際になってここまでとんでもない政治的爆弾の数々をあちこちに遺していってくれるとは、迷惑にもほどがある。
(……これ、どう考えても首を突っ込んじゃいけない、真っ黒なやつだな……)
『その通りだな……明らかにきな臭い、関われば間違いなく泥沼に引きずり込まれる厄介事の気配がする。いいか瀬戸、絶対に関わるなよ!』
(わかってるよ、言われなくても!)
ゼノからの念押しに、瀬戸は食い気味に、力強く心の中で頷き返す。
神楽坂葵の一件や、未だに正体を飲み込みきれていない人類の生き残り問題、そして目の前に現れた自分のクローンであるナオミの件でもう脳のキャパシティは限界突破し、胃もたれどころか精神的な消化不良を起こしかけているというのに、これ以上の特大のトラブルなど胃に穴が開くほどである。ごめんこうむりたい。
この場に長居して事情のよく分からない兵士たちに声をかけられでもしたら面倒だと悟った瀬戸は、入り口近くで警備をしていた兵士に先に帰ることを伝え、早々にその場から立ち去ることにした。
「お父さん、どこ行くの?」
不意に、背後から無邪気で柔らかい声がかけられる。
振り返ると、そこには手当を終えたリズを伴ったナオミの姿があった。
「お、お父さん……っ!?」
ナオミが放ったその衝撃的な単語を耳にしたリズは、目玉が飛び出るのではないかというほどに行動を見開き、ひっくり返りそうなほどの驚愕の声を上げる。しかし、当の本人であるナオミは、リズの視線などどこ吹く風といった様子で、いたって平常運転のまま小首をかしげている。
「お父さん呼びはさすがにやめろって……」
「……じゃあ、パパ?」
「おい!」
本来なら、全身に張り巡らせた最新鋭のナノマシンによって、肉体は常に完璧な健康状態に保たれ、疲労や不調など起きるはずがない。それなのに、今の瀬戸の頭には、なぜか激しい頭痛と重度の眩暈が同時に襲いかかってきているように感じる。ナオミの自由奔放すぎる言動の破壊力は、そんな物理的なシステムすらも軽く超えて精神を削ってくるらしい。
「頭が痛い……。とりあえず、ここから出るぞ。お前たちはこれからどうするんだ?」
「ん、私たちも外に出るよ。リズ、いいよね?」
「えっ、あ、う、うん……! ていうか、黒剣さんがナオミの父親って……いや、確かに言われてみれば目元とか雰囲気は似ているような……?」
「リズ?」
ナオミの天然すぎる爆弾発言の連打に脳の処理が追い付いていないのか、リズは完全に混乱の渦に飲み込まれ、呆然としたまま固まっている。
「とりあえず、このフロアを離れるぞ。ここに長居していると、さっきの兵士たちのいざこざみたいな面倒ごとに巻き込まれかねないからな」
「わかった……ほら、リズ、しっかりして」
「……はっ! はいっ!」
動揺するリズをナオミが引っ張りながら、一同一斉にオフィスビル型のダンジョンを抜け出すべく階段を下りていく。
薄暗い階段を降りながら、瀬戸は今回の騒動についてリズに事のあらましを説明した。リズたちに襲いかかってきた男が彼女たちを非道な傀儡のように操っていたこと、そしてナオミもまた同じように操られかけていたところを、互いに協力して二人でその元凶を打ち倒したこと。
そして何より、戦闘の最中や直後の混乱の中で、なぜかナオミが自分のことを突然「父親」と呼び始めたせいで現在進行形で頭を悩ませているのだと、苦笑交じりに包み隠さず伝える。
「そうなんですね……って、ナオミなら、それくらい突拍子のないこと言い出しかねないですし……すみません、うちの団員が変なこと言って……」
一通り事情を飲み込んだリズは、なぜか申し訳なさそうにペコペコと頭を下げて謝罪してくる。どうやら、こんなにも理解不能でぶっ飛んだ説明であっても、ナオミの日頃の性格を知っているリズにとっては「あのナオミならあり得る」とすんなり納得できてしまう範疇らしい。
(俺と同じ遺伝子情報をナオミも持っているとして……もしかして、俺の普段の行動や巻き込まれ体質も、客観的に見たらあんな風にハチャメチャだったりするのか……?)
ふと、自分のこれまでの行動を振り返り、妙なところで変な反省の念に駆られてしまう瀬戸だった。
その思考を読んだかのように、内蔵されたアーカイブの通信回線を介して、ステーションの面々から容赦ないツッコミが飛んでくる。
『……ようやく自分のヤバさに気付いたか……』
『せとも、大概似たようなトラブルメーカーだよ』
『私の口からは、あえて何も言わないでおきます……』
ステーションの仲間たちからもすっかり呆れ返られてしまい、瀬戸は心の中でそっと深々と溜息をついた。
「で、お前たちはこれからどうするんだ?」
気まずくなった瀬戸は、あえて話を逸らすように、ナオミとリズに向かって今後の行動予定を尋ねた。
「早くヴィラに、今回のことを教えて拠点に戻る」
「そ、そうですね……ナオミがどうしてこんなに急いでいるのか、私にはまだ完全に理解しきれていませんけれど、まずは私たちの団長であるヴィラさんと合流することにしましょう」
「そうか。じゃあ、二人とも『錆鉄の町』のほうへ向かうんだな」
「お父さんは? 一緒に行かないの?」
「……俺たちはお互いに、それぞれ果たさなければいけない独自の目的があるはずだろ。それを放り出して一緒に行動するわけにはいかないだろうが」
いくら注意しても「お父さん」呼びを頑なに崩そうとしないナオミの態度に、いい加減諦め半分になりながらも、瀬戸はまるで駄々っ子を諭すような親のトーンで今後の予定を告げた。
「そうですか……。では、私たちはここで方向が分かれるのですね」
「お父さんも、一緒に来てくれたらいいのに……」
「ダメだ。お互いに自分のやるべきことに集中しろ」
名残惜しそうに不満げな表情を浮かべるナオミを諭していると、不意に、通信越しにミアの声が響いた。
『そうだ、瀬戸! あれをナオミに渡してあげて。ソフィアちゃんに構造をイメージさせて形成してもらえば、すぐに作れるから!』
(わかった!)
ミアの指示を受けたソフィアは小さく揺れてから、集中して微細なナノマシンの形成作業を即座に開始する。
少女の目の前で、純白の光が眩しくまたたいたかと思うと、瞬く間に美しい薄青色の刀身を持つ、洗練された細身の片刃剣が姿を現した。
そのあまりにもファンタジックで神聖な物質生成の光景を目の当たりにし、リズは「ひゃっ……!?」と小さく声を漏らして腰を抜かしそうになるが、今の異常事態の連続で脳の許容量が振り切れているのか、とりあえずその驚きを無理やりねじ伏せるように視線をそっと逸らした。
瀬戸はソフィアからその真新しい剣を受け取ると、真っ直ぐにナオミの前へと差し出した。
「さっきの戦いで、お前の剣も折れていたろ。これを持っていけ。一刻も早く、仲間たちを助けるんだぞ」
一見すると、それはただの美しい蒼色の片刃の剣にしか見えない。しかしその実態は、ミアが設計し、ソフィアの能力とナノマシンによって構築された、黒剣と全く同じ仕組みを持つ最先端の『超振動剣』であった。
この剣を所持していれば、ナオミとステーション、ラビットのシステムが常時リンクし、遠隔から彼女をバックアップすることができる。
その武器が持つ本当の意味と、父親代わりである瀬戸からの無言の気遣いを深く理解したのか、ナオミの瞳がわずかに揺らぐ。彼女はゆっくりと両手を伸ばし、その蒼剣をしっかりと受け取った。
「何か不測の事態があれば、ディアーナやステーションがいつでもお前を補助してくれる。一人で抱え込むなよ」
「わかった。絶対になんとかしてみせる」
ナオミは手にした蒼剣を腰のホルダーへと丁寧に納め、きゅっと力強く拳を握りしめた。
隣で見守るリズには、二人の間で交わされている高度な技術や会話の全貌こそ分かっていないものの、目の前にいるナオミの表情がかつてないほどに強い決意と使命感に満ち溢れていることだけはハッキリと伝わってきたらしく、それ以上詮索する言葉を飲み込んで静かに見守っている。
それほどまでに、ナオミの心に灯った「仲間を救いたい」という決意の炎は熱く、確固たるものになっていたのだった。




