再生と誓い
ステーション・ラビットの長く静かな廊下。 エマの寄り添うような歩調に合わせ、瀬戸は医療区画へと向かっていた。彼の横にエマがいるだけで、これから起こるであろう運命への不安を少しだけ和らげてくれる。
「……怖い?」
エマがふと立ち止まり、問いかけてくる。
「ああ……少し。自分がどう変わるのか、想像もつかないから」
瀬戸は正直に答えた。
「でも、エマがいてくれるなら、大丈夫な気がする」
エマは小さく微笑み、強く頷いた。 医療区画の扉をくぐると、そこにはすでに準備を終えたミアが待ち構えていた。
「準備は万端! ねえ、せと、気合入れていこうね!」
医療区画の冷たい空気も吹き飛ばすような、ミアの明るい声が響く。彼女はナノマシン移植の準備を進めながら、鼻歌でも歌い出しそうなほど軽やかな手つきで機材を操作している。
「じゃ、そこのポットに横になって入っちゃって」
「わ、わかった。」
瀬戸は指示通りにポットへと向かう。しかし、いざその機械を目の当たりにすると、得体の知れない緊張感がこみ上げてきた。
[ディアーナ:ミア、ナノマシン『Type-0』の充填完了しました。対象者瀬戸紬への移植シーケンスを開始しますか?]
「おっけー、ディちゃん! 準備万端だね。それじゃあ、移植シーケンスいっくよー!」
「ちょっと待て、いきなりか!? 心の準備ができっ」
瀬戸の言葉を遮るように、ミアは手際よく医療用ポットの扉を閉じた。遮断された世界で、瀬戸は閉所と未知への恐怖に固まる。
[ディアーナ:了解。共鳴率、現在32%。上昇傾向を確認。……ミア、瀬戸の心拍数が上昇しています。心理的な負荷が懸念されます]
「大丈夫、大丈夫! せと、ちょっとチクッとするからね。ミアちゃん特製、最強の再生プログラムだもん、安心して身を任せて!」
エマはポットのすぐ傍に立ち、不安そうな瀬戸の顔を、心配そうに見つめている。彼女がそこにいるだけで、不思議と荒ぶる鼓動が鎮まっていく。エマの献身的な眼差しは、無機質な機械の音さえも、ただのノイズに変えてしまうような慈愛に満ちていた。
「……ねえ、せと」
作業の手を止め、ミアがひょいと瀬戸の顔を覗き込む。彼女はいつものニヒルな笑みを浮かべ、ウィンクした。
「お姉ちゃんのためにも、頑張ってね」
「え……?」
瀬戸が聞き返そうとしたとき、ミアは再びプロの顔つきになる。
[ディアーナ:共鳴率98%。……これより、最終フェーズへ移行します]
「はーい、それじゃあおやすみなさい! ……カウントダウンなんて野暮なことはしないよ。起きたら新しい自分になってるから! あ、ついでにエマ姉も準備はいい?」
ミアが意味深に微笑んだ瞬間、エマが顔を真っ赤にして、ミアに対して何事か激しい剣幕で怒鳴っているのが見えた。普段の温和な彼女からは考えられない光景だ。
視界が急速にブラックアウトしていく中、最後に残ったのは、エマが優しく微笑む姿と、ミアの言葉の違和感、そして姉妹の不可解な光景だった。
意識は、深い闇の底へと沈んでいった。
どれほどの時が流れたのか。 ドラゴンに右手を食われ、コールドスリープから目覚め、2000年後に来たりといろいろなことがあった。だんだんと意識が覚醒し始める。目覚めたときすべては夢で、会社に行く準備を慌ててしなきゃいけなかったりな……とさえ思える。
[ディアーナ:…対、者瀬…の意識、覚…段階を確認。覚醒シークエンスを開始します。]
ディアーナのメッセージが聞こえる。瀬戸の意識がもやがかかった状態からだんだんとクリアになっていく。周囲は医療用ポット内特有の、静寂に包まれていた。重たい瞼を開ける。肺に空気が流れ込み、身体の隅々に力が戻っていくように感じる。
「……ッ!」
反射的に、瀬戸は右肩に意識を向けた。激痛はない。それどころか、そこには確かな「重み」があった。 彼は恐る恐る、右側へと視線を動かす。そこには、かつてドラゴンに奪われたはずの右腕が、滑らかな肌と筋肉、そして以前よりも強靭な輪郭を伴って、そこに存在していた。
「再生したのか……?」
かつてキャンサーが強行したような非人道的な実験ではない。ナノマシンが、彼の中に眠る「抗体」データと瀬戸自身の遺伝子情報を完璧に融合させ、肉体を作り変えたのだ。その右腕を握りしめるだけで、以前よりも遥かに力強い感覚が全身を駆け巡った。
そして、その瞬間に気づく。自分の右手を、別の誰かの手が握りしめていることに。
「……目覚めました?」
温かい声だった。視界に映ったのは、エマの穏やかな微笑みだった。
「瀬戸さん、体に異常はありませんか?」
エマが心配そうに覗き込んでくる。瀬戸が口を開こうとしたその時、無機質な声が割って入った。
[ディアーナ:瀬戸へのナノマシン移植シークエンスを無事に完了。ナノマシンとの同調率は99.75%。後遺症等の事象は確認できません。また抗体との同調率も99.45%と推移しています。]
ミアが誇らしげに胸を張って割り込んでくる。
「……で、どう腕の調子は?」
「ああ、力がみなぎってくるようで、自分の腕じゃないようだ。」
ミアは満足げに頷くと、続けて言った。
「でしょ、でしょ! でもこれからが大変だよ。ナノマシンで作り替わった体だから少しずつ慣らして、戦闘訓練とかいろいろお勉強とか詰め込んでいかなきゃね。」
[ディアーナ:私もサポートさせていただきます。]
「ならば戦闘訓練は俺だな」
瀬戸が目覚めた報告を聞いたゼノが笑いながら医務室に入ってくるなり、笑顔で告げる。 勉強に運動だと! どっちも大学以来まったくだ。勉強はともかく戦闘訓練なんて素人の俺には無理だろう。かなり気分が下がる。
[ディアーナ:……瀬戸のバイタルに変動あり。移植後の後遺症でこのような事象はなかったはずですが、どうなっているのでしょうか?]
ディアーナが不思議そうにデータのアーカイブを探ろうとしている。
「なんでだろうね?」
「なぜだ?」
ゼノもミアもわかってはいないようだ。
「多分、みんな後遺症とは違うと思うわよ。」
そんなやり取りを見ながら、瀬戸は横にいるエマの自然なその笑顔を見て、思わずドキッとしてしまう。
[ディアーナ:大変です。瀬戸のバイタルの上昇を確認。未知の後遺症の恐れがあります。]
「何! すぐにメディカルチェックを!」
「艦長、ディちゃん。今度のこれは私もわかった。これはたぶん大丈夫だよ。」
「いやしかし!」
[ディアーナ:ミア、それはどういった現象でしょうか?]
そのやり取りを見て、また瀬戸とエマは顔を合わせ、互いに笑いあった。 そうだ。絶対に守って見せる。
「……俺は、必ず帰ってくる。この世界を、あんたたちを守るために」
瀬戸の言葉に、エマは驚いたように目を見開き、そして涙をこらえきれないかのように強く微笑んだ。新しい右手が、エマの手をしっかりと握りしめる。それは単なる決意ではない。大好きな人たちを、愛する人との未来を守り抜くという、男の誓いだった。




